南京事件の一つとされる【夏淑琴】事件についての考察

2018年05月11日 20時32分39秒 | 1937年 南京攻略...

1937年の南京事件には、虐殺事件として有名な 夏淑琴事件というのがある。日本でも東中野教授が訴えられた事件として知られている。
その事件の概要は、1937年12月13日 激戦区の中華門の東北の新路口にて、家主4名、借家人である夏淑琴氏(当時7歳)の一家7名が家に留まる中、突然乱入してきた日本軍兵卒によって家主家族、両親祖父母と乳飲み子の弟が殺害、姉二人強姦殺傷された事件である。又周辺一帯で約500名程が日本軍に殺されたとされている。事実ならば非常に陰惨で悪質な虐殺のケースとなり得ると考えられる。重要な点は、夏淑琴氏のみが事件を知り得る証言者であること。そして数々の証言をされていることである。
夏氏と妹のみが生き残り、2週間後に近くの養老院の老婆により発見される。その後養老院から叔父叔母に引き取られ、その話が安全区委員会に伝わりマギーが調査に出向き、安全委員会の219件の短文の報告や、通称マギーフィルムと呼ばれる映像を映している(現在Yotubeで見ることが出来る。夏淑琴氏の事件は2:59ぐらいから)。この事件は東中野教授が偽証言者と記述したことで、名誉毀損裁判となり、東中野氏側が敗訴確定した(東中野教授が肯定派からエセ学者と言われる判決を受けた)。その中で、夏淑琴氏は当時撮影されたマギーフィルムに映る少女としては一応歴史的な根拠のある証言者として判決がなされている。

以上が事件のあらましと発覚である。

この事件の主な登場人物を紹介することにする。
主人公は、当然ながら、 

夏淑琴(7歳か8歳)【殺害行為の目撃者&証言者】でマギーフィルムに映る少女その人である。


その事件を証拠づける人物として次の人々が存在する。
ジョン・マギー:非目撃者
②《姓名不明》叔父(母親の弟):非目撃者
王芝如(叔父の妻24歳):非目撃者
④「老人堂」の老女(フィルムに映る老女):少女発見者、非目撃者
⑤夏の祖母(母方の母親):非目撃者
⑥夏の妹(4歳):準目撃者(幼少故証言能力無し)

【被害者】
馬氏家族(家主、妻、子供2名) 4名
夏氏家族(父親、母親、祖父母、姉2名、弟1名)7名、

前述したように、証言内容や目撃者の有無などから、ある種の【密室虐殺事件】であり【目撃者は夏淑琴氏以外には存在しない状態(ここ非常に重要)】である。
証言内容等から、夏淑琴氏の家族の下宿の家は井形の構造と考えられる。



引用元(https://read01.com/jj52gKx.html#.WvUEAYWr9_o)

 

次いで、笠原十九司氏『体験者27人が語る南京事件』における夏淑琴氏へのインタビューを紹介する。ゆう氏のサイトでもすぐにでも確認できる。

そこには夏氏自身の【目撃】証言者としての資格を失う部分が存在する。しかもその証言により事件そのものが【何者か(第三者)の創作物】の可能性の疑惑すら感じさせる。
その重要な部分を引用してみると


《私の家族の悲劇について、最初に話してくれたのは叔母でした。いま話したような家族の状況は、私はまだ小さかったので、叔母が話してくれたのを聞いたのです。私は、時には叔母を恨むことがあります。もしも彼女が私の名前を他人に言わなければ、南京大虐殺被害証言者として、いろいろな辛い、嫌な目にあうことにはならなかったはずですから。》

この証言で【最初に話してくれたのは叔母でした】とある。つまり、【目撃】の【記憶】を持つ【目撃者】ではない事を自らの告白している。そして不思議なことに夏淑琴氏は当時叔母夫婦は北の南京安全区へ行っており当時不在であったはずの【当時現場に不在で目撃し得ない叔母(王芝如)】が何故か事件の詳細を教え聞かせたことになっている。
この事について【一次史料】である、国際安全委員会のジョン・マギーの安全区当案に掲載された報告を下記に記述する。第二一九の件は、訳出と出典が異なる為、重複して記述してあります。

 

第二一九件 
ジョン・マギー氏のきくところでは、十二月十三日から十四日にかけて、城南に住む一家の家族一三人のうち一一人が日本兵に殺され、婦人たちは強姦され、手足を切断されたとのことである。生き残った二人の小さな子供が話してくれたのである。(マギー)
(「南京大残虐事件資料集 第2巻」 P116)
*ゆう注.この事例は、「夏淑琴さん事件」として知られています。
(ゆう氏サイトより『夏淑琴さんの証言集』 【Link】 http://yu77799.g1.xrea.com/siryoushuu/kashukukinshougen.html)


