この記事はどうかこの曲をBGMにお読み下さい。
出会いに別れはつきもの。
それが人であり、生きて離れ離れになるなら、また会う事も出来るだろう。
今日、悲しい別れを体験した。
そうではない今生の別れを・・・
それはコイツ・・・
オレのピアノ・・・「パフくん」(←今、名づけたらしい)
「PF」でパフくん
いいヤツだった。
いつもいい音を出してくれて、私を音楽の泉へと導いてくれた。
音楽の素晴らしさを教え、またギターしか知らなかった私に希望と知恵とインスピレーションを与えてくれた。
うまく言えないが、それまで2次元しか知らなかった私を3次元、4次元、そのまた向こうの世界まで教えてくれた。
コイツとは一緒に沢山の曲を書いた・・・
JYOWZZのプリングルス、スノーブラインド、ハーベスト、アラントイン・・・新しくはROXYに今、まさに制作中の「Patit Marsh」・・・
殆どんどの曲はコイツと書いた。
スタフラでもDay in Day Out、とかはコイツに頼って書いた。
その他にも未発表が私趣味で作曲しているピアノ・ソロ曲も書いたし、先のStunFlyer/「BluesSqeeze」。
今、録り終えたスタフラ/JYOWZZのアルバムのレコーディングにも使用。
昔、発売した私の個人プロジェクト「Jー趣味厘’S」や限定発売したピアノ・ソロのアルバムのレコーディングもコイツでした。
本当はステージ用ではないが、何度かステージに持ってあがったこともあった。
コイツさえあれば作曲にレコーディング、ライヴはおろか、楽譜を使えば500年前の巨匠が書いた曲でさえこの手にすることが出来た。
コイツとの付き合いは古く、実に20年くらいになろうか・・・
まだ私が若くしてギター講師をしている頃に鍵盤に興味を持ち、それまで無駄に浪費していた講師料をたまには意義のあることにって、たまたま贅沢に購入したものである。
当時の価格で20万くらいだったろうか?
以降、私の実家でピアノにのめりこみ、東京にも持っていき、また金沢へ、そして今のマンションにまた持ってきて、私の住所変更はコイツの住所変更でもあった。
買っては見たものの、弾く術を知らない私は当時の彼女に教えてもらい、「エリーゼのために」とか、モーツァルトのソナタなんかを弾き始めた。
バイエルやハノンなんかは退屈ですぐにやめてしまったな。
程なくポピュラーなものも独学で弾き始めたが、一応、講師でコードの知識はあったので、すぐ作曲に使うようになった。
東京時代、思うようにバンド活動が出来なかった頃、コイツはよく慰めてくれた。
その時に沢山コイツと作曲もしたし、一番ピアノを練習した。
バンドが無くてヒマだったからギター4時間、ピアノ4時間、仕事から帰ってきてから寝る間を惜しんで練習していた。
金沢に帰ってきてスタフラが好調でJYOWZZが解散同様だった頃は半年以上、弾かない期間もあったが、コイツは私を見捨てなかった。
「私の夢はベートーベンの「月光」を第3楽章まで全編弾くこと!!」
である。
でももうコイツとその夢を叶えることは出来なくなった。
・・・・・・・・JYOWZZのレコーディングの終了が見えてきた夏過ぎから時々、音が突然消えるようになった。
そのうえ、鍵盤を押しても音が鳴らなくなり替わりに「ヴィー」と変な音がするようになった。
これを「PF」のマーク右斜め10cm上をグーで上から秒速25cm、進入角度45℃で殴ると症状は治まった。
正に昭和の電化製品の直し方である。
その頻度が段々ひどくなってきて、ついでに鍵盤もイカれかけてきた。
ト音記号のC♯の黒鍵が押したら戻らなくなってきたのだ。
これではKeyがA、D、Eの曲は全然弾けなくなってしまう。
他にも弾くとキーキーいう鍵盤が多々あり、もう既に交換部品はなく、「もう限界かな・・・」と判断してしまったのである。
とはいえ、私は楽器を手放すということを殆どしたことがない。
ギターも手元には無くても誰かのところにはある。
つまり生きているから会える可能性はあるのだ。
しかし、コイツは・・・
残念ながら粗大ゴミ行き・・・
もう会うことはないのである。
今まで当たり前に私の傍にいて、苦難も喜びも一緒に分かち合った朋友がこの世からいなくなるのである・・
悲しすぎる・・
今日、コイツがこの家を、私のもとを、この世から去る日がやってきてしまった。
なごり惜しくて、夢中になって2時間は弾きまくった。
今までコイツで作曲した曲や苦心して練習した曲、まだ作曲途中の曲を夢中で弾きまくった。
私の視線。いつもこうやって弾いてきたのに・・・
そして時間がだんだん迫ってくる。
ついに別れの時間がきてしまった。
「最後に弾く曲は何にしよう・・・」
なかなか踏ん切りがつかない・・・
最後はコイツに捧げる高田純二作曲の「別れの曲」を即興で演奏し、最後、高い「レ」の音で、お別れした。
これで、もうコイツのあの音を聴くこともない、一緒に作曲することもないのだ。
物にはいつか壊れるときがくる・・・
しかし、私にとってこのパフは物ではない、相棒だったのだ・・・
出来ればずっと一緒にいたかった・・
もっと上手に弾いてあげたかった、もっと沢山作曲したかった。
しかし、それはもう叶わない夢なのだ・・
さらば!!パフくん!!
