:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ ポーランド巡礼記-9

2008-08-13 11:39:01 | ★ ポーランド巡礼記

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ポーランド巡礼
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第二幕 聖マクシミリアノ・コルベ神父とヨハネ・パウロ2世

第一場
コルベ神父

第二景 「アウシュヴィッツで見たもの」


「働けば自由になれる」 のゲートを入ったところで、ガイドさんの話は始まった。



私たちの笑わない、微笑まない、ガイドさん。
彼女の説明に聞き入る神学生たち。
車椅子は日本のための神学校の院長である平山司教様。




(可愛い顔をしかめているのは、韓国人のダミアノ・パクちゃん、彼も元高松の神学生。)

あちこちに点在する屋外のパネルの一枚にこんなのがあった。



上の絵:ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になれる)の文字が裏返っていないから、
画家は確かにゲートの外にいる。
朝、その言葉に送られて強制労働に向かうユダヤ人たちを描いたものであるに違いない。
この確かなデッサン力、どう見ても素人の描いたものではない。

下の絵:弱り果てた、或いは多分既に死んでいる仲間を運んでいるから、
過酷な労働を終えて、疲れ果てて帰ってきたときの姿だろう。
それを同じユダヤ人の収容者の演奏する音楽が迎え、さらにその後ろには、彼らの姿を鋭い目で描く
もう一人のユダヤ人画家がいるという構図だ。もちろんここはゲートの中だろう。

しばしの間生き延びるために-または-まだ生きていることを確かめるために-ユダヤ人の芸術家たちは
必死でその作品と演奏に命を託したのではないだろうか。



あの「働けば自由になれる」の門以外、この収容所には囚人たちが出入りできる扉は他に無かったのだろうか。
収容所の周りには、高圧電流が流れているこの二重の有刺鉄線の囲いがぐるりと巡らされている。
注意して探していたら、たまたま一つ扉らしいものを見付けたが、ここにはしっかり鍵がかけられていた。



セメント杭の立て札には、

注 意
高圧電流  生命の危険 と書いてある。

ところが、不思議なことに、この警告にもかかわらず、高圧電流が流れる二重の有刺鉄線の囲いを、
どこでも自由に超えて行く者たちがいた。
極限の絶望と、ひとかけらの勇気がある者に限るのだが・・・

生きることに絶望し、死のガス室のお迎えを待ちかねた人たちが、
囚人間の俗語でさりげなく「ちょっと鉄線に行ってくるネ」と言い残して、
この鉄条網に身を投げて感電死を選ぶのだった。
この鉄線の向こう側には無論「あの世」しかない。
どうあがいても、二度と「この世」での自由を呼吸することは許されないのだ・・・。

何というあっけない解放! 何という惨たらしい救い!
月曜の朝、東京のラッシュの地下鉄を止める人たちのしぐさと重なって来る。

嗚呼、神様! あなたはどうして彼らには苦しみしかお許しにならず、
私には罪深い惰眠をむさぼることを何時までもお許しになるのですか?


展示室の模型によれば、ガス室は地下に設けられていた。
それは毒ガスを吸って死にゆく人たちの断末魔の阿鼻叫喚が
地上の囚人たちに聞こえないようにするためだった。



毒ガス発生源として用いられたチクロンBの空き缶。1941年まではただの消毒薬だった。



「女性の命」の美しいブロンドの巻き髪は織物に、坊主頭の太った女性の脂肪は石鹸に、
役に立つ部分は全て資源として無駄なく利用され、残り滓は灰にして捨てられた。

「理性」と「自由意思」を備えた人間の尊厳はどこへ消え失せてしまったのか?
それにしても、出来上がった布は意外にしなやかな上質のウールの感触だった。
しかし、それと知ってこの布を身にまとう人がいるのだろうか?
SS将校夫人とか?アドルフの愛人エヴァとか?
思っただけで鳥肌が立つ。

 

子供の靴。紳士靴。婦人靴、の山。こんなもの几帳面に分類して、一体どうするつもりだったのだろう?
まさに変質狂ではないか?