第二一九件
一月十三日、十四日の両日、日本兵は南城姓某家で一人を殺した。婦女は汚辱された。二人の子供だけは無事であった。

(『外国人の見た日本軍の暴行』ティンパーリー原著 評伝社 P.183 10行目 附録 南京暴行報告(続二))


第二一九件
ジョン・マギー氏が聞いた話によれば、十二月十三日から十四日にかけて、南市のある家族13人のうち十一人が日本兵に殺され、女達は強姦されて手足を切断された。二人の小さな子供が生き残りこの話を語った。
(冨澤繁信『「南京安全地帯の記録」完訳と研究』 P.292 第五十六号 現在の情勢に関する覚書)

又東京裁判でのマギー氏の証言は、

一九三八年(昭和十三年)のある日、南門の内側辺りへ行くと、そこでは中国人が五百人くらい殺されたということであったが、案内された一軒の家での年老いた老母の話によると、そこでは沢山の子供が殺され、唯二人の子供だけが逃げたとのことであったが、八、九歳の少女の話によると、日本兵が入ってきた時背中を二度ばかり刺され、その傷はもう大分治っているとのことであったが、その刺された傷を私に見せたので、私は写真を撮った(注・この写真も検察側証拠として提出されていない)。
冨士信夫著『「南京大虐殺」はこうして作られた』 P.38)

ジョン・マギー氏の証言には、1月31日にスマイスのまとめた【第五十六号 現在の情勢に関する覚書】に掲載されているが、この報告作成がいつとは明確ではないが、1938年は間違いなく、少なくとも19日間の時間があった事を示している。しかも其外に500名程の支那人が殺害があったとしている。しかし証言残っているのはこの夏淑琴一家のみで他の500名程の支那人のケースとともに、殺害現場の目撃証人の記述や証言も残っていないという不思議なマギーの報告である。つまり、この一家を含め500名程の支那人(非交戦者かどうかも不明)が殲滅され、夏淑琴氏のみ生存者と強調付けたかったという見方も出来る。

当時支那軍による安全区への避難命令が出されていたことは、New York Timesの特派員F.T.ダーディン記者の南京発12月8日(水)特電の記事にも記されていて、

The Nanking defense commander, Tang Sheng-chih, proclaimed the city within the zone of hostilites and decreed that all noncombatants must conecentrate in the internationally supervised safety zone. The movement of noncombatants elsewhere in the city will be banned, except for persons holding special permits to be indicated by a symbol specially stamped on yellow arm bands.

【当方訳(誤訳の可能性有)】
南京守備隊の司令官唐生智(Tang Sheng-chih)は、戦場は街へ突入したと重大な宣言をした。全ての非戦闘員は国際的に管轄された安全区に集まらなければならないと命令した。非戦闘員が市内のどこかへ異動する事は禁止された。特別なシンボルをスタンプされた下黄色い腕章を示せる特別に許可された人間を除いて。

とあるように、この軍や政府の施設のある近辺で、老人や女子供などが【避難】していないと言う事の方が異常な状態であり考えにくい。

マギーの其の他の証言にみると、

『マギー牧師の解説書』より
彼女と夏氏の兄、さらには八歳の少女に問いただすことによって、この惨劇に関する明確な知識が得られた。
(『ドイツ外交官の見た南京事件』P177:ゆう氏サイトより)

ここには、不思議な【夏氏の兄】という不思議な文言が出ているが、【兄=叔父】と考えて一旦無視はしておく、問い質すことによって得られた情報には、答えたのは目撃者でも無い叔父叔母の情報も含まれていると考慮しなければならない筈である。

 

当時の日本軍の行動に目を向けると、先ず47聯隊(熊本)が中華門城壁西側を突破しが13日午前3時に第6師団歩兵第13聯隊(熊本)が中華門が激戦の後開放され、第114師団の115連隊、150連隊も東側の雨花門を攻略侵入、午前8時以降には城内掃討戦を開始している。

 

