2008-02-24 07:15:33
(この記事に新規追加あり)
数日前から、新潟、東京、横浜と旅烏で、ゆっくり落ち着いて新しいブログを書く気分になりませんでした。ところが、メールチェックをしていたら、(aki) さんという方から、私の1月10日のブログ 「死刑囚から牧師へ」 にコメントが届いたという記録がありました。それを見て、急に短いブログを書く気になった次第です。まず、 (aki) さんのコメントを引用したいと思います。
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憲法9条の会 (aki)
(2008-02-22 17:27:24)
今日は久しぶりの憲法9条の会の集まりを4人のメンバーでもちました。
正義と平和の会から出ている松浦悟郎司教の講演録を読み分かち合いをするのです。
その席で「地獄の虹」の紹介をしたのです。
来月8,9日には正平協の部落問題委員会での伊勢神宮現地学習会が開かれます。
伊勢神宮は私の住居の近くですので私は予定に入れました。。
第二次大戦の時には神風が吹き日本は戦争に勝つと信じられていたそうですね。
今でこそ国家神道ではなくなってはいますが、事あれば天皇家と関係があるので、いろんな面で国の神事に組み入れられているのではないかと危惧する面もあります。
考えすぎでしょうか?
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「地獄の虹」 と言うのは私がこの1月のはじめグアム島で出会って感動して読み耽り、ブログで紹介した本の題名です。荒垣三郎と言う当時17歳の少年が、サイパン島の日本人捕虜収容所で元憲兵の指令で二人の日本人を殺害し、その憲兵の裏切りの結果、占領軍の軍法会議で死刑が確定したが、その後数奇な運命に導かれ、獄中でキリスト教の洗礼を受け、大統領恩赦で解放され、牧師になり、戦後帰国してその憲兵を探し出し、赦し、和解するというドラマです。( 詳しくは私のブログ1月10日 「死刑囚から牧師に」 参照 )
私も、かつて「カトリック正義と平和協議会」の活動的メンバーであったことがあります。名古屋の相馬司教が担当司教の頃です。私は南ベトナムの政治囚釈放運動のほか(まだベトナム戦争の最中でした)、「国内問題委員会」と言うのを新たに立ち上げ、被差別部落の問題と憲法9条と靖国問題、公害問題などに取り組んでいました。まだ若く、気負った、懐かしい情熱的な活動の日々でした。
敗戦後、昭和天皇はいわゆる「人間宣言」をしました。自ら「現人神」であることを放棄したのです。もともと鎖国とキリシタン迫害でユデオ・クリスチャン的一神教の超越神を忌避した日本には、天皇と言う神以外に「神」は存在しなかったわけですから、彼の人間宣言によって、日本の社会の世俗化(神不在化、又は超越的な神聖な価値の消失)は完成したわけです。
この「世俗化」こそが日本の戦後の経済発展の秘訣でした。なぜなら、神不在の間隙を縫って、「お金の神様」マンモンの神が日本人の魂と社会を完全に支配したからです。
しかし、ここに不気味な要素が覘いています。まだ誰も気がついていないかもしれません。また、話しても、誰も笑って取り合わないかもしれません。しかし、それは紛れも無い事実、日本の「神」の密かな復活です。昭和天皇が「ただの人」から「現人神」になるために通過した神道の全ての秘儀を、平成天皇はあらためて全て受けていると言う事実です。あの秘儀を通して昭和天皇が「神」になったのなら、同じ神道の伝統と教義によれば、実は平成天皇もすでに密かに平成の「現人神」になっているはずだと言うのが、神学的・論理的な帰結です。
21世紀の国際社会の中で、もし不幸にも新たな激動の時代がやってくるとしたら、過去にそうであったように、再びこの「現人神」が悪しき政治指導者の錦の御旗、抗し難い神聖な権威として担ぎ出され、利用されないと言う保証は無いのではないかと、もと戦後の焼け跡の欠食児童は危惧するものであります。
日本人を殺す軍隊、イージス艦の問題を、単なる偶発的な事故として片付けてはいけない。日本の社会はいま危険な道を暴走している。歯止めをかけられるものがあるとすれば、それは「悪に逆らわない」、「敵を愛する」、「7の70倍までも、ただひたすら赦す」キリスト教の福音以外にはないと思います。(aki) さんの「危惧」は決して考えすぎではないと思って、急遽このブログを書きました。
時代が変わり、社会の空気が変われば、平和憲法だって簡単に変えられてしまうかもしれない。家族のため!、祖国のため!に、「天皇のため!」が加えられれば、権力者にとって若者(兵士)を強いて死に追いやる動機付けは、きっとやりやすくなるに違いない。
私は、グアムで、イラクに散った兵士の悲嘆に暮れる母、若い戦争未亡人たちに会ってきた。決して人事ではないと思った。近い将来、日本の自衛官の中から最初の犠牲者(英雄)が出て、世の中騒然となるに違いない。そして、二人目、三人目、すぐ社会はそれに慣れていくだろう。
平和のために真剣に祈りたいと思います。
2008-03-05 14:06:34
ベートーヴェン作曲
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61
ドヴォルザーク作曲
スラヴ舞曲集 第一集 作品46
友人からチケットをもらって、久しぶりに読響のフルオーケストラの音色を池袋の大コンサートホールで堪能した。学生時代、小遣いを節約して上野の文化会館に通った日々が懐かしく蘇えった。半世紀近く前の東京には、クラシック音楽が生で聞けるのは、文化会館の大、小ホールか、日比谷公会堂ぐらいしかなかったが、今は都内各所にいいホールが沢山ある。
4チャンネル、日本テレビのカメラが沢山入っていたから、そのうち放映されるだろう。ちなみに、この番組の担当女性ディレクターは私の親しい知人である。