 

義手、義足、松葉づえ、コルセットの山。身体障害者はただそれだけで「生存するに値しない生命」として焼却処分の対象とされた。

私は思った。奇形、ダウン症、異常の発見された胎児は堕胎され、動けなくなった老人は合法的に安楽死させられる現代社会を、ナチスは単にわずか数十年、時代を先取りしたに過ぎなかったのではではないか。
彼らは、出る釘は打たれるの例え通りに、運悪く貧乏くじを引いてしまったただけではなかったか・・・。

今の社会は、同じことをうんとスマートに、さりげなく、「みんなで渡れば怖くない」赤信号のように、
麻痺し切った感覚で渡っているに過ぎないのではないのか。



シャワーを浴びた後で見付けやすいようにと、大きな白い文字で自分の名前を書いたカバンの山。
時代を思わせる丸い玉の眼鏡の山。歯ブラシの山。ヘアーブラシの山。○○の山、××の山・・・・・。
これ以上写真を並べようとしても、吐き気がしてどうしようもないから、この辺で止めておこう。

裸で入るときまではまだ生きていた男女の廃棄物は、硬直し動かない物体に姿を変えてガス室から運び出され、
ここでゴミとして焼却された。ドイツ当局の性能書では、一昼夜に340体を焼却できることになっている。
単純計算では、1年間で12万4100体。
こちらは大体計算が合う。フル稼働でそれぐらいの処理能力がないと犠牲者の数に合わなくなってくる。
しかし、はてな、待てよ? と思った。

昨年の夏、四国の斎場で深堀司教様の火葬に立ち会った。確かお骨揚げまで1時間ほどを要したと思う。
これよりも大がかりで性能も遥かに優れていると思われる日本の最新式火葬場の場合がそうだった。
それを矢継ぎ早に休みなく稼働させても一昼夜で一基につき24体。
同じ速さなら340体を灰にするためには少なくとも14~15基の焼却炉を必要とすることになるが、
ここには確か6基ほどしかなかったように思う。
この素朴な炉が日本の火葬場のより倍以上も性能がいいとはどうしても思えない。
サンプルだけ残してあとはみな片付けてしまったか?????、
単純な数合わせが何処から押しても食い違ってくるのはなぜ?
この点について、誰も疑問に思わないのが、私にはまた不思議に思われた。



もう一つの疑問。なぜアウシュビッツにはルブリンの「マイダネク」で見たあの巨大な人間の灰の山がないのか?
解放当時はあったが、見るに堪えず、その後ドイツ人社会が組織的に抹消してしまったとでも言うのか?
それについても、案内の彼女はひと言も触れてくれなかった。

一気にここまで書いて、ふーっとひと息。

腕組みをして思った。量としては、もう目安の一回分を十分に超えている。
一本調子でここまで来て、何のドラマティックな展開もなかった。

読者の集中力もそろそろ限界だろう。それに、あと少々続けたところで、大きな区切りにはとても届くまい。
だから、もう一枚展示パネルの写真を張り付けてお仕舞いにするとしよう。



「歴史を記憶に刻まない者は、きっと また 同じ目に会うに違いない。」
(どう訳せばいいかまだ迷っているが・・・とりあえず)
ジョージ サンタヤーナ

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ちょうどこれを書いている時、親しい友人のT氏から前回の記事に対するコメントを頂いた。
ご本人に無断で数行を引用させてもらうことにした。(きっと赦してくれますよね!Tさん?)

谷口神父様

アウシュビッツもそうですが、人間は信じられないほど残虐になれますし、
多分、いまでもどこかで残虐な行為が行われていると思います。
(我々は誰もがそうなりうると自戒していなければなりません。)

ナチの行為(あるいはそれと同じような人が人に対して行う残虐行為)
そのものが許されることでないのは言うまでもありませんが、
それによって引き起こされる被害者側の人間性喪失はもっと悲惨だと思うのです。

ですから、そういう逆境にあって発揮される人間性には多大の感動を覚えざるを得ません。

一瞬にして閃いた。そうだ、この最後の一節を次の記事の「主旋律」として頂こう! と。


《 つづ く 》

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