:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 「お金=神」の時代 どう生きる? (その-2)

2017-09-19 00:00:02 | ★ 福音宣教

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「お金=神」の時代 どう生きる? (その-2)

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人類と「お金の神様」との関りの歴史は実に古い。原始人類が狩猟・採集生活を脱して、定住し農耕を営み、富の蓄積が可能になった時代には、すでに人間の魂のお金の神様に対する隷属は始まっていたと思われる。

マンモンの神とその奴隷(ウイキペディアより)

そのお金の神様「マンモン」の奴隷として生きることを一時的に、人工的に、というか、暴力的に停止して、その奴隷状態から自分を解き放ったら人間は一体どういうことになるか?と言う興味深い実験を、今から2000年ほど前に行った人物がいた。

その人の名はナザレのイエス。イエスは自分の弟子たちをモルモットにその実験を行った。

12世紀末のアシジのフランシスコがそれを真似たことは有名だが、現代のフランシスコキコはスペイン語で「フランシスコちゃん」みたいな縮称形の愛称)がそれをやっていることはほとんど知られていない。

ではイエスは弟子たちに何と言ったのか。

聖書には、イエスが自分の弟子たちを派遣するにあたり、次のように命じた、と記されている。

「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。・・・町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、・・・その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。」マタイ10章5-13節)

要するに、キリストの時は一か月とか、それ以上だったかもしれないが、の期間、一銭もお金を持たず、袋も、余分な衣服も履物も杖も、およそ身を護るものを一切持たずに、からだ一つでただひたすら、「あなたに神の平安がありますように」とか「神の国は近づいた、回心して福音を信じなさい」とか「神様は罪にまみれたあなたをそのまま愛している」とかの紋切り型の言葉を、バカの一つ覚えみたいに告げて歩くために、見知らぬ街や村に送り出す。ただそれだけのことだ。  

別の言い方をすれば、は明晰な頭脳とはっきりとした目的意識を持った生ける神「マンモン」が受肉した化身である紙幣や貨幣は言うに及ばず、クレジットカードや身を護るために金で買った一切のものを身につけないで、「天の御父」イエスキリストの父なる神の計らい以外に頼れるものが何もない境遇を人工的に作り出して、友人も助け手も誰もいない場所でサバイバルゲームを敢行するという実験だ。

私は27年前に51歳でその狂気の沙汰を大真面目にやってのけた。何しろ、散々苦労をしてローマにたどり着いたが、この人体実験をパスしないと正式に神学校に入れてもらえないとあっては、もう「やるっきゃない!」の心境だった。

2人ずつの派遣の組合わせを決める研修センターの建物

アドリア海に面したキコの研修センターに、その年に神学校に割り振られる500人ほどの神学生が世界中から集められていた。そして、これから抽選で二人一組、約250組の若者がヨーロッパ中に派遣されることになった。

籠が幾つか用意され、自分の名前と話せる言葉を書いた紙きれを、主な言語ごとに分けられた籠の中に入れる。また別に、派遣される国と町の名前を書いた紙が入った籠が用意された。

基本ルールは、くじ引きでペアーを決める際に、二人の間で意思疎通できる共通言語があること。二人のうち少なくとも一人は派遣先の国の言葉が話せることである。

ずる賢い私は考えた。日本語はヨーロッパでは役に立たない。イタリア語はまだちゃんと話せない。紙切れに書けるのはとりあえず英語とドイツ語だが、さてどちらにしようかと思案した。英語と書けば、パートナーの範囲がぐっと広くなって、相手が誰になるか見当がつかない。とんでもない国のとんでもない奴と組まされるリスクが高い。ドイツ語の籠に紙切れを入れておけば、パートナーはきっとドイツ人かオーストリア人の若い優秀な神学生に相場が決まっている。そいつの後ろにくっついて行けばきっと楽が出来るし、ドイツ語圏なら土地勘もあるから楽勝だと思った。

