気の向くままに junne

不本意な時代の流れに迎合せず、
都合に合わせて阿らない生き方を善しとし
その様な人生を追及しています

(‘77) 7月3日 (日) 竹富島を後にして

2023年07月20日 | 日記・エッセイ・コラム
午前十時三十分。ショーコ、小浜さんと共に石垣へ向け出航。私の泉屋での仕事も終ったと云うところで、私もここを離れる事にした。
石垣グランド・ホテルで冷珈琲を飲み、三人で今度の八重山の愉快談をしたりして名残りの時を過ごした。
石垣空港。多くの旅仲間をここから見送った。そして今日も、また。いくら慣れた頃と言っても、やはり人を送り出すのは…別れ、見送るのは辛い。小さなローカル便の飛行場。その空港で、搭乗口に入る時。ショーコは私の許へ小走りに来て一言云った。
「ジュン、東京へ戻ったら連絡してね、お願い、きっとよ…」
私はその言葉を胸に屋上の見送りデッキから手を振り、乗り込むショーコ、飛び立つショーコを見送った。

私の今度の八重山紀行。これ迄に何度か『ここで終ったかな…』と思いつつも未だ先が有った。
旅としての完全な終りは、やはり私が家に辿り着いた時の事だろう。でも、もう一つの『終り』も有る。それは旅の終り頃に感じる、『旅情』にも似た一つの区切りがそれだ。
正直なところ、今の私はショーコを見送ったところで(残された日数は僅かだけれど)これから先の旅を続けるべくエネルギーが完全に消耗された感が有る。だからこれから平野へ行くのは、惰性とでも言うべき行動かも知れない。名実共に余韻としての日々が、この先に有るのかも知れない。

さて、ショーコを見送った後、バスに乗って美崎町へ戻った。そして次のバスの時間に合わせて一息つき、東廻りのバスで平野へと向った。
何が有るわけでもない、何をするでもない、この平野という土地。ただ南の島の時間が淀みながら流れて行く。時間に追われた旅行者にすれば、贅沢な時の過ごし方をしているものだと思う事だろう。
『贅沢とは何もしない事』なのかも知れない。

夕食は例によってオジサンのビールと泡盛の晩酌の付き合いで始まった。今、私の頭の中には何も無い。

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