:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ イエスの町 ・ カファルナウム

2012-11-30 22:31:55 | ★ ガリラヤの風薫る丘で

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イエスの町 ・ カファルナウム

―アジアの教会の未来を占う―

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 キコ氏がアジアの司教たちをガリレア湖のほとりのドームスに招待すると、120人余りの司教たちがその招待に答えてやってきた。

 最大のグループはインドの司教団だった。1700万人以上と言われるインドのカトリック信者は168人の司教達によって導かれているが、その三分の一以上の67人(枢機卿1人、大司教6人、司教60人)が参加した。

お隣の国、韓国からは最近選ばれたばかりのソウルの大司教の参加が人目を惹いた。

 日本からは元大分教区の平山高明司教がただ一人参加した。


 

カファルナウムは「イエスの町」と呼ばれてきた(マタイ9.1)。

しかし、下の写真の1世紀のユダヤ教会堂(シナゴーグ)や、

イエスが度々投宿したペトロの家が考古学的に確認されたのはわずか20年ほど前のことだ。

 

 

イエスが説教をしたカファルナウムのユダヤ教会堂の遺跡を見学する120人の司教たちとその随行の一団

 

 

カファルナウムの町の遺構の一部と

その向こうにあるのは発見されたペトロの家の上に遺構を覆う形で建てらえた8角形の教会

 

 

中央のガラス張りの床からペトロの家の遺構が見下ろせるように設計された教会でミサを司式する

ソウルの新大司教

向って右は日本のためのレデンプトーリスマーテル神学院の副院長アンヘル・ルイス神父

左はドームス・ガリレアの責任者でイスラエルのレデンプトーリスマーテル神学院長のリノ神父

 

 

新求道共同体のやり方に則ってペトロの家の教会でミサを司式する

アンドレア・ヨム・スジョン大司教は今年5月に就任したばかり。

かれの新求道共同体に対する前向きで好意的な姿勢は、

今までの韓国のカトリック教会の空気を一変させるものがある。

  

 

近い将来にはソウルにレデンプトーリスマーテル神学院神学院が設立されることも期待される。

韓国の信徒の数はソウル大司教区だけで140万人。日本の全信者数の3倍にあたる。

ローマの意向に忠実な大司教の姿勢は、アジアの教会全体に対してやがて大きな影響を与えると予想される。

  

 

同じ日の午後、一行は聖母マリアが受胎告知を受けた町、そして、幼い頃からイエスが

30年間ひっそりと住んだ町ナザレに向かった。

このファッサードの大きな「お告げ」の教会中央には、

メガホンを伏せたような巨大なドームが載っているのだが、近くからは見えない

 

 

三層になっているこの教会の上の層の壁には、各国から寄贈されたマリア様のモザイク画が並んでいる

日本の聖母子像はきもの姿で描かれている

 

 

下の層はマリアとヨゼフとイエスが住んでいたナザレの家の遺構の一部が取り込まれている。

洞窟型住居の前を張り出して石造りの壁で囲った小さい家だったが、その張り出し部分の石積みは

回教徒がこの地方を支配する直前に十字軍の騎士たちの手で取り壊され、

麻袋に詰めて船に乗せて運びだし、今はイタリアのアドリア海に面したロレトの町に

マリア様の家として小さな、小さな、チャペルの建築素材に使われていて

そのミニチャペルを巨大な教会が包み込んでいる。

この祭壇の下には、ラテン語で

ここで 「神のみ言葉は人となった」 と書かれている。

マリアの受胎告知がこの場所であったということだろう。

 

 

圧倒的な存在感を示すインドの67人の司教・大司教・枢機卿達。

帰国後彼らの内の35人が新求道共同体の導入を決めたという報せがあった。

この1回の司教の集いで、

インドのカトリック教会の約20パーセント、5分の1に、一気に新求道共同体が広がることになる。

ソウルの大司教の今後の動向と共に、アジアの教会の変化から目が離せない。


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なお、今回のアジアの司教たちのドームスの集いのかげには、

ベトナムのある有力な大司教が、参加のためのビザを政府に申請したら、

今回国外に出ることは認めるが、

一旦出たら2度とベトナム国内に帰国することは認められないとの警告を受けて

参加を断念したという話があった。

また、中国の二人の司教もこの集いに参加すべく準備を整えたが、

空港で官憲に阻止されて出国できなかった。

また、アジアのある国の二人の司教は、何とか無事テルアビブ空港までやってきたが、

ビザの不備を口実にイスラエル政府が入国を認めず、そのまま引き返した例もあった。

これだけの国際的な集いともなれば、各国の思惑と外交的駆け引きもあって

国際政治の影が及ぶことも避けられないということか。


(終わり)


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★ 主はあなたをガリレアで待っている-2

2012-11-15 16:26:44 | ★ ガリラヤの風薫る丘で

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主はあなたをガリレアで待っている―2

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ドームスガリレアの前のスロープには大きなテレピンの樹が立っている

