:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ ポーランド巡礼-6

2008-08-22 11:41:53 | ★ ポーランド巡礼記

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ポーランド巡礼
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第一幕 第三場

第二景「ディヴィナミゼリコルディア」 (つづき)

まずはお詫びと訂正から始めなければなりません。
前回、第二景のタイトルに「ディヴィノアモーレ」と書いたのは、実は「ディヴィナミゼリコルディア」の誤りでした。
前者は、訳すれば「神の愛」で、ローマに同名の巡礼地があり、
私の六つ前の記事「青年たちの祭典」の舞台となった場所でありました。
後者は、訳すれば「神の憐れみ」となり、それがこのポーランド巡礼の第三場、第二景の舞台なのです。
取り違えて書いている本人が、全く気付いていなかったのだから、ひどい話です。ここに訂正して、平にお許しを願うしかありません。

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さて、前回は思わせぶりに「どうぞ、続きをお楽しみに」などと書いたものですから、
次はどうなるか、と皆さま過大な期待を持たれたのではないかと、心配になりました。

なぜなら、私にとっては「思いがけない打ち明けばなし」でも、
読まれる方によっては、「なーんだそれだけの話か、つまらない!」とがっかりさせることにならないとも限らないからです。
現に、前回の聖テレジアの絵について「そこはかとなく色気が・・・・」と書いたら、
すかさず同級生から「貴兄の言う色気の意味不明」と鋭いコメントが入りましたものね(笑)。・・・全く自信をなくします。



その、問題の「打ち明け話」です。
わたしは、あのような過去からタイムスリップしてきたような古風でゆかしい出で立ちを好むシスターのことだから、
当世風の簡素な修道服の、いや一層のこと制服を脱いしまった、シスターたちにくらべたら、
さぞかし保守的な古い信仰形態の持ち主なのだろうと想像していました。ところが、それはとんでもない思い違いだったのです。

かえって、早々と古い修道服を脱ぎ棄てた変わり身の速い修道会の多くは、
ともすればその改革が服装などの外面的手直しに終始し、
その基本的精神は公会議以前の時代に生きた創立者の精神を公会議の精神に照らして見直し、
会則の根幹や活動の本質にまで及んで抜本的改革のメスをいれることなく、あくまでも過去に忠実に、
今も同じ道を踏襲しているのが実態ではないでしょうか。
個々の会員にしても、多くは公会議後の新しいカリスマを十分に呼吸する機会を持つことのないまま入会し
(もちろん例外はあり得ましょうが・・・)、
伝統のなかに同化され取り込まれていくのがふつうではなかったかと思います。

ところが・・・ですね、このシスターの場合、
私が日本からローマに亡命してきた高松の「レデンプトーリスマーテル」神学院の関係者であると知った途端、
ぱっと顔が輝き、「私もこの修道会に入る前は、新求道共同体の道を歩んでいたのよ!」と嬉しそうに打ち明けました。
「同じ精神の日本人にお会いできて嬉しいわ!」と、
まるで異国で同郷人に巡り逢ったような、離れていた家族に久々に出会ったような、
熱い親愛の情を顕わにし、まさに抱き合わんばかりの喜びようでした。

( これだけ? はい、これが「打ち明け話」の全てです。
やっぱり「な~んだ、つまらなかった!」でしょうか?・・
済・み・ま・せ・ん!・・・ )

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ここで、冒頭の「お詫びと訂正」で名前の出た「ディヴィノアモーレ」の草原で展開した「青年たちの祭典」の場面を
もう一度思い起こしていただきたい。
・・・女性たちにも呼びかけがあった。 

「生涯を観想修道院の中で祈りと犠牲の生活に身を捧げることを望む女性は立ちなさい!」
すると、キコの歌に合わせて、70人の乙女たちが立ち上がって進み、壇の上に跪いた・・・。
と私は書きました。

立った乙女たちの多くはパーマをかけジーンズをはいた、ハツラツとした女性たちでした。
屈託なく、友達と連れ立って笑いながら進み出るのもいる反面、

 

中には、自分の選択と決意、
つまり、キリストの花嫁として、生涯独身で死ぬまで修道院の囲いの中で、窮屈な修道服に身を包み、
祈りと犠牲と隣人愛の奉仕に身を捧げつくす、という重大な決断に、― そして、それが神からの召命だと確信するが故に―、
今この大群衆の見守る中、立って進み、正面のあの高い檀の上に登って、ひざまづいて枢機卿の按祝を受けるという行為に、
緊張し、感動し、感極まって滂沱の涙を拭おうともしないもの・・・、
或いは、自分の意思で立ったはずなのに、まるで絞首台に曳かれていく死刑囚のように
ガクガクワナワナ震えながら行くもの・・・も少なくはなかったのです。
私は、過去何回も同種の召命の集いに参加したものとして、カメラのファインダーを通して、
その真実に肉薄した目撃証人となりました。

中には、二人の男性に支えられなければ、足がもつれて歩くことも出来ない重度の身体障害者の女性もいたし、
車椅子無しでは生活できないような女性もいたのです。
・・・そして、明らかにまだ修道院には受け入れてもらえないはずの、14―5歳のいたいけない少女までも・・・。



私がまだ神学生の頃、ポーランドのチェストコーワの「黒のマドンナ」の聖地(今回の巡礼でも立ち寄ることになっている)で
前教皇ヨハネ・パウロ2世が呼びかけた「世界青年大会」に参加する機会に恵まれた。
その時に、キコ氏の同じ召命の集いがあった。教皇の野外ミサにはポーランド人の青年を中心に数十万人が集まった。
私は、今回出会ったシスターが、その時に立った多数の乙女たちの中の一人に違いないと確信している。
彼女の明るさから、立ったことを一度も後悔していないことがうかがい知れました。