スペイン語圏、イタリア語圏が大体決まって、その他の言語の組み合わせに入っても、私はいたってのんびりと構えていたのだが、キコが突然変なことを言いだしたことに気付いた時は私の耳がピンと立った。キコ曰く、「あれ?困ったな!ここに日本語しかできないのが一人いる。どうしよう?ほかに誰か日本人はいないか?と言って籠を物色していたが、やがておもむろに、いたいた!この男はドイツ語を話すらしい。この二人を組みにしてベルリンに送ろう!」

はっ、と気がついたら、その男とはひょっとして私のことではないか?!冗談じゃない!全くの大番狂わせだ!若い優秀なドイツ人神学生の陰で楽をしようと当て込んでいたのに、全ての責任が年寄りの私の両肩にずっしりのしかかってきた。しかも相棒は札付きのミッチャン(光男君)ときたもんだ。彼は服装も物言いも全てだらしなく、彼の部屋はいつもゴミ屋敷同然で、神学校の鬼軍曹のクラウディア―ノ副院長も匙を投げた札付きの相手だ。彼の取り柄は、稀に見る魂の清らかさを別にすれば、壊れたパソコンを修理して蘇らせるという、神の手、奇跡の指の持ち主、と言う特殊技能以外に何かあっただろうか。

選りにも選って、ミッチャンとベルリンの街をお金を一円も持たずに1週間さ迷い歩くなんて、あり得ない。神様、いくら何でもこれはひどい、やってらんない。私は降りた、辞めます・・・!ときっぱり言えればいいのだが、それが出来ない弱みが私にはあった。

異星人のようなミッチャンとの一週間(いや往復の移動日を入れると9日間)が、いかに珍奇な泣き笑い道中になったか?それを次回以降に詳述しよう。

どうかお楽しみに。(つづく)   

マンモンの神とその奴隷(ウイキペディアより)

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★ ヘンシェルカルテット特別公演へのお誘い

2017-09-09 00:37:00 | ★ ヘンシェルカルテット

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「ヘンシェルカルテット特別公演」へのお誘い

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私たちとヘンシェルカルテットのつながりの歴史には実に古いものがあります。1996年に彼らが大阪の国際室内楽コンクールで第1位と金賞をとったすぐ後に、私は日本ではデビュー早々の彼らと2回にわたって関西から東京までのコンサートツアーをしたことのを懐かしく思出だします。そして、その後もドイツで、イタリアで、彼らのコンサートを度々聞く機会がありまし。その彼らが、今は円熟期に入り、ドイツではトップ、ヨーロッパ、世界でも屈指の著名なカルテットに育っています。

彼らはヘンシェル兄弟ー姉のモニカ(ヴィオラ)と双子のクリストフとマルクスが第1と第2バイオリンーそれに幼な馴染みのマティアスがチェロとして加わって、4人でドイツはュンヘンの資産家ヘンシェル氏の薫陶をのもと、幼い頃から英才教育を受けて育ちました。普通カルテットと言えば、それぞれの楽器奏者がプロの演奏家として確立してから知り合って結成するものだから、幼い頃からずっと一緒と言うのは前例がありません。彼らの演奏が4色の和音を奏でる一つの楽器のように聞こえる秘密はその生い立ちにあります。そして、資産家で楽器コレクターの父親がシュウトラデヴァリウスなどの名器を複数買い与えている点でも他に類例を見ません。(ただし、最近はマルクスが独立し、代わりにカタリン・デサーガが入っていますが・・・)

知り合った当時、彼らはまだ20歳台の独身でした。私もまだ若く、神戸の新聞会館から高松の県民ホールまで、交通費を節約するために、嵐のなかワゴン車を運転して揺れる鳴門大橋を渡りながら、ふと思って背筋が寒くなったのを覚えています。もし事故ったら、後ろに積んでいる楽器だけで十億円以上の損害になる、と。神父になって間のない、もと国際金融マンのゲスの考えることでした。

