悲しまじ 悦びもせじ
とにかくに
ついには終る
夢の世の中
辞世・・・その言葉通り、「死」に直面しているのですけれど、武士と農・工・商では、立ち位置が異うので、当然、死生観も異ってはいたと思う。ましてや「辞世の句」を残すとなると、相当な覚悟が必要だったと思う。
多くの場合共通して見て取れるのは、そこに『未練を残すと云った、見苦しさ』は無い。なんとも「潔さ」の内に逝くのです。
誰が見ても「もう終りだ、早く楽にしてあげたい」と云う時でも、阿修羅の様な形相で生き延びたがる・・・と云う事は見られない。差し詰め現代なら無理やりにでも延命措置をする事を善しとはしない、思考が有ったのだろうか !?
自立生活が出来なくなったら(法的に許されるなら)安楽死を望む・・・と云うのが私や(亡き)母がよく話していた事。
本能寺の変の時、通説に縁ると織田信長は「敦盛」を歌っていたとか(信憑性はどうだか?)。その「敦盛」は、
『人間五十年 下天のうちをくらぶれば
夢まぼろしの如くなり
ひとたび生をうけ
滅せぬ者のあるべきか』
というもの。
死を前提に生きているのだから、それ迄の日々の暮らし・生き方を悔いの残らぬ様生きるべき・・・だと思う。
その日が来た時、私は悪足掻きをしたくない。潔くしていたい。この話題は今回限り。
マッタクその通りですよね
生きる権利と同じく、死ぬ権利もある
安楽死もOKと言うのが前々からの
考えです
家光の辞世の句、初めて見ました
それにしても、昔の人は大したもの
ですね。自作なのかしらと思うほどです
秀吉など、過ごした人生そのままの
辞世ですものね
私も何か作りたい<笑
ハイ、これで終わりです