気の向くままに junne

不本意な時代の流れに迎合せず、
都合に合わせて阿らない生き方を善しとし
その様な人生を追及しています

'11. メガシティーの幻想

2011年09月22日 | 日記・エッセイ・コラム

  通勤圏の誤算 各地に多大な爪痕を残して台風15号は東北地方へと向かって行った。まだまだあと12時間ぐらいはこの小さな島国を荒らして行くのでしょう。 ここでは地方の事ではなく都会の話しをしましょう。 今回の台風だけに限らず、半年前の東北大震災の時もそうでしたが、如何に「大都会」と呼ばれる都市が脆弱に出来ているものかTVの画面を見ているだけで判ります。         東京・新宿・渋谷・品川・上野駅・・etc.電車が止まっただけで人々は帰宅すら困難になり、構内や外に溢れかえりいつになったら動くかも判らない電車を待ち、普段は客待ちで邪魔なだけのタクシーすら影も形も無く、渋滞に捉ったせいかバスまで遅れている。それらを待っている人達が(こう言ったら失礼なのは重々承知してますが) まるで春を待つペンギンが寄り添いながらチョコチョコと歩いている様に見えてくるのです。 そこで思うのです。 彼ら(彼女たち)は通勤圏内の職場に来ている・・筈だったのでは…と。でも、あのような光景を見ていると、『本当に通勤圏内』なのか疑わしくなってきます。そもそもどのくらいが通勤圏内なのでしょうか? 色々な苦労を背負いながら、どうして東京に出て来なければならないような仕組みを創ってしまったのでしょう? と、こう言いますけれど、私は道州制には絶対反対の立場にあります。                それでも思わずにはいられないのです。幼い頃から不思議に思っています。どうしてみんな故郷を捨てて東京に出てくるの・・って。 そのくせ盆・暮れには交通渋滞を覚悟で帰郷する。 東京でなければいけない仕組みを生み出したのは、歴史を辿れば家康に迄いってしまうのですが、その時々で意味付けが変っていた事も有りました。                           それはともかく、東京に一極集中しているというのは何か不自然さを覚えます。その結果ではないでしょうか、交通機関の発達と共に、通勤圏内と呼ばれるエリアがどんどん広がっていったのは。 アメリカン・ドリームの様なものを東京に重ね合わせて求め、『末は博士か大臣か』でゴールド・ラシュの様に押し寄せて来たのです。そしたら三チャン農家が始まり、その結果が高齢化農家や地方過疎化。 その逆が都市でしょう。 人が集まった事でただでさえ狭い土地に膨大な人口を抱える為に東京湾を埋め立て、更にはそんな危険な場所に高層建築を並べ建ててこれが文化だ・文明だと臆面もなく胸を張っているのです。本当にそうなのでしょうか? いつかバベルの塔の様になると私は思っていますけど。

  地下の要塞にしてみても、やはり危険地帯である事には変わりないですよ。 如何に建築技術が発達したからと言っても、所詮は人間が築き上げたもの。 水・煙、そしてやはり地震下の脅威ですね。 もう忘れてしまったでしょうか? あのオームの一件を。あれは地下鉄でしたよ。まぁ、あれはここでは例外としても、隅田川や荒川・神田川などの氾濫、東京湾の津波。これらが真っ先に襲い込むのは強固なビルではなく地下ですよ。 如何に首都とはいえ、いえ、首都であるが故の脆弱性をこのメガ・シティーは持っているのです。いや、持たなくてはならない様に歴史と政治がしてしまっているのです。それがメガ・シティーの運命なのかも知れません。 

  ここ迄通勤圏の問題とメガ・シティーの構造上の危険に付いて触れてきましたけれど、今一度「通勤圏とは何なのか」を再考する事をお薦めしたい。 東京合衆国であってはならないと切望しています。 それと道州制反対とは全く矛盾するものではありません。全てをひとまとめにして、それは『儀』の有る政治家が答えを導き出してくれるものと期待をしています。

  「メガ・シティー幻想」については、いづれ続きを書くと思います。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