2010年私がローマに居る時、当時のドイツ人教皇ベネディクト16世(本名ヨーゼフ・ラッツィンガー)の霊名、聖ヨゼフの祝日にバチカンの宮殿の壮麗な大広間で、ヘンシェルカルテットは招かれて御前演奏会を開きました。私もモニカから私的な招待を受けて、バチカンの高位聖職者や上流社会の名士たちに交じって聞くことが出来まし。そのブログは、下のURLをクリックするとみられます。 

http://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/e69be491c1e97e6b6b6f2e989e57c243

昨年5月には、青山のカナダ大使館の地下の高級レストランで豪華なディナーコンサートとなりましたが、私は名ばかりの主催者で、その実、キコのシンフォニーのサントリーホール公演の準備でほとんど働くことが出来ませんでした。

今回は珍しく2年続けて来日公演となり、ツアーのおまけとして友情特別公演を開けることになりました。チラシが出来ているので、以下に貼り付けます。どうか皆様お誘い合わせの上、聴きにいらしてください。お待ちします。

 

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★ 「お金=神」の時代 どう生きる?

2017-09-05 00:33:48 | ★ 福音宣教

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「お金=神」の時代 どう生きる? 

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私はある朝、野尻湖の家を出て、尾瀬沼の北、奥只見の田子倉ダムを通って奥会津の片貝温泉で体を休めた。

新潟を回って高速道路を走れば目的地の郡山(福島県)まで4時間余りの道のりだが、下道の国道を走ると、優に倍以上の時間がかかる。しかし、浮いた高速料金で一泊の温泉代をかなりカバーできるから、時間に余裕さえあれば、東北の農村地帯、山岳地帯をのんびりドライブするのも悪くない。かえって、自由で気ままな最高の旅になるというものだ。

魚沼産の米どころ、奥只見の山々、秘境の湯もこれが見納めかもしれないではないか。

田子倉ダム

郡山での用件を済ませて、翌朝なにげなく新聞に目を通していたら、表題の見出しの記事が目に入った。大見出しは「宗教から現代社会を問う」というジャーナリストの池上彰氏と作家の佐藤優氏の対談を軸にまとめた特集が5面いっぱいに展開されていた。

佐藤氏は言う。「1万円のもとは二十数円。それに価値を認めるのは《拝金教》と言う宗教を信じていることなのだ」と。私は納得したような、しないような・・・。

池上氏は言う。「私たちは、神と言った超越的な存在を信じるのを宗教と考えていますよね。ただ、お金にも《超越性》がある・・・《お金と言う神様》がいる資本主義。その中で、私たちはどう生きる?」これは、私も考えさせられる大問題だと思った。

人類と共に古い職業。それは女性の場合は《娼婦》、つまりお金のために自分の体を売る商売だが、一流大学出のエリートがお金のために職業上の機密を売る。つまり自分の良心と自分の魂を売り渡して《お金の神様》の奴隷となり、その神を礼拝し、その見返りに神のご加護(出世や昇給)を期待する。ところが、お金の神に見放されると人はいとも簡単に自殺する。

だから「お金=神」と言う池上氏の設定は正しいと思う。富を崇拝する世俗化した資本主義は、グローバル化した偶像崇拝の巨大宗教と言うことが出来る。その宗教の神は「マモン」または「マンモン」と呼ばれ古代シリアの偶像神にまでさかのぼるらしい。テレビゲームの世界ではお馴染みのキャラクターだ。

ちょっと立ち止まって、胸に手を当てて、正直に反省してみると、私を筆頭に、すべての現代人は国籍を問わず多かれ少なかれこのマンモンの神の礼拝者、その信者、その奴隷であることに気付くはずだ。これこそ世界最強、最大の宗教で、その前にはキリスト教も回教も仏教もかすんで見えるほどだ。