休憩後のドヴォルザークのスラヴ舞曲集、1番から8番までを全部一度に聴いたのは初めてのような気がする。エーッ!こんな曲だったんだぁ、とあらためて思った。
前半のベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、とても親しみをおぼえた。それは、LPレコードの時代から何度も聴いていることに加え、ソリストのコリア・ブラッハー(ヴァイオリン)が知らない人ではなかったからでもある。
彼は、6年間ベルリンフィルのコンサートマスターを勤めた後、ソリストに転じた。彼が演奏するヴァイオリンは、“トリトン”と名付けられた1730年製ストラデヴァリウスの名器で、キミコ・パワーズ氏よりブラッハー氏に貸与されたものだ。
彼女を、そしてブラッハー氏を知ったのは、私の銀行マン時代からの知己である元M銀行のS氏の紹介であったが、私が四国の高松に「レデンプトーリス・マーテル国際宣教神学院」というカトリックの神父養成機関を建設するための資金集めに奔走していたとき、各地でブラッハー氏のチャリティーコンサートを企画してもらったのがご縁であった。
その高松の神学院は、前教皇ヨハネ・パウロ二世が20年ほど前にローマに全く新しい理念に基づいて設立した神父養成機関をモデルにした、世界で7番目の姉妹校であるが、今では全世界に70数校を数えるまでになった。
私は、縁あってその第1号のローマの神学院で司祭の養成を受ける幸せにあずかったものであるが、それもあって、高松の神学校の建設には国際金融マン時代のノーハウと人脈を駆使して情熱を傾けたものだった。そして、10年ほどの間に約30人の新しい司祭が誕生すると言う快挙を成し遂げた。
ところが、神学院設立を決めた高松の前司教が定年引退すると、にわかに風向きが変わり、日本のカトリック教会内に生じた同神学院閉鎖への圧力の高まりを受けて、設立のために働いた神学院の初代院長や私などは教区外に出されることになった。私が長野県の野尻湖の別荘に蟄居している背景にはそういう事情がある。
ローマで8年間養成を受けた私の目には、ヴァチカンの世界宣教戦略と極東日本の教会指導者たちのメンタリティーとの間には、非常に大きな温度差があるように映る。
手も足も出ない状況に置かれた私が、ああ、もうこれで全てお終いだ!と観念しかけたとき、新教皇ベネディクト16世がこの問題に介入し、日本の教会指導者がこぞって高松の神学校の閉鎖・廃校に動くのであれば、教皇庁直轄にしてでも救うと言う意思を表明した、とか、しないとかいう噂をたまたまローマに居て耳にしたのはもう3年ほど前のことだった。その後水面下で日本の教会とヴァチカンとの間で緊張した駆け引きがあったに違いないのだが、その内容は長野の山猿になった私などの耳には、めったに届くものではなかった。
わたしは、今日も雪深い山荘の中で一人祈るばかりである。
「神様、あなたのみ旨が行われますように!思し召しならば、あなたの神学校をお救い下さい!」
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国際金融業に関わっていたころ、お金の神様の世界はひどいところだと思っていたが、宗教の世界、カトリックと言う巨大組織に宗旨替えしてみてびっくり、聞きしに勝るとは、まさにこのことであった。
最近、映画「エリザベス:ゴールデン・エイジ」を観た。雑誌「ぴあ」には、「国ために、愛をも制した女王の黄金時代」という見出しがついていた。
1585年、プロテスタントの女王として即位したエリザベス1世だったが、カトリックのスペイン王国に圧力をかけられていた。そこへ現れた航海士ローリーに彼女の心はかき乱されていき・・・・
スペインの無敵艦隊の壊滅。新しい時代の幕開け。
政争の背後に、陰のよう付きまとう僧侶・高位聖職者たちの姿は、この映画のバックの大道具と言うか、通奏低音として、重要な役割を演じている。
お金の神様の世界の方が、ずっと分かりやすいように思えてくるから、不思議なものだ。
コンスタンチン体制* から1700年、時代は移っても、基本構造に変化は無いのかもしれない。
(*)コンスタンチン体制:西暦313年のミラノ勅令で、キリスト教が実質的にローマ帝国の国教扱いになり、「聖」と「俗」が融合・合体した体制。
私は、今日のこのブログをリリーズすることを大いにためらっています。そして、ためらいながら、あえて書いています。
その理由は、ブログと言うものの無限の広がりと、ある種の匿名性から来る不安です。私の招きに応えて、どんな人が来るか全く見当がつかないことから来るためらいといってもいいでしょう。
私一人ならいいのです。どんな人とも向き合う用意があるからです。しかし、サロンを支えてくれている私の親しい人たちを当惑させるようなことになっては申し訳ない、という思いは棄て切れません。
それで、恐る恐る書くのですが、実は、私はもうかれこれ10年近く、東京の都心で月に一度、親しい人と集まって食事を共にするサロンを開いています。
最近、場所を移して、新しい趣向ではじめました。
私の一連のブログを読んで、その雰囲気の延長線上にあるこのサロンを、一度覗いてみたいと思われる方は、私の 《gooメール》 へ、その旨お申し入れ下さい。私の《gooメール》アドレスは:
john-john-john@mail.goo.ne.jp
です。
2008-02-16 08:05:15
〔ウサギ〕 お久しぶりですね、エゾ鹿さん。「悪」の問題シリーズ最後のNo.18が出たのはもう2ヶ月以上も前、確か去年の12月10日のことでしたよね。
〔エゾ鹿〕 おや、もうそんなになりますか?
〔ウサギ〕 すごいおトボケ!テッキリ無謀な挑戦が破綻して、こっそれ逃げ出してしまったのだと思っていましたよ。
〔エゾ鹿〕 失礼な!でも、あの頃、書くほうも読むほうもだんだん疲れて、行き詰っていたのは確かだね。だから、今度はもう少しゆっくりしたペースで、他の話題と平行しながら進もうかと思う。しかし、途中で投げ出すなんてこと・・・・私に限っては断じて無あり得ない!
