一昨日は、東京から帰福して孫と共に春頃からかな名古屋に行きたいこともあって行くゾ!!と言っていたのが丁度昨日となってしまった。
何か展覧会は?と思っていたときに東京の出光美術館での仙展を見ながら名古屋ではと探していたら徳川美術館で新館開催20周年記念・秋季特別展ということで来月の4日まで「王朝美の精華・石山切」展があることを知った。
先日、京都の「西本願寺」を1時間半超にわたって熱心にご案内賜り、白書院や飛雲閣・唐門や国宝・重文の能舞台・その他many manyなる国宝・重文のところを拝観させていただいた。その時に国宝「西本願寺本三十六人家集」のことが頭を過ぎった。今いずこに!!ということと共に色々なSYOINGも浮かんできたが、現実の眼の前に繰り広げられる西本願寺の重厚にして緻密なる文化・芸術の粋をゆくものをご案内されながらなので脳裏のものはチョットおいておこうと思って帰福した。
そして"徳川美術館"の「石山切」や「尾形切」「糟色紙」などが展覧されているという。何度か徳川美術館には伺っている。それは美術館が蔵している「古墨」については、並のコレクションではないので、我師宇野雪村先生の「古墨」に対しての知見を実証したり、唐墨に対する広凡なる知識を実際の目で見ておかないとの思いから「墨」に対しての展覧の時は何度かお邪魔していた。
今日は、地下鉄とバスで行くのかと思い、栄からバスに乗った。名古屋は道幅が広いので、15分で着き3分ほど歩いて玄関に。大名の祭礼や雅・武家の式楽など徳川家の伝来する展示が続く、第9室くらいだったか、かなの料紙の競演が始まり、多くの方々が自分の眼でズーム眼鏡を持して熱心されていた。
なんといっても何も"古筆"についても"かな"についてもご存じない方であってもこれだけの多彩で多感する料紙・紙の世界そしてさまざまな布地を使い豪華する書幅そして一点一点見れば見るほど品格を有する作品・表具の仕立て等はよほどの通人でなければその良さの真意は分からないだろうが、実に調和があり、能衣装などの布地を使ったものもあって見事という外はない。すうっと見たと思ったのに約2時間半は費やしてしまった。そして、一点一点の印象が今も残っている。うーんもう一度も二度も見ないといけないように感じている。あの品位品格そして呼吸する時代性は是非見たい!!
昨日・今日と東京で、ほとんど空き時間がない程につまっていたのだが、半蔵門のホテルを出るときに毎日新聞が入っていて、パラパラと見ていたら、パット見たことのある女性の方が眼の前に入ってきて、驚いた。
10月31日に千代田区の紀尾井ホールでヴォイオリンの演奏会をされる徳江尚子先生だった。つい先日もどうしておられますかとお電話をいただき、日本の猛暑の後でロンドンでのリサイタルに向けての猛レッスンや体調を整えられて帰国され、まだまだ暑いので、心配されてのことだった。
その折に31日のことを知らされたので、今日の紙面は納得し、頑張っておられるし、東京でもソナタの最高傑作であるベートーベンの曲についての興味が語られていたので、SOLD OUTになられるるのではないだろうか。
その記事を見つめ、昨日いただいたDUBAIからのお土産やF1のTシャツはじめ、色々なグッズなどがいくつもの手提げとなってしまったので東京駅に預け、さあ、どうしましょうと時計を見たら、丁度10時だったので、有楽町に出た。"仙"さんの展覧会が出光美術館で開催されているのは知っていたので、のぞこうかと決心して入館。朝早いのにかなりの人達が熱心に見ておられる。
江戸時代、そして九州・博多・禅のお坊さん等そしてユーモアを交えた画賛文の俳画などがいくつも思い出されてくるので、それらは何回も見ているのだけれども今日も又、新鮮な目で会うことが出来た。
出光美術館のコレクションは凄いことは随分前から知っていたが、これでもかこれでもかというせまり方で今日の展覧は力強く大きく感じた。
禅のお坊さんが何故"南無阿弥陀仏"なのということや七福や三福や十福や色々な花に対しての思いや酒脱(しゃだつ)など一点一点詳しく見つめていくには全く時間が足りないと感じるくらいに充実した展示であり、仙の周辺にあった茶碗や硯そして手紙文などもあり、"人物"に対しての考察もできそうで、来週も又、時間を見て来てみたい。○や○△□を見つめ、大宇宙を感じたいのです。皆さんもどうぞ
第8代福井フェニックスR.C会長のI氏の話は、いつ伺っても愛があり、慈があり、笑いがあり、チクリがあって楽しく聞かせていただいている。自分に対してのロータリーを又、入会された方々に対しての特典等は昨日書かせていただいた。I氏ばかりでなく、10代目の会長だった吉川壽一のR.Cに対しての考え方も踏まえて書かせていただいている。
若人に対しての企業人としてのメッセージも當を得ていて、聞いていて歯切れよく、実際の社長の現場(三菱自動車販売という中では問題が近年たくさん出て、0まで落ち込んだものがどこまで回復してきたのだろうか。今日の新聞にもリコールの記事が何社か出ていたが、扱う部品がデジタル化されていたり、平均的に10万~20万キロ走行する"今日の車"から言って、安全に対しての問題は売るばかりでなく、常にそばにあると言っていいように思われます。)からお話されたことをメモを追って記してみましょう。
ほとんどの企業が30年・50年と続く中で、14.5年のお手本やマニュアルがあったが、今はもうそれはなくなった。明日に向かって攻めの仕掛けがないとイケナイ。コンビニなどは今秋のごはんがヒットしても来秋のごはんのヒットは同じところにないということで、現代の企業のお手本がそこにある。ビジネスは売れれば100で勝、売れなければ0で負が明解である。
そして、過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる。情熱が最も大切なことで、マニュアルのない未来に向かっている時は自分で解決し、生み出してゆくしか方法がない。
さめて評価をする人はイラナイ。評価を下げた企業は情熱を持って上昇させるしか道がない。そして、あなた自身の色とあなたの器の変化を見つめて人の教えや自分自身の廻りにある伝統を受けつぎながらパソコン・インターネットなどを使い、新感性を磨き、応用する力、グローバルさせる力を養っていって攻めるビジネス人を目指してほしい。そして、余裕が出たらロータリークラブへどうぞ!!
