12月8日~20日まで京都・嵐山にある天龍寺塔頭の宝厳院の書院を使用し、又、獅子吼庭園や枯山水、苔などのあるお庭でのアブダビの有名書家ムハンマド・マンディさんとの二人展「書の世界」が始まろうとしている。
いろいろなことが巡ってきてどんな感性でどう整理すればよいかをここ数ヶ月やってきている。あの緑の多いアブダビの首都。常に花壇や町には花花である。そういう都市環境を砂漠の中に作り、それを常々維持していることへの驚き、柑橘類は100%自給自足。これはどの国を指しているのだろうか。全く暑いし、砂漠のど真ん中だから不思議である。
そんなことを何回かのUAE訪問で知り、マンディさんとの二人展はどんな構え方でやるのかを常日頃から思考してきた。彼のふる里満天の星のもとにある壮大するアブダビの赤沙砂漠のもとにある「明かり」と140年間非公開の宝厳院の獅子吼庭園の「闇と明」この中でうごめくアラビアの書法と日本の書法によって「途方もない」と感ずる舞台を創りたいと考えています。
お寺を巡っての思考は、やはり私が主体となってやらなければならない。日本には、宗派もたくさんあってそのお寺さんは何派で仏様は何であり、経は何であるかなど基本と根本に対しての感応が日本では大切で、イスラム教のようにアラーの神という"それそれそれだ"ということからの場の求め方はチョット違っているように感じている。
従って、今、日本は宝厳院での禅は、天龍寺派とは臨済宗とはなど、などすべてが?で取り巻かれている中で吉川壽一はどんな仕事をしどんな"途方もない"を見せられるのか、頭の中は秒単位で廻り続けている。赤沙砂漠に対しての壮大さを思考しなければ悩みはほとんどないが、時代が2007年そして師走。あと何日で2008年の新しい年の幕が開くという"時"だったらおのずと解はよりよい壮大ということではないだろうか。