この図から見ると、1937年12月10日から始まった南京攻城戦に於ける激戦場一つである南京城市最南の中華門の近くの支那人住居集中エリアであることが判る。秦郁彦氏の著書『南京事件』にある【南京城内要図】を見ると、憲兵司令部や内政部などの政府機関の建物があり、防衛兵站備蓄の拠点なり得た場所で、居住民には安全区への【強制的な避難命令】が出ており、当時その様な中で一民間人一家が居ると言う事は考えにくい。また、騒音という面でかなりの支那人兵卒で溢れて物々しくあり、そこから北に離れた南京安全区でも南からの砲撃の音が響いていたとラーベの日記で記述があるように、激しい戦闘があったであろう新路口という城南のエリアで、新路口よりやや北にあるセントポール寺院から北を望んだ画像にも破損した屋根などが散見でき。戦闘の砲弾とうがここまで及んでいたことが判る。


 

セントポール寺院から北を望む(出典:イエール大学ライブラリー)

 

新路外と思われるエリアにはピンク色で斜線。

 

これらのことを含めて考えても、夏淑琴氏の証言のような日常生活が継続出来る筈はないし。子供心に恐ろしいはずのもの凄い爆音や震動が記されていないなど証言にはとても不審な所がある。

 


【結論】

【笠原インタビュー】や戦闘状況やマギーの証言も含めると、マギーが調査にやってくる前に何者かの創作を聞かされ教え込まれたとの疑いの可能性が出て来た訳で、証言の内容をそのまま【真実】とするには大きな問題がありすぎる。

但し、夏淑琴氏の名誉の為に氏が【虚言】を弄したと主張するつもりはない。ただ、擦り込まれた【記憶】を【証言】しているに可能性のある【無垢で正直な人物】であるとお断りをさせて頂きく。

 

2019/7/4 ゆうサイトリンク変更。新路口地図変更。
2020/2/10 ゆうサイトアドレス変更につき、『夏淑琴さん証言集』へのリンクを変更


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
すべては、おば、米宣教師捏造 (歪曲歴史認識修正学志望者)
2019-12-01 18:09:46
最初に、7-8才児童は、"おば(母の妹)から、聞いた"と証言。よしや、殺戮実在としても、奥の間ベッド下に潜んでいて、直接目撃したわけ(できた)ではない。犯人を日本兵冤罪に仕立て上げたのは、マギー スマイス
フィッチ
おば(母妹)でしょう。中国軍センエイ71軍88.87.36師団他5-15万人。旧日本軍と兵力拮抗していた。(カンカン狩り、空室ケンペキ清野焦土作戦)。中国軍敗残兵可能性です。
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Unknown (れきし認識修正学者志願者)
2019-12-08 19:04:53
500人殺し事実確認必要です。
夏淑琴し 背中傷確認必要です。
中国側南京防衛軍=便い兵 配置:戦闘しょうほう調査必要ですね。1937/12/13 午前ならば、中国側南京防衛軍兵隊現場に
残留可能性あります。
マギーフィルム負傷者は、誰が、病院へ運んだ?占領後の殲滅掃討作戦中ならば、誰も病院へ運ばないでしょい。占領前での、負傷者存在証拠ですね。中国側加害者可能性ですね。
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時系列的に双方共に (Unknown)
2020-04-30 19:55:04
可能性ですが、"遣り口"からして、退却軍、しんがり部隊の可能性です。突撃突入軍は、スターリングラードフィルムごとく、待ち伏せ攻撃を受ける可能性。まずは敵の"火力"を潰すが先決。強姦殺人は、"空室清野=焦土作戦"の遣り口。と思います。
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時系列的に双方共に (南京渋多(プロテスティア))
2020-05-02 14:58:58
皆さまコメントありがとうございます。
実際の所、中国軍の仕業かどうかということは、当方には判りかねます。
ただ、当初から【情報宣伝戦】の一環として行われていたのではないかと想像しております。
宣教師は【善意】の【虚偽の伝達者】としての役回りをしたのではないでしょうかね。
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王芝如(ギリ叔母)は共産党幹部=目付では (歴史認識修正学者志望者)
2020-05-27 15:58:41
ギリ叔母(=王芝如)の証言・供述・存在により信憑性が損なわれています。一連のマギー報告書、フィルム解説文、供述に対するのみならず、夏淑きん(=生き残り少女)供述内容に矛盾しています。年齢(24才の老女性?)、身分(近所の老女性=見ず知らず、対する親族ギリ叔母=以前よりの顔見知り)、隠れた生活中に発見された、気を失って横たわっていた。政府として何かを捏造(国府軍の犯罪)して、お目付け役でしょう。
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信用性を疑う証言 (南京渋多(プロテスティア))
2020-05-28 13:08:58
叔母という人物について、詳細がハッキリしてる訳ではないので何とも言えません。
ただ、【証言内容】については、【信用できない】部類のものであるということを裏付ける笠原十九司先生のインタビューという気がします。
ご本人は判って居られないようですが。笑い。
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