〔ウサギ〕 是非そう願いたいものです。
〔エゾ鹿〕 ところで、話は何処まで進んだのだっけかな?
〔ウサギ〕 エーッ!それって、私に訊いてるのですか?無理、無理!なーんにも覚えてなんかいませんとも。皆さんも、たいてい同じだと思いますがね。
〔エゾ鹿〕 弱ったなー。それでは先に進みようが無いじゃないですか。・・・・仕方が無い。では主な点だけプロットするとしましょうか?
〔ウサギ〕 どうぞ、お好きなように。
〔エゾ鹿〕 では、今までのことを箇条書きに拾い出すことから始めましょう。
○ 野尻湖の野ウサギが、知床のエゾ鹿とはじめて出会いました。(07年10月7日)
○ 美しい知床の自然と、神の宇宙創造。時計職人のたとえ話。(10月9日)
○ 自然の中に法測と秩序あり。秩序の裏に理性あり。神の存在証明。(10月11日)
○ 日本のインテリ。無神論の友人。(10月12日)
○ グレゴリアーナ大学で「悪の根源」についての納得のいく講義は無かった。(10月15日)
○ 神が無から宇宙を創造したとき、悪は創らなかった。(10月18日)
○ しかし、現実社会は悪に満ちている。美しい虹。(10月22日)
○ 「イタリア人神父のブラックユーモア or 悪魔祓い」(10月23日)
○ 悪と罪の関係(神も罪を犯す?)(10月25日)
○ 罪と良心(11月9日)
○ 良心は他者の声。その内容の絶対性と、現れの相対性。(11月19日)
○ 「ファンダメンタルオプション」と「カカオアレルギーの坊やの喩え」(11月22日)
○ 「カカオアレルギーの続き」(11月24日)
○ 神が創らなかった悪がどうして被造物界に存在するのか?(11月30日)
○ 「カカオアレルギーの続き-2」(12月7日)
○ 原罪の問題。(12月8日)
こうしてみると、どうやら「悪」と「罪」との相互関係に問題解決のヒントが隠れているようだ。(今までの個別の点の詳細を確認したい人は、その日のブログを開けてみることが出来ますよ。)
〔ウサギ〕 いつの間にやら、ずいぶんいろいろ話し合ってきたものですね。この次は先に進むのでしょう。まあ、一応は楽しみにしている、と言っておきましょうか。(つづく)
〔エゾ鹿〕 臨時ニュース!臨時にゅーす!ウサギさん!早く起きて!!
〔ウサギ〕何事ですか?エゾ鹿さんらしくも無い!まだ朝の6時前でしょう?眠いなー、もう!
〔エゾ鹿〕 今朝早く「のんの」さんと言う人からコメントが入っていて、私たちの対話シリーズの「その18」が見つからない、と言われるのです。
〔ウサギ〕 それで?
〔エゾ鹿〕 それで・・・、変だと思って「編集画面」の〔記事一覧〕を良く見たら、「その18」は未完成の「草稿」のまま、公開されずに眠っていたのが分かったのです。
〔ウサギ〕 なーんだ、鹿さん、それってトシのせいじゃないないですか?そんなことで朝早くから起こさないでよ!おやすみなさい!! Z Z Z ・・・・
〔エゾ鹿〕 (独り言)うさぎさんは能天気でいいな!本当は共同正犯なのに。
(のんのさんへ)ご指摘どうもありがとうございました。年末のどたばた劇の間に起きた事故でした。ここに、あわてて「草稿」を写真もつけずに未完のまま公開します。次で何とか辻褄を合わせますから、どうかお許しを!
* * * * * * *
(陰の声: 以下は、12月10日の草稿をそのまま無修正で公開するものです。)
〔ウサギ〕 エゾ鹿さん。にゃにゃさんのコメントは感激でしたね。
〔エゾ鹿〕 ほんとだね!これに元気付けられて、一気に結論に向かって、脱兎のごとく走りまするか。
〔ウサギ〕 暮れで忙しいときだから、いっそのこと鹿さんのギャロップで行ったほうがいいかもしれませんね。雪の知床の原野を行くように。
〔エゾ鹿〕 クリスマスの前には、映画「マリア」の感想も載せたいしね。では行きますよ。
エヘン。さて、前回は結論のところで、罪には「理性」と「自由意志」が前提になると言うことを書いておいたが、覚えていますか?
〔ウサギ〕 えっ?!そんなこと言われましたっけ?
〔エゾ鹿〕 やだなー。もう忘れたんですか?いいですか、罪が成立するためには、行為の主体は自分が何をしようとしているか、何をしたかを、その行為がなされ完結するまで、自分の理性で把握していなければならないでしょう。夢の中や、泥酔中の行為は罪にならないし、もともと理性を持たない動物たちも、罪を犯すことはない(できない)という意味だ。そして、自分のしていることが分かっていても、それが自由になされたものでなければ、罪を構成することは出来ない。強制されたり、自由を奪われた状態でした行為は、罪にはならないと言うことさ。
〔ウサギ〕 なるほど、なるほど。ところで、肝心の「悪」の問題ですがね。悪と罪とはどういう関係にあるのか説明していただけませんか。
〔エゾ鹿〕 そのことなんだけど・・・・。実はね、この世の中に「悪」は存在しないんだよ。
〔ウサギ〕 えーっ!嘘でしょう?!では、今までの長い話は何のためだったのですか?「悪」が存在しないのなら、「悪の根源」の探求も、始めからないもの探しだったと言うことですか?それはないでしょう?いくらなんでも!
