Dr. 讃井の集中治療のススメ

集中治療+αの話題をつれづれに

82歳シスター医師、約5カ月ぶりにハイチへ

2010-04-21 04:38:27 | 集中治療
このような日本人の先生がいらっしゃったとは知りませんでした。

以下新聞記事http://www.asahi.com/international/update/0420/TKY201004200217.html

大地震に見舞われたハイチで約30年間結核患者の治療に携わってきた医師でシスターの須藤昭子さん(82)が、19日夕、被災地視察のため成田空港を出発した。1月の地震発生時、3年に1度の一時帰国中で、現地に戻れなくなっていた。滞在先のめどもつき、約5カ月ぶりに、ハイチに戻る願いがかなう。

 須藤さんは1970年代半ば、まだ結核患者が多かったハイチに渡り、今回の地震の震源に近いレオガン近郊の国立結核療養所で結核やエイズの患者の治療にあたってきた。一昨年、第一線から退いたが、植林・営農支援や後輩の診察の手伝いなどをしながら、引き続きハイチを拠点に活動を続けてきた。

 地震後、所属するクリスト・ロア宣教修道女会(本部・カナダ)からハイチへ戻る許可がおりなかったが、財団法人結核予防会の医師らが同行してくれることもあり、視察名目で2週間の滞在が可能となった。

 ハイチは現在雨期で、衛生状態が悪い。須藤さんは荷物にたくさんの蚊取り線香を詰め込んだ。各地に散在する結核やエイズの患者が、治療の中断によって、体の中で薬が効きにくい菌やウイルスが出る恐れがあると懸念する。「家の再建とか、食糧確保のための畑作りとか、他にもできることは手伝ってこようと思う」と、須藤さん。

 帰途カナダに寄り、来月半ばに日本に戻る予定だ。地震直後、国際医療支援でハイチに入った山本太郎・長崎大学熱帯医学研究所教授は、「須藤さんが戻ったら、支援策を一緒に考えていきたい」と話す。

以上記事終わり。以下私事。

私が初めて教科書に載るような結核の初感染を見たのはマイアミで小児科インターンをしていた時でした。

15才の女の子でマイアミの親戚を頼って来米(移民)2週間。ハイチにいたときから1ヶ月の発熱があったらしい。胸部写真上、肺門部リンパ節腫脹、胸水、浸潤影が右の中葉とS6にありました。4剤で始めて米国では珍しく2週間ぐらい入院していた。DOT(directly observed therapy:家に毎日行って薬を飲んでいるか観察する)の手続きを取ったり、十何人いる家族や親戚を呼んで検査、予防投薬の手はずを整えたりするのに時間を要したのが理由だったとおもう。英語が通じない(クレオールという仏語に似たことばが母国語)のでN-95マスクをつけながらの陰圧室でのジェスチャーのcommunicationのみでしたが、笑顔が印象的でした。HIVは陰性。

そういえば、マイアミのお友達麻酔科医のラミロというイタリア系米国人(イケメン)がハイチで活動しているという記事をASA(米国麻酔学会)のニュースレターで見ました。

つきなみですが、須藤先生は医師としての原点を思い出させてくれるような素晴らしい先生のようです。

讃井