だが、聖書には「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。」マタイ6章24節)とある。

これを読むと、私を始めとして、キリスト教を信じていますと告白する信者のほぼ全員が、実は「富に親しんで神を疎んじる」キリスト教者失格で、本当はマンモンの神の熱心な信奉者であるという本性が見えてくる。だから、神父やシスターを先頭に、キリスト教信者なんて、マンモンの神の奴隷が十字架を染め抜いた半纏(ハンテン)を着て歩いているような滑稽な姿をしていることに気付いていないだけだ。現金やクレジットカードと無縁な日常生活がほとんど不可能なほど、マンモンの神は私たちの存在の根底に深く食い込んでいる。神に親しむがゆえに富を疎んじる生活などもはや成り立たないかのようだ。

しかし、それは何も今日に始まったことではない。キリストの直弟子たちからして、今の我々と50歩100歩だったのだ。いかに教育し薫陶しても、一向に天の父なる神を信じ帰依しきれないでいる弟子たちを促して、イエスは一つの過激な実験に挑戦させた。それは、マンモンの神の奴隷状態から一時的に解放して、天の父なる神以外に頼るものがない状態を人工的に作り出したら、そこで人はどうなるか、と言う実験だった。二人ずつ組みにして、一銭もお金を持たせず(つまり、マンモンの神を身辺からきっぱりと遠ざけて)、福音を告げるために巷に放り出すのだ。

イエスは自分の12徒を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、・・・その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。」マタイ10章5-13節)と聖書に記されている。

聖書にはその実験の期間についての記述がないが、3日や5日では効果が見えてこないことは容易に想像できる。多分、少なくとも半月、おそらく一か月以上はかけたに違いない。ジャングルや極地におけるサバイバルゲームを、人の住む町や村の中で行うのだ。

それを、現代文明社会で文字通り再現したらどうなるだろうか。何十人から数百人を、2人ずつ組みにして派遣するために、家族や仕事のある生活人に揃って一定期間の休暇を確保させるとすれば、せいぜい10日から2週間が限度だろう。一か所に集合して、抽選で組み合わせ相手と派遣先の町を決めるのに2-3日を要する。派遣期間が終わって帰ってきて報告会を開くのにまた2-3日を要すると考えれば、正味1週間、まる7日ぐらいが限界と言う事になるだろうか。2-3日なら公園やコンビニのトイレの水を飲んで飢え渇きに耐えることが出来るだろう。夜は公園のベンチや橋の下に段ボールを見つけて雨露をしのぐこともできる。しかし、1週間となるとやせ我慢にも限界がある。財布に一人5-6万円のお金があれば、コンビニやファミレス食べ、ビジネスホテルに泊まればいいからなんてことはないが1銭も持たされず、期間中、食べ物、飲み物、一夜の床は人の好意にすがってもいいが、お金だけは絶対に受け取ってはならない言われると、神様の計らいに対する最低の信頼なしには、足がすくんで出かける勇気がわいてこないのが普通だ。

ただ、やったら神様が実在すること、神様が細やかな配慮をもって必要なことをはからって下さることを理屈抜きに体験できるだろうと言う言葉を信じて、恐れながらも蛮勇を振るって出かけるしかないのだ。

私は四半世紀以上前に2回にわたってその実験に参加した。言われた通りにやったら、あら不思議、神様は実在した。それも、普段ポケットの中に居るお金の神よりも確かなものとして。彼は私を心にかけ、必要を十分に満たして下さった。お金の神様よりもはるかに頼もしい信頼のおける神様がいた、と言う事実を、理屈抜きに実体験出来た。生涯決して忘れることのできない、信頼の揺るぎえない基礎を与えられた。背骨にズカッと筋金が入ったと言ったらいいだろうか。

 

しかし、いくら抽象的な話を聞いても、ブログの読者には説得力のある実感が湧いてこないかもしれない。だから、遠い記憶をたどりながら、あの時、私の身にどんなことが起こったか、出来る限り忠実に、かつ具体的に記して納得していただこうと思う。次回以降を是非お楽しみに。

(つづく)

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