〔エゾ鹿〕 誤解しないでもらいたいのだが、私が言おうとしているのは、ここに林檎が存在するように、或いは壷が存在するように、悪と呼ばれる存在があるか、と言う問いに対してなのだ。悪い人、悪い思い、悪い言葉、悪い行い、悪い(有害な)空気、悪い○○、悪い△△、など、形容詞としての「悪い」はあるけれど、名詞としての「悪」、言葉を代えて言えば、「悪」と言う「存在」があるかと問えば、答えは恐らく「No!」だろうね。
だって、考えても見たまえ。全ての被造物に先立って神が存在した。神は善だった。全ての存在は神によって創られた。被造物は全て善いものとして創られた。創られたままの状態で生来的に悪いものは何一つなかった。この善いものとして創られた被造物が、後天的に悪いものになったのは、罪の結果だと言った。その罪が何処から被造物の世界に入ったかと言うと、それは、人間が良心の声に反して行動したからだ。そして、・・・・
〔ウサギ〕 ちっと待ったー!鹿さん、走るの早すぎるよ。わたしゃ、脱兎のごとく走っているが、もう息が切れて鹿のギャロップにはついていけないよ。
〔エゾ鹿〕 悪い、悪い!では、ちょっとペースを落とそう。いま、ちょうど未解決な問題に差し掛かったところだから。実は、カカオアレルギーの坊やの話の中で、一つだけ未解決のまま通り過ぎた問題があったのだが、気付いていたかね?
〔ウサギ〕未解決の問題ねえ?それって、ひょっとして、良心の声の主のこと?
〔エゾ鹿〕 大当たりー!よく気がついたね。
〔ウサギ〕 実は、前から訊こうと思っていたのだけど、鹿さんは確か、良心の声は、魂の最も奥深いところに響く他者の声だと言いましたよね。他者の声と言うことは、坊や自身の声ではないと言う意味でしょう?だとすれば、一体誰の?ひょっとして神様の声ですか?
〔エゾ鹿〕 いや、そう短絡することには問題がある。今は、仮に「天使の声」とでもしておきましょう。もちろん、天使とは何かをしっかり定義しなければならないけどね。それは、あとで必ずきれいに説明すると約束するから、今はちょっと先に進んでもいいかな。
〔ウサギ〕 天使がいるなら、悪魔もいるってこと?悪を勧め、そそのかし、誘惑するささやきも、魂の奥に聞こえるのはそのため?
〔エゾ鹿〕 だから、この問題は今しばらくお預けにしないか。きっとあとで正面から取り上げるから。どうせこの問題を解決しなければ、悪の問題も完全には解決しないのだから。
〔ウサギ〕 約束ですよ。
〔エゾ鹿〕 いいとも。約束する。さて、良心の絶対的勧め(命令と言ってもいい)の中身は何だったかね?
〔ウサギ〕 それは、善を行いなさい、悪をを避けなさい、でしょう?
〔エゾ鹿〕 では、善とは何かね?
〔ウサギ〕 えーと、善とはーー、善いこと、悪いことの反対。
〔エゾ鹿〕 全然答えになってないなー!善とは、一言で言えば、具体的な場面で良心が勧める事、悪とは同じ具体的な場面でしてはいけないと禁じること、それが善と悪の内容と言えないだろうか。それは、人類の長い歴史の中で次第に類型化されて、いろいろな道徳律として固定されるようになった。ユダヤ人の聖典である旧約聖書のモーゼの十戒などがその典型と言える。近代的な意味での法治国家では、法律の中にもその陰が濃く見出される。それは、良心が麻痺して、内面的な力で善に留まれないものが、社会生活において秩序を乱すことを抑止するために役立つ。
カカオアレルギーの坊やの例に戻れば、良心の声の内容は、優しいお父さんを悲しませる、お父さんの愛にそむく、自分の有害な結果、緩やかな死を招き寄せると言うものだった。それは、天地万物をご自分のあふれる創造的愛で無から存在界に呼び出した神が、被造物に対して何が善で、何が悪かを・・・・(草稿はここでぷつりと途切れていた)
2008-02-09 21:25:49
ロサト教授は誤りを教えたか?-(若干の補足)
命のキャンペーン
グアム滞在もあと数日というとき、マリンドライヴからGPO(グアム・プレミアム・アウトレット)ショッピングモールへ曲がる交差点の角に大勢の人だかりがしていた。みな手に手にプラカードを持って、信号待ちの車の列に何やらしきりにアピールしている。気をつけてプラカードの文字を辿ると、
STOP ABORTION NOW!
(堕胎をすぐやめよう!)
ABORTION KILLS CHILDREN!
(堕胎は子供殺人!)
FIDELITY TO CHASTITY
Christ’s Direction to all!
(貞節を守ること、それはキリストの万民への教え!)
Jesus We Love You.
(イエスよ、あなたを愛します)
LIFE IS THE ONLY CHOICE
(命、それが唯一の選択!)