樹齢2000年以上と言う話だ

乾燥地のパレスチナでは、テレピンやオリーブのような樹は

2000年たっても温帯の屋久杉のような巨木になることはない

今は人の手が入ってし芝生地にポツンとあるが、元々は大小の岩石が累々とした

荒れ地の中に生えていて、他にあと2本あって、

その3本のテレピンの樹の周りにべドウイン(遊牧民)たちがテントを張っていたそうだが

今は枯れ残ったこの一本だけが孤立している

 

 

整地が及ばない向こうの荒れ地のはるか下には

曲がりくねった道路の先にキリストの山上の垂訓の教会を包む森がみえ、

その向こうは陽光に光るガリレア湖の湖面が広がっている

 

 

その上を鶴ぐらいの大型渡り鳥が群れをなして渡っていく

2000年の12月末にティベリアスの街のガリレア湖畔のホテルに泊まったときには

フラミンゴの大群が、湖面のすぐ上を左から右に渡って何十分も途切れることがなかった

 

 

飛ぶ生き物と言えば、足元の敷石に赤とんぼが一匹羽を休めていたが

中学生時代の昆虫少年の頭の中の図鑑には、この腰の細く締まった赤とんぼはいない

私の知らない日本では見られない新種に違いない

大きさはヤンマと塩辛トンボの中間ぐらいだ

 

 

昼に、ペトロの首位権の教会の前の大きな樹の下で野外ミサを行った

私がイエスの「わたしを愛するか?」と言う声を聞いた教会の前だ

ガリラヤの風邪薫る丘で-3 (参照)

 

 

ミサの祭壇は円形の石のテーブルだが、大勢の会衆に配るパンとブドー酒を乗せるにはやや手狭だ

 

 

目を上げると、樹の枝の彼方に船が見えた

ペトロが漁に使った舟よりははるかに大きい観光客を乗せる船だろう

(つづく)

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★ 主はあなたをガリレアで待っている

2012-11-13 06:20:20 | ★ ガリラヤの風薫る丘で

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主はあなたをガリレアで待っている

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 神様は今年2度目のイスラエルへの旅を私に恵んで下さいました。

世界の新求道共同体の創始者のキコ氏が、6年前に次いで、2度目のアジアの司教達を招いての集いを

ガリレア湖のほとりの山上の垂訓の丘にあるドームスガリレアで開くので

日本からは唯一の参加司教である平山高明引退司教(88才)に同道するためでした。

 

 

好天に恵まれ、エーゲ海の島々の上をひとまたぎ

ローマから約3時間でテルアビブへ

 

  

 

中空には半月が静かに浮かび         空の回廊をローマに向かう僚機かすれ違う  

 

 

テルアビブ空港からは66号線のフリーウエーでティベリアス(ガリレア湖のほとりの古い町)へ向かう

 

 

ドームスガリレアに着くと

白い羊と黒い羊 (私のブログ「黒くなったり白くなったり」 《ガリレアの風・・・④》 (2012.04.27)参照)

 の混成チームの音楽と歌の歓迎が待っていた

 

 

彼らの頭上には 「主はあなた達をこの山の上で待っておられた」 という

教皇ヨハネパウロ2世の言葉が刻まれていた (これ今年の5月にはまだなかった)

教皇は2000年の聖年にこの場所を訪れ、この建物の落成を祝福されたのだった

 

 

キコ氏の招待に応えたアジアの司教達120人余り

インドからの枢機卿1人大司教6人司教60人は全体の過半数を超える圧倒的プレゼンス

紀元1世紀、キリストの12使徒のひとり聖トマスはインドのマドラスで殉教を遂げている

今回、キコの招きに応えて参加したインドの古い典礼の教会の司教達の正装は人目を引いた 

私は1964年(東京オリンピックの年)に日本を脱出し、その年のクリスマスには

インドの最南端コーチンの山の上の修道院でクリスマスの儀式に参加していた

遠くの村々から夜道を上ってきた信者たちが、屋外の焚火の周りを祈り歌い踊るのを

不思議な思いで見守ったことを今でもはっきり思い出す

 

 

キコにかかると、偉い司教さんたちもその指導のままに従う

120人余りの司教を含む300人ほどの司祭・信徒が先ず告白(懺悔)をする

キコの奏でるギターと歌声をBGMに、人々の面前で一人の司教がもう一人の司教に

自分の罪を告白して、跪いて赦しを受ける

50年前、まだシスターや神学生が毎週のように懺悔していたのはもう昔の語り草

多くのカトリック信者が懺悔をしなくなって久しい

ローマ法王はそれでも毎月のように告白する中で

司教や神父や修道女でさえ年に一度も懺悔しないものも出始めているご時世だ

キコに促されて久々の懺悔と言う司教がいても驚いてはいけない 

 

 

この光景をほほえましく見守るサリー姿のインドのご婦人

私にとって、インドのサリー、ベトナムのアオザイ、日本のきもの、が

世界で一番美しい女性の民族衣装だと思われる

 

 

懺悔で心を清められると、今度は祭壇を囲んでミサにあずかる

後ろの壁画はキコの作品

 

 

キコの設計によるドームスガリレアの夜景

中央上の遠くにティベリアデの街の明かりが、その下から左にかけてがガリレア湖

(つづく)

 

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