サロン中央アジア

中央アジアの自然と人々

渋滞のアルマティ

2009-08-17 16:20:06 | 中央アジア日誌
今回も、最終日はアルマティ市中心部のバザールに出かけた。何十回も来ていると、土産物を選ぶのも億劫になる。出かけるのはよいが、途中の渋滞には辟易する。以前は30分の距離が、今では60分はかかる。この2,3年の間に、ずいぶんと道路の立体交差が増えたが、効果はさほどでない。現在は、アバイ通りなどの拡幅工事中で、渋滞はひどいものである。走っている車は、8割が日本車で、ドイツが1割、残りがロシアや韓国車だろうか。90年代終わりから21世紀初頭の間は韓国車がすごい勢いで増加したが、3年ほどで一気に消えて行った。沙漠の国では韓国車の質では耐久性がないことが分かったのだろう。8割の日本車の内訳は、2割が新車であとは中古車というところである。我が運転手の車もデリカに変わっていた。この街の地下鉄の部分開通は来年からと言われているが、実現するのだろうか。風が吹かない街でのこの車の増加は大気汚染の深刻さを増している。 . . . 本文を読む

イリ川河畔でゴミの山に出会う

2009-08-11 02:35:12 | 中央アジア日誌
1992年から3年間、農業と環境の調査をしたソホーズをひさしぶりに訪ね、その帰りにイリ川河畔でテントを張り一泊した。中国の新彊ウイグルから国境を越えて流れ下り、カザフのバルハシ湖に流入するこの河は、これからのカザフと中国との国際問題となるだろうと推定される河である。上流の中国領内にダムが建設され、農業用水が取水されるようになるだろうと思われているから、バルハシ湖への流入水が激減し、アラル海の二の舞になるのも時間の問題であろう。アラルの教訓が中国とカザフの両国で生かされるだろうかと心配である。テントを張った河畔はアルマティ市の市民の避暑地である。テントを張る場所を探すのに苦労をした。流れの音がまったくないイリ川を堪能した翌朝、テントの付近を散策すると、写真のようにゴミを投げ捨てて人々は去っていく。カザフはビニール袋などの散乱ゴミは世界でもトップクラスと言われている。沙漠の至る所にビンやプラスチックゴミが投げ捨てられている。増水時には、河畔のゴミは流され、バルハシ湖に至るだろう。水が涸れる前にバルハシ湖はゴミの湖となるのでは。 . . . 本文を読む

スイカとメロンの季節

2009-08-09 21:47:19 | 中央アジア日誌
日本人が誰もいないカザフスタンに入ったのは1990年である。それから四苦八苦しながらアラル海の調査にこぎつけ、20年近くの歳月,この地に通ってきた。最初の調査地を、当時の首都であるアルマティから250キロ離れた沙漠の中にある水稲栽培ソホーズにした。今回、数年ぶりにこのソホーズを訪ねた。村の様子はしばし置くとして、この季節の道すがらの楽しみはスイカやメロンの露店である。7月から9月末ころまでは、どこに行っても写真のような街道の八百屋に会える。安くておいしいメロンを食べて、また沙漠の道を走る。今日のカザフの通貨(テンゲ)とドルとの関係は1ドルが150テンゲである。1ドル95円前後の日本と比べてみてください。1㎏の値段は、スイカ:30テンゲ、メロン:60,トマト;70、茄子;60,唐辛子:150である。後ろの木陰にテントとトイレを備えた露店のおばさんは気前よくまけてくれた。 . . . 本文を読む

アルマティの8月は

2009-08-08 01:55:08 | 中央アジア日誌
 アルマティの我がアパートは4階にある。3棟のアパートが囲んでいる中庭広場には20本ほどの高木がある。いずれの樹種も、4階を超えて、高く伸びている。強風が吹くことの少ないアルマティ市の街路樹もみんな4階や5階のビルを見下ろしているほどに背が高い。写真は4階の我が家の窓から手が届きそうなところに果実を実らせた洋梨の樹である。食べるには早すぎるが、夕方には鳥がやって来て実をつついていた。  この時期は毎年、集中給湯システムの温水管の点検修理期間である。今回の滞在は、我が地区の工事期間中にぶつかり、温水が供給されず、シャワーなしで過ごさなければならない。まだ果実が完熟していない季節だから、行水ができる気温である。今朝は行水とした。この工事は市内地区を順番に移動して行き、9月末には市内全体で終了する。9月後半に工期が当たると悲しい。9月半ばからは秋だから、行水は少々つらいものがある。その頃になると、この洋梨は食べごろとなる。 . . . 本文を読む

アスタナ訪問

2009-08-07 02:21:23 | 中央アジア日誌
カザフスタンの首都アスタナに出かけてきた。アルマティから空路で1時間半ほどである。日本の建築家黒川氏の設計で建設された市街は、バブル期特有の奇天烈なビルが並んでいる。何回やって来てもなじめない街である。日本大使館を訪問したあと世銀のプロジェクトで働いているカザフの友人と会食。議論はカザフ国内の農地における塩類集積対策であった。このビル群とはなんとも縁遠い話題であるが、一歩市外にでれば塩に悩む農地が地平線まで広がる。アルマティ空港に戻って来て、アラタウ山脈に見とれて一日が終わった。 . . . 本文を読む