などの文字が躍っていた。
好奇心に駆られて、車を安全なところに止めて、交差点に引き返し、若者たちに質問をすると、堕胎容認新法の是非をめぐる島民投票で、反対票を投じるよう呼びかける、キャンペーンだと言うことだった。
現代社会では、大別すると二つの文明しかない。
一つは死の文明。
もう一つは生命の文明だ。
「命の文明」を支えるものは、死に打ち勝ったキリストの復活の命を信じ、死後の永遠の生命を信じるキリスト教以外にはない。不可知論や、仏教的諦観では足りない。
「死の文明」を支えるものは、世俗主義(神聖な超越的価値不在)、弱肉強食の経済的価値至上主義(拝金主義、「お金の神様」崇拝)、無制約の格差拡大と弱者切り捨ての新自由主義経済(小泉・竹中)、快楽主義、等である。
グアム島にも、お金の神様はぬかりなく上陸している。その背景は、日本人を始めとして、韓国人、中国人の観光ブームと、米軍基地特需である。グアムで今、死の文明は最も弱い無抵抗な命、胎児、の抹殺を合法化しようとしている。それに対して立ち上がったのが、カトリックの若いボランティアーたちだった。
少子化は、死の文明の勝利の目に見える明らかな徴である。
クリスチャンホームの平均の子供の数が、その国の平均と同じだと言うことは、命の文明が形骸化し、死の文明に屈服したことを意味している。教皇のお膝元のイタリアを始めとして、ヨーロッパ、アメリカ、日本など、みな例外ではない。名ばかりのキリスト教が、命の文明の担い手であることをやめて、死の文明の軍門に下ったことを意味している。
大雑把に言って、一組の夫婦が生涯に平均2.08人の子供を残さないと、その国の人口は減り始めると言われる。教皇のお膝もとイタリアでの1.17を最低とし、日本は1.3あたりと思われる。平均2.0を下回ると、逆鼠算式に人口減少は加速する。たとえば、日本の場合、現在の人口1億2700万は、50年後には9000万を切ると言われる。
司祭不足の問題に取り組むとき、なぜ命の文明の担い手であるべきキリスト教会が豊かな命の恵に満ち溢れていないのか、なぜ外の世俗社会と変わりなく信者の間でも少子高齢化が進んでいるのかを、先ず問わないのは何故か?司祭を増やすためには信仰共同体の中での少子化を克服しなければならないと言う方向には考えず、あたかも少子化は神の意思であるかのように無条件に受け入れ、今後も司祭は増えないと言う悲観論を前提に、「共同司牧」などと言う小手先の辻褄合わせに走るのは何故か?
それは、教会の政策立案を担う聖職者たちが、自らの信仰が形骸化し、空洞化していること、世俗化との妥協の結果死の文明に飲み込まれてしまっているという現実と、正面から向き合うことを恐れるからに他ならない。
命の文明の擁護者であり教会の指導をゆだねられた牧者にとって、自分たちが司牧するクリスチャンホームの出生率が、死の文明の世俗社会のそれと同じなのは何故か、と言う問題に向き合うことは恐ろしいことであるに違いない。それはうっかり開くと何が飛び出すか分からないパンドラの箱を開けてしまったときのような、収拾のつかない大混乱になることが、本能的に予感されるからである。自分たちの信仰の正体が白日の下に晒され、弁明の出来ない事態に立ち至ることを恐れるのであろう。
しかし、地球温暖化が人災であり、その是正が文明を救うための急務であるのと同じように、キリスト教会における少子化も、信仰が失われた結果の人災であり、放置すれば教会が滅びる深刻な問題であることに一日も早く気付かなければならない。
ここに、世俗化社会の死の文明に飲み込まれたキリスト教の中で、命に満ちた新しい動きが見られる。教皇ヨハネ・パウロ二世がローマ教区に設立し、いまや世界70数箇所で姉妹校が誘致されたレデンプトーリス・マーテル神学院と、それらを満たすだけの神学生を送り出している「新求道共同体」である。
日本には、高松教区の深堀前司教が世界に先駆け誘致した7番目の姉妹校がある。そこには、九州、沖縄を除く全国11司教区から集まった神学生全員に匹敵する数の元気な神学生たちが、日本でいちばん小さな司教区一つのためだけに集まっている。
新求道共同体は、洗礼の恵を再発見する回心の道で、この道を歩む人たちの間では、1家庭あたりの子供の数は、平均5人に近いと言われている。これは第三世界や回教圏の平均よりも高いはずである。望んでも子宝に恵まれない夫婦が、信仰ゆえに2人、3人、4人の養子を迎えるケースも稀ではない。
堕胎という殺人は論外として、産児制限や受胎調節はどういう方法なら自然に反しないとして教会から許されるか、と言う後ろ向きの低次元の議論ではない。健康な夫婦の自然な愛の営みは、神の前に24時間、365日、常に新しい命の恵に対して寛大に、英雄的に開かれているように、と言う理想を真面目に受け止める人たちである。神の摂理に対する絶対的信頼と、教会共同体からの精神的、経済的な支援無しには考えられない現代の奇跡と言うほかは無い。
日本の教会にも、今は引退、または天国に凱旋した司教たちによって招請された宣教家族たちが、まだ恐らく20数家族全国に居るはずだが、彼らの中に、8人、10人、それ以上の子供に恵まれた大家族が数多くいる。その彼らは、この奇跡、キリスト教に基づく命の文明のわかりやすい生き証人たちである。彼らのつつましい、犠牲の多い沈黙の生活それ自体が、周りの死の文明に対する強烈な信仰の証、宣教活動である。
少子高齢化社会における司祭不足への本当の答えはこれである。共同司牧では断じてない、と私は思う。
2008-02-07 10:30:55
ロサト教授は誤りを教えたか?-(むすび)
グアムのご夫人の素朴な失望と違和感は、少子高齢化社会のあおりをうけた圧倒的な司祭不足の対策として日本の教会が導入した、いわゆる「共同司牧」制度に起因するものだった。
