縁は異なもの…、そんな言葉が実感として、私の中に有る。7月15日(木)に石垣で出逢っただけの玉利洋子が、今私に波紋を投げかけている。八重山から戻った私は、知人に帰宅した事と、その後のツアーの終了を伝えておいた。勿論彼女にも。暫くは何も無い日々が続いていたのだけれど、どうした事か10月の下旬辺りから、洋子との電話での会話が多くなってきた。半日一緒に過ごしただけの相手と忘れた頃に、今度は電話を通して仲良くなっていく。今迄に無かったパターンで不思議と言うか興しろい。
その彼女と今日は小田原に出て、箱根湯本へ行って来た。鎌倉市浄明寺の玉利洋子は私より1〜2歳年上。小田原にしろ箱根湯本にしろ以前私が居住していたと云う事もあって新たな旅の興奮の様なものは何も感じられなかった。日帰りの遠出なのだから当然と言えば当然だ。それよりも『どうしてこの人、私と一緒にここに居るのかな…』と云う事が気になっていた。考えてみればそれとてもどうでも良かったのかも知れない。私の一日を彼女が楽しさで満たしてくれている…と云う事実の前では、どんな思考も消え去ってしまう。はっきり言って今日は何事も無い息抜きの小旅行、ハイキングの様な一日とでも言うのであろうか。ただ『みつき(箱根湯本)』へ連れて行った時の話しの中で、チラリと私の今後の予定を気に掛けていたのに気が付いていた。
帰りの電車の中、私達は久し振りに気持ちの良い疲れを楽しんでいた。
何故か気の合う人に出会う時期には、その様な人が集中するみたい。この頃、'75年の八重山ではそれがはっきりと見てとれる。〈棲み家〉を離れ、開放的な地にその身を預けている事が要因なのかも知れない。だからこそ旅行《旅》に意味が出来る…とも言える。見知らぬ生活圏(の人)との出逢いには(教室では学べない)何かが有る。
そんな事をも八重山での日々は教えてくれた。そして怖いもの知らずの時代だった。
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