彼女たちは皆、第二バチカン公会議の後に花開いた、キコ氏の指導する運動の中で信仰を深めていった。
そして、そこでこの神の呼びかけに出会ったのです。
身にまとう修道服は古い伝統のままだが、それに包まれた精神と肉体は、教会の明日を切り開く新しいカリスマに燃えている。
いち早く改革に着手し、服装だけは簡素化したが、古い精神を今もそのまま踏襲している修道会は、
世俗化した現代社会にあって、拡大した事業を支える後継者不足に悩み、学校も、病院も、社会福祉事業も縮小し、閉鎖し、
或いは世俗の経営者に売却して現金を手にし、軒並み撤退しつつあります。

ところが、同じく召命の減少で人数が減り、高齢化して、消滅の危機に瀕しながら伝統的な修道服をかたくなに守る修道会、
特に、事業経営に手を出さず、もっぱら安い工賃の手仕事や自給の菜園で細々と生活を支えながら、祈りと苦行に明け暮れ、
隠遁生活を専らとする修道会に限り、この新しいカリスマに魂を鍛えられた少女たちが、好んで入会するようになったのです。
それは、このタイプの修道会には、もともと社会の変動に伴う流行り廃りがなかったからなのでしょう。

私はかつて、今は亡き深堀司教様と二人で、レンタカーを駆ってシチリア島をひと巡りしたことを懐かしく思い出す。
それは、宣教師の卵として高松の神学校に息子を捧げてくださったた信仰深い両親たちにお礼を言いに行く行脚でした。

その途中、アグリジェントという町に泊まった。信仰がまだ生きている小さな町だった。
日本の司教様のお通りだというニュースが、古い女子観想修道会の奥にも耳ざとく届いたのだろうか。
是非お立ち寄りくださいという伝言が宿にあった。
丘の上の門をたたくと、老婆のような修道院長が出迎えてくれた。その院長様は、もう何年も新しい入会者がありません。
このままでは、この修道院は長い歴史の幕を閉じて、解散するしかないでしょう。
どうか、後継者の若い娘たちを送ってくださるよう神様に祈ってください、と真剣に頼まれた。
そして、修道女たちの内職の手作りによる地元特産の甘い甘い練りアーモンドの生菓子を、どっさりとお土産に下さった。

その時私は、彼女の誇り、キリストの花嫁衣裳であるあの古風な修道服を無理矢理脱がされて、
公営の老人施設に収容され、チューブで鼻から栄養を流し込まれ、
孤独のうちに緩慢な死を待つだけのしわくちゃの老婆の姿を、ぼんやりと思い浮かべていた。
そして、その後私は、願われたとおり毎日祈った、とは言わない。

だが後日、高松の神学校を出たシチリア出身の司祭から、不思議なことにあの修道院にその後若い乙女たちが相次いで入会し、
会は見事の再生した、との報告を受けました。確たる根拠はないが、共同体の娘たちだろうと思った。
きっと深堀司教様が、アーモンド菓子のお礼に、約束通り毎日熱心に祈り続けられたからではないか。

今度は、若い姉妹にかしづかれ、スプーンで食べ物をいただき、最後まで尊厳を保ち、
あの修道院の奥深く誇りの花嫁衣装をまとったまま天に召されて行った老修道院長様の至福の顔が目に浮かんだ。
ああ、これでよかった、とホッとした。

今ごろ、天国では、深堀司教様と一緒に、祈らなかった不届きものの神父を、笑いながら赦してくださっていることだろうと思う。

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神学生のポーランド巡礼の話が、女性たちの話にすり替わって、すっかり道草を食ってしまった。
この調子でいくと、いつ終わるか自分でも全く見当がつかなくなってきた。

写真のシスターの「打ち明け話」が、デンマークのシスターの「お告げ」と一体どう結び付くのか、との期待にドキドキされた向きには、
完全な肩すかしを喰らわせる結果になってしまった。ひたすら「申し訳ございませんでした」と詫びる他はない。




「ごめんなさい。私のお友達だから、赦してあげてくださいね!」 (この彼女の声、届きましたか?)

次は必ず「ディヴィナミゼリコルディア」を終わりまで持って行きます。お約束します。
私の精神的アレルギー、「霊的花粉症」がテーマになるはずです。

そして、その次は、いよいよクライマックスの「アウシュヴィッツ」、ナチスの殺人工場です。

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追伸: 最近は、新しい記事を書くとまず第一にここの一階に住まわれている平山司教様にメールで送ることにしている。
そして、コメントを頂き、それに沿って加筆訂正したものを皆さんに開示する。
たいていは「面白かったよ!」とニコニコされるにとどまるのだが、今回はチト様子が違った。
椅子を並べて昼食をとる席で、「面白かったよ!だけどあれは日本のシスターたちには見せられないね。
余りも本当すぎるから。」とも、「正しい予言者は常に排斥される運命にあるのだ」とも言われた。
司教様から「正しい予言者」に擬せたれたことをもって、まずは勲章とするか。
私は誠実に生きているシスターたちのことを悪く言うつもりは全くない。
ただ、限りある人間が歴史の中を歩む上で直面する、避けがたい限界について光をあてたまでのことだと思っている。
こんなのとで、日本中のシスター族を敵に回すのは、実に恐ろしいことではある・・・。
しかしまあ、捨てる神があれば、拾う神もあるだろうし・・・・。敢えてお伝えする。


 つづく 

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