ロサト教授の教会論によれば、教会は生きた細胞のようなもので、細胞質は信徒、核は主任司祭に喩えられ、核を失った細胞質はやがて死に、細胞質に守られない裸の核も生きてはいけないことを言おうとするものであった。だから、幾つかの教会から細胞質である信徒たちに包まれた核である司祭を抜き取り、抜き取った裸の核を寄せ集める「共同司牧」方式は「共同死牧」と呼ぶのが相応しい。
ローマの教皇庁立グレゴリアーナ大学は、世界のカトリック神学界の最高峰であると言われている。ロサト教授はそこで教壇に立つことを許されているからには、単に語学に秀でているだけではなく、第二バチカン公会議後のカトリック神学の最先端であると同時に、中庸を得た穏健な学説の提唱者の一人であるはずではないか。
日本で教会の方針を立案している指導者達は、その大部分が公会議の新しい指針が咀嚼され整理され体系化される以前の、つまり、宗教改革時代の遺物の古い神学で頭が固まった人々ではないだろうか。彼らが、今グレゴリアーナ大学に入りなおして、ロサト教授の講義を受け、少子高齢化に伴う司祭不足に如何に対処すべきか、と言う設問に対して、得意になって「共同死牧方式」を展開したら、みんな間違いなく落第、追試となるに違いない。
それは、ヨハネによる福音書10章11-17節の聖書の解釈に合わないし、教会の頭、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の考えにも抵触する。
少子化とその副産物である高齢化社会は、人間の英知も努力も届かない、歴史の必然的・宿命的所与であって、神の摂理が定めた、動かない現実と考え、それを無批判、無抵抗に受け入れ、そこを出発点にして対策を立てるべきものではない。
少子高齢化は、現代の社会の第一世界における世俗化の産物に過ぎない。それは、2000年の教会の歴史の中で、せいぜいこの40-50年間の間に生じた特異な現象である。
それは、地球温暖化と同じく、人間の営み、人間の自由な選択が引き起こした現象、人間の罪が招き寄せた災厄であって、人間の英知と努力で克服すべき課題である。
如何にしてカトリック家庭の少子化に歯止めをかけ、如何にして司祭のなり手を増やすかこそが、先ず第一に考えられなければならない。その意味で、「共同死牧」は、この課題との取り組みを放棄した敗北主義の辻褄合わせに過ぎない。
少子化は、人間のエゴイズム、快楽主義、唯物主義、お金の神様の偶像化、神への信仰と神の摂理への信頼を放棄したことの必然的帰結に他ならない。少子化は「死の文明」の当然の帰結であり、人間の罪が引き寄せた結果あって、黙って屈服する他は無い自然の摂理でもなければ、まして神の望んだことでもない。
アンソニー大司教のように、レデンプトーリス・マーテル国際宣教神学院の姉妹校を誘致した先進的な司教たちは、聖書と、教会の伝統と、公会議の教えと、新しい神学に忠実に福音的回心を行えば、少子化は現実に克服できることを証明している。
以上の一連の考察から、ロサト教授の教会論は正しかった、そして「共同司牧」は間違っている、と結論付けられる。
* * * * * * *
《 教 訓 》
羊は牧者の声をよく聞き分けなければならない。誰が本当のよき牧者で、誰がただの雇われ人であるか、また、誰が牧者を装った狼であるかを識別しなければならない。それは、我々個々の羊が、聖書を読み、教会の長い伝統に学び、教会の頭であるローマ教皇の声を聞き分け、祈りの中で聖霊の照らしと識別の恵みを求めながら、最後は自分の良心に従ってなすべき、孤独な、しかし自由な作業である。
大切なことは、グアムのご夫人ように素朴に、「あっ!これは変だぞ、これは何かおかしい!」、と信仰的本能を頼りにストレートに反応することである。期せずして多くの信徒が何かおかしいぞと直感したことがあれば、それぞれに勇気を持って声をあげなければならない。沈黙はいけない。
しかし、今の教会には、そうした健全な信仰のセンスを自由に開放する場所が無い。そればかりか、その自由を抑圧し、沈黙を強いる重苦しい雰囲気が漂っているように思われる。
卑近な例が、司教団の官報にも等しいカトリック新聞である。それは、多様な意見、健全な批判精神が自由に反映された活気に満ちた紙面と言うには程遠いものがある。(購読者数の低迷はその当然の結果であろう。)と言うことは、そういう声、そういう意見が編集部に届いても、それを取り上げる度量が編集者に無いことを暗示しているのではなかろうか。どう考えても、それらを握りつぶし、自由な言論を封じ込めるメカニズムが働いているような気がしてならない。現に、信徒の中から、質問をぶつけたが、回答が返ってこなかった、投書したが、紙面に取り上げてもらえなかった、と言う失望の声が上がった事例を知っている。
教会の中で自由な言論、考えの多様性、「民の声」が封じられれば、羊の群れは簡単に誤りの中に導かれ、迷い、教会は衰えることになる。
民の声を封じるなら、「石が叫びだす」(ルカ19章40節)というイエスのことばを思い出したい。(終わり)
2008-02-05 13:20:09
ロサト教授は誤りを教えたか?-(その4)
アンソニー大司教の場合
わたしがグアムに行ったきっかけは、高松教区のサンチャゴ神父からの一本の国際電話だった。彼は、グアムのアンソニー大司教の要請に応えた深堀前高松司教によって、グアムに派遣され、チャランパゴ教会の主任司祭をしていた。 その彼が、故郷のエクアドルに里帰りする間を繋ぐ留守番の神父を探していた。ちょうど信州の野尻湖が雪に閉ざされる真冬とあって、二つ返事で引き受けた。昨年の1月のことだった。
アンソニー大司教は、誠実で働き者のサンチャゴ神父を、ことのほか可愛がっていた。そして、彼の教会の留守番役、主任司祭臨時代行として来たわたしを、快く受け入れてくれた。