第2650地区の我フェニックスR.Cに新会員が入会され、丁度50名となった記念の日となりそうです。月間としては、米山そして職業奉仕や社会奉仕など色々な奉仕の意味づけや内容などが繰り返し委員長より話があり、7月から始まった新年度も軌道に乗り出してきたという感じですね。
新しい試みとして3分間の卓話が当クラブ会員によって進められている。あっという間の3分だが、話をするとなると原稿用紙1~2枚はいるのではないだろうか。本日は、第8代の当会会長を努められたIさんが3分卓話された。
三菱やスズキのディラーの社長をされておられて一本シッカリしたスジが通った方である。でも孫さんのこととなると尋常でなくなってしまう。人間味豊かな人柄の持ち主であります。
今日は、私の考えるロータリークラブということでお話された。私見として、もともとロータリークラブは、アメリカのシカゴで生まれたのであって日本の情緒的思考はもともと持ち合わせていないということで五穀豊穣的、日本の祭感覚とは程遠い権威主義がはびこってきているのはいなめない所であり、これらの考え方は、財団にしても米山にしても何かおかしい所に来ていて会員がかなり減ってきているのです。この辺は、私も意を同じくしています。
Iさんは、ロータリーとは物=金、身=体、心=善意を使って汗をかくところです。と明確な答え。又、入会されたら①一度に多くの友人を持つことができる。②色々な他の業界の情報を知ることができる。③困った時やトラブルに対しては電話一本でその業界のエキスパートに相談が出来、ほとんどロハで答えがいただける。④週に1回自然な形でのビジネス交流が出来る。⑤人間形成の修練の場になもる。
何も分析することない形で出席しているので、5つの特典を掲げて見るとあらためてすばらしいのだと思う。もっと新入会員の方々などには手をさしのべて密度をもっと交流することが大切のようであります。第2650地区などと記さないで!!
今月から始まったNHKの連続ドラマ「ちりとてちん」は若狭の塗り箸屋のお話である。この連ドラは、どんな形で話が進むのかは全くわからないし、知らない。先日といっても2ヶ月も前になろうか、"ちりとてちん"にちなんでの1カット撮影があり、その中で師匠と弟子という関係項を見つめる形でのカットが撮影された。これが連ドラとどういう関係があるのかも分からないが、とにかくどこかで出るのか、又、没になって出てこないのかも分からないという半分訳のわからないワンカットをすませたのは事実だ。
我フェニックスRCは、福井ワシントンホテルで例会を開いている。これまでは日本食や幕の内弁当だと必ず"わり箸"が出ていたが、我会員のM氏は、地球環境の問題や東南アジアでのポリオワクチン投与などを見つめてゆく中で、"マイはし運動"の大切さに気づき、率先して自分だけの"箸"を持ち歩き、このホテルにも我クラブだけかもしれないが、運動の徹底を進言して、現在は塗り箸が出されている。
わり箸などに使用されるものはほとんどが中国産で山の木々をそっくり伐採して作り出されているとの事。これが東南アジアそしてロシアにも拡大されていっている。日本の場合は、資源有効活用ということで、間伐材や建材を取り出した後の木片で作られているようだけれどもこれを棄てたり、燃やしてしまってはせっかくの"木"に対する感謝の念や畏敬の念が忘れ去られてしまっているということになる。
料理屋さん・すし屋さん無論料亭そしてファミレスでも割り箸であるが、このような大量な使用は、日本の伝統や衛生感という形では納まらないところに来ていて、多面的にライフスタイルも考察すべき時に来たといえるのではないだろうか。
若狭ぬり箸のところが"ちりとてちん"なので、日本全国津々浦々する絶好期。地場産業の塗り箸の宣伝と共に"マイはし運動"も一考してゆくべきだと感じた。今回も居酒屋で割り箸が出てきたので、一瞬と惑ったが、自分で持ち歩くまではいたっていないのですが、皆さんは如何ですか。
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