もうすぐオレもそっちにいくから・・・
出会いに別れはつきもの。
それが人であり、生きて離れ離れになるなら、また会う事も出来るだろう。
今日、悲しい別れを体験した。
そうではない今生の別れを・・・
それはコイツ・・・
オレのピアノ・・・「パフくん」(←今、名づけたらしい)
「PF」でパフくん
いいヤツだった。
いつもいい音を出してくれて、私を音楽の泉へと導いてくれた。
音楽の素晴らしさを教え、またギターしか知らなかった私に希望と知恵とインスピレーションを与えてくれた。
うまく言えないが、それまで2次元しか知らなかった私を3次元、4次元、そのまた向こうの世界まで教えてくれた。
コイツとは一緒に沢山の曲を書いた・・・
JYOWZZのプリングルス、スノーブラインド、ハーベスト、アラントイン・・・新しくはROXYに今、まさに制作中の「Patit Marsh」・・・
殆どんどの曲はコイツと書いた。
スタフラでもDay in Day Out、とかはコイツに頼って書いた。
その他にも未発表が私趣味で作曲しているピアノ・ソロ曲も書いたし、先のStunFlyer/「BluesSqeeze」。
今、録り終えたスタフラ/JYOWZZのアルバムのレコーディングにも使用。
昔、発売した私の個人プロジェクト「Jー趣味厘’S」や限定発売したピアノ・ソロのアルバムのレコーディングもコイツでした。
本当はステージ用ではないが、何度かステージに持ってあがったこともあった。
コイツさえあれば作曲にレコーディング、ライヴはおろか、楽譜を使えば500年前の巨匠が書いた曲でさえこの手にすることが出来た。
コイツとの付き合いは古く、実に20年くらいになろうか・・・
まだ私が若くしてギター講師をしている頃に鍵盤に興味を持ち、それまで無駄に浪費していた講師料をたまには意義のあることにって、たまたま贅沢に購入したものである。
当時の価格で20万くらいだったろうか?
以降、私の実家でピアノにのめりこみ、東京にも持っていき、また金沢へ、そして今のマンションにまた持ってきて、私の住所変更はコイツの住所変更でもあった。
買っては見たものの、弾く術を知らない私は当時の彼女に教えてもらい、「エリーゼのために」とか、モーツァルトのソナタなんかを弾き始めた。
バイエルやハノンなんかは退屈ですぐにやめてしまったな。
程なくポピュラーなものも独学で弾き始めたが、一応、講師でコードの知識はあったので、すぐ作曲に使うようになった。
東京時代、思うようにバンド活動が出来なかった頃、コイツはよく慰めてくれた。
その時に沢山コイツと作曲もしたし、一番ピアノを練習した。
バンドが無くてヒマだったからギター4時間、ピアノ4時間、仕事から帰ってきてから寝る間を惜しんで練習していた。
金沢に帰ってきてスタフラが好調でJYOWZZが解散同様だった頃は半年以上、弾かない期間もあったが、コイツは私を見捨てなかった。
「私の夢はベートーベンの「月光」を第3楽章まで全編弾くこと!!」
である。
でももうコイツとその夢を叶えることは出来なくなった。
・・・・・・・・JYOWZZのレコーディングの終了が見えてきた夏過ぎから時々、音が突然消えるようになった。
そのうえ、鍵盤を押しても音が鳴らなくなり替わりに「ヴィー」と変な音がするようになった。
これを「PF」のマーク右斜め10cm上をグーで上から秒速25cm、進入角度45℃で殴ると症状は治まった。
正に昭和の電化製品の直し方である。
その頻度が段々ひどくなってきて、ついでに鍵盤もイカれかけてきた。
ト音記号のC♯の黒鍵が押したら戻らなくなってきたのだ。
これではKeyがA、D、Eの曲は全然弾けなくなってしまう。
他にも弾くとキーキーいう鍵盤が多々あり、もう既に交換部品はなく、「もう限界かな・・・」と判断してしまったのである。
とはいえ、私は楽器を手放すということを殆どしたことがない。
ギターも手元には無くても誰かのところにはある。
つまり生きているから会える可能性はあるのだ。
しかし、コイツは・・・
残念ながら粗大ゴミ行き・・・
もう会うことはないのである。
今まで当たり前に私の傍にいて、苦難も喜びも一緒に分かち合った朋友がこの世からいなくなるのである・・
悲しすぎる・・
今日、コイツがこの家を、私のもとを、この世から去る日がやってきてしまった。
なごり惜しくて、夢中になって2時間は弾きまくった。
今までコイツで作曲した曲や苦心して練習した曲、まだ作曲途中の曲を夢中で弾きまくった。
私の視線。いつもこうやって弾いてきたのに・・・
そして時間がだんだん迫ってくる。
ついに別れの時間がきてしまった。
「最後に弾く曲は何にしよう・・・」
なかなか踏ん切りがつかない・・・
最後はコイツに捧げる高田純二作曲の「別れの曲」を即興で演奏し、最後、高い「レ」の音で、お別れした。
これで、もうコイツのあの音を聴くこともない、一緒に作曲することもないのだ。
物にはいつか壊れるときがくる・・・
しかし、私にとってこのパフは物ではない、相棒だったのだ・・・
出来ればずっと一緒にいたかった・・
もっと上手に弾いてあげたかった、もっと沢山作曲したかった。
しかし、それはもう叶わない夢なのだ・・
さらば!!パフくん!!
もうすぐオレもそっちにいくから・・・