グアム島はちょうど淡路島ほどの広さ(549平方キロ)で、人口もほぼ同じ(約17万人)で、16世紀初めにマゼランに発見されて以来、住民の75%がカトリック信者というお国柄である。
第二次大戦後、主としてカプチン会(フランシスコ会系)のアメリカ人宣教師によって維持されてきた教会は、司祭の高齢化と数の減少に悩み、アメリカ国内の召命の低迷のあおりで、新しい宣教師の補充も絶望的であった。
大司教は数年前にローマの「レデンプトーリス・マーテル神学院」の姉妹校をグアムに誘致した。日本のホテル資本が40億円かけて建設した120室余りの豪華リゾートホテルを、たった2億円で買い取り、神学校に改造した。もともとスペインの修道院をイメージして設計されたホテルだったから、まるで神学校への転用を予定していたかのようなおあつらえ向きの建物だった。
グアムの「レデンプトーリス・マーテル」神学院 (上空のセスナから)
今年、この神学校の初穂の3人の司祭たちが巣立っていく。神学生が30人ほど在籍しているから、順調に行けば、今後10年間に約30人の司祭が誕生するはずである。
アンソニー大司教による神学校の誘致は、深刻な司祭不足問題に対する明確な解答であった。今後10年以内に、グアム大司教区の24の教会に十分な数の司祭を供給した後は、マリアナ諸島、ミクロネシア、ハワイ諸島へ、必要な数の司祭と宣教師を供給できる余力を持つようになるだろう。
1980年代の後半に、前教皇ヨハネ・パウロ二世がローマ郊外にローマ教区立として新設した神学校(わたしは確かそこの3回生だったと思う)は、1965年に幕を閉じたカトリック教会の改革会議(第二バチカン公会議)の重要な決定、即ち司祭の養成の新しい指針、をはじめて実験する画期的な試みであった。
わたしは、その神学校に受け入れられて3年目には、早くもローマのサンジョヴァンニ・ラテラノ教会でルイニ枢機卿から助祭に叙階されたが、同期生は20人ほどであった。その数は、伝統あるローマ教区立神学院「コレジオ・ロマーノ」の卒業生の数と拮抗していた。以来15年、ローマ教区に誕生する新司祭の二人に一人はこの新しい神学院の卒業生である。
高松教区には、深堀前司教によって「高松教区立国際宣教神学院レデンプトーリス・マーテル」が1990年12月に設立された。教皇ヨハネ・パウロ二世がローマに設立した同名の神学院の7番目の姉妹校であった。
ローマの第1号が設立されて20年以上たった今日、同名の姉妹校の数は全世界に70数校を数えるに至った。世界中で司祭職への召命が激減している中にあって、この新しいタイプの新学校だけが、常に若い神学生であふれている。アンソニー大司教が開設したグアムの神学校も例外ではない。
この現代の奇跡のような豊かな召命の秘密は、新求道共同体という存在である。アンソニー大司教は、パウロ六世、ヨハネ・パウロ二世、ベネディクト十六世の歴代教皇が異口同音に高く評価し、全世界の司教たちに導入を推奨したこの共同体を、自分の教区に取り入れ、その一貫としてローマの神学校の姉妹校を誘致したのである。
それだけではない。この共同体では、訓練された一般の信徒が、メンバーの回心と福音的養成の指導に当たるのだが、アンソニー大司教みずから、一人の信者として、そうした信徒に自らを委ね、その導きのもとに、回心の道の第一歩から謙遜に歩み始めたのである。
グアムの教会の或る信者はわたしに、大司教はもともとは権威主義的で気難しくとっつきにくい雲の上人だったが、その彼が、新求道共同体の回心の道を一般信徒に混じって歩み始めてから次第に変わり、いまでは信徒たちから、特に子供たちから愛される親しみやすい身近な牧者になった、と話してくれた。
日本では、大分教区の平山元司教様が、同じように一信徒として、共同体のカテキスタの指導に身をゆだね、謙遜に回心の道を初歩から歩んでおられる。これこそ、信徒の上に立つ牧者の鑑ではないだろうか。
私は、ただひとり野尻湖の山荘に篭もり、深い雪に閉ざされ、凍りつく冬のさなかに居るが、昨年の冬に続いて今年も招かれたグアムのひと時は、まことに暖かい(単に気候だけでなく)心和む世界だった。
しかし、日本に古くから言われている通り、「冬来たりなば、春遠からじ」である。全てを委ねて祈りつつ待つなら、神様は、必ず春を用意して待っていてくださるにちがいない。アーメン!
自分で自分を幽閉した冬の山荘・・・・
窓の腰より高い積雪に届きそうな長いツララ けれど、窓辺の
フリージアにはしっかり蕾が膨らんで、今にも匂いそう・・・・
2008-02-03 09:57:56
皆さん!
窓の外は一面の銀世界。遠く目の下に降りしきる雪をすかして野尻湖の湖面が灰色に見えます。
いまFMから流れるワグナー(カラヤン指揮、バイロイト)トリスタンと・・・の音楽以外には音の無い世界です。
さて、昨年春、雪の残る頃にはじめたこのブログですが、偏ったつまらない内容なのにもかかわらず、覗きに来るお客さんが少しずつ増えていくのが、編集モニターから知られます。
わたしは、10年来、毎月のように東京で小さな集まりを持ってきました。先月はじめてこのブログでわたしを知った方が神戸のほうからわざわざ参加されました。それにヒントを得て、あのサロンとこのブログを結び付けてみようと思うようになりました。いわば、ブログのオフ会を兼ねようというアイディアです。
かなりバイアスのかかったわたしのブログのトーンに共鳴される方も、意見を異にして、是非直接それをぶつけたい方も、ともに歓迎です。
お問い合わせはわたしのGooメール〔john-john-john@mail.goo.ne.jp〕まで。
2008-02-03 00:01:37
ロサト教授は誤りを教えたか?-(その3)
○ 聖書にはなんと書いてある?
(ヨハネによる福音書10章11-17節)
「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」(11節)
この「わたし」は第一義的にはナザレのイエス自身を指す。良い彼は「羊のために」すなわち、全人類のために、2000年近く前にパレスチナのエルサレムの町の丘の上でユダヤ人の過ぎ越しの祭りの時に、十字架の上で命を捨てた。
この同じ羊飼いと羊の群れの喩えは、二義的には、個々の教会とその司祭に関しても当てはまる。
プロテスタントの教会には羊飼いとして牧師家族が居る。羊である教会員と牧師との絆は強く、教会員が牧師を生活的に養い、牧師は教会員を霊的に牧会する。その姿は、一つの生きた生命体として、ロサト教授の細胞の喩えに良く当てはまる。
カトリック教会の場合も、つい30~40年前までは、ロサト教授の喩えに良く馴染むクラシックな側面を持っていた。そこでは、司祭と信徒は核と細胞質のように一つの命を形成する安定した閉じられた関係にあった。
何れも、その原型はキリストと弟子たちの関係にあったといえる。要するにそれがキリスト教2000年の変わらぬ姿であった。
「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊も私を知っている。それは、父がわたしを知っておられ、私が父を知っているのと同じである。」(14-15a節)
司牧に当たる主任司祭は、自分の教会の信徒の霊的状態、生活状態を良く知っていなければならない。そのためには、司祭は自分の教会の司牧に専念し、自分の教会の信徒一人ひとり、教会員の家庭との接触を密にし、交わりを深めなければならないだろう。その鏡は、天の父とイエスの関係である。
共同司牧方式は、羊飼いが自分の羊を知る、と言う目的から言うと、聖書の言葉に全く相反する、反福音的な、人間の浅知恵の産物だと言うほかはない。
カトリックの教会と違って、プロテスタントの教会は、ピラミッド型の強固な組織を持たないから、牧師のなり手が少なくなったからといって、共同司牧などと言う安易な解決方法には、幸いにも極めて馴染みにくい。
日本のカトリック教会が導入に踏み切ったこの方式は、幾つかの教会を、それらの教会の数より少ない人数の司祭がローテーションを組んで均等に巡回すると言うもので、複数の司祭が複数の教会に広く浅く均等に関わることを特徴とする。それは、必然的に、個々の司祭はどの教会のどの信徒とも希薄なかかわりしか持たないことをも意味する。「牧者が羊を知り、羊も牧者を知る」ことを構造的に困難にするシステムであると言うほかはない。
羊の側からしても、毎週顔が変わり、同じ顔はたまにしか来ないというのでは、いざと言うときにどの司祭を当てにすればいいのか全く分からないことになる。どの司祭も自分のことを気にかけていてくれる信頼できる牧者とは思えない。結局、ついていくべき牧者を持たない「迷える羊の群れ」となる。
「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。私は命を、再び受けるために、捨てる。」(16-17a節)
いくつもの教会を掛け持ちする司祭は、誰も「この囲い」と呼べる特定の教会を持たないことになる。したがって、「この囲いに入っていないほかの羊」と呼ぶべきものもない。また、誰も彼の声を聞き分けることはないだろう。だから、共同司牧方式では「羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」事が決して起こらないシステムである。司祭達は、自分が関わる教会のどの一つに対しても、そのために命を捨てるほどの愛着も責任も感じないだろう。共同司牧は、よき牧者に関する聖書のキリストのモデルに相反するものであると断定せざるを得ない。
「羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。」(12-13節)
「一人の羊飼いに導かれる一つの群れ」と言う考えからすれば、共同司牧における司祭は、自分が責任を負って導くべき特定の「一つの群」を持たないから、羊飼いではなく、雇われ人に過ぎない。「狼が来る」と言う言葉で象徴される何か深刻な危機に直面すれば、皆一様に責任を回避し、「羊を置き去りにして逃げる」に違いない。その意味で、共同司牧に同調し、それに協力する司祭は、羊のために命を捨てる「良い羊飼い」とは言えないのではないだろうか。そんな司祭が、私は「狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる」ような事は決してしないと誓っても、はたして羊はそれを信用するだろうか。
○ 教会の頭、ローマ教皇はなんと言っている?
わたしは、1年間の「サバティカル・イヤー」を申し渡されて、教区を離れてローマに行くことを命じられていた間、ローマで実に多くの収穫を得た。初めの半年間は、教皇庁立ラテラノ大学の「ヨハネパウロ二世研究所」に通って、やや真面目に勉強したが、それに飽きると、亜紀書房の求めに応じて、自分としては処女作になる本の執筆の傍ら、昼間は遺跡や博物館、美術館めぐり、夜はオペラやコンサートや、特に多数ある小さな芝居小屋で、古典や、コメディーや、政治風刺劇などを見てまわるのを楽しみにした。(まだの方は、是非「バンカー、そして神父」-ウオールストリートからバチカンへ-〔亜紀書房〕をお読み下さい。このブログの通奏低音です。) ローマでの1年間、多くの司祭や教授たちとの友情、ワインをかたむけながらの彼らとの議論は、わたしの目を開くために大いに助けとなった。
現代の少子化、高齢化社会の問題、それとの関連で、世界的な司祭のなり手激減の問題も、そんな対話の中で何度も熱く議論された。そして、或る司祭は、全教皇ヨハネ・パウロ二世の言葉として「司祭不足が今後も続くものと想定し、避け得ない現実としてその前に屈服し、その対策に没頭するのは誤りである。むしろ、司祭のなり手が減少した原因を究明し、司祭の召命が増えるよう抜本的な手を打つことこそ重要である。」と言う意味の言葉を述べられた(書かれた)と言うことを教えてくれた。
そのとき、わたしはそれがいつ何処で話された(または、どのようなドキュメントの中に収録されている)かについてメモを取ることをしなかったので、今ここに正確に引用することが出来ないのはまことに残念である(インターネットで教皇の全ホミリアと全文章をイタリア語で検索すれば見付かるかもしれない)が、いかにもヨハネ・パウロ二世教皇らしい考え方である。
彼が、そのとき、自分がローマに開いたレデンプトーリス・マーテル神学院と世界に展開しているその姉妹校(現在75校を越え、ますます増えつつある)のこと、それらの神学校を満たしている若い神学生たち、そしてそれらの神学生を生み出している新求道共同体の子沢山の大家族たちを念頭に置いていたことは想像に難くない。
ヨハネ・パウロ二世は自らの実験のよって自分の言葉を裏づけ、「共同司牧」の誤りであることを暗に示しているのだと思う。(つづく)