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「お金=神」の時代 どう生きる? (その-2)
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人類と「お金の神様」との関りの歴史は実に古い。原始人類が狩猟・採集生活を脱して、定住し農耕を営み、富の蓄積が可能になった時代には、すでに人間の魂のお金の神様に対する隷属は始まっていたと思われる。
マンモンの神とその奴隷(ウイキペディアより)
そのお金の神様「マンモン」の奴隷として生きることを一時的に、人工的に、というか、暴力的に停止して、その奴隷状態から自分を解き放ったら人間は一体どういうことになるか?と言う興味深い実験を、今から2000年ほど前に行った人物がいた。
その人の名はナザレのイエス。イエスは自分の弟子たちをモルモットにその実験を行った。
12世紀末のアシジのフランシスコがそれを真似たことは有名だが、現代のフランシスコ(キコはスペイン語で「フランシスコちゃん」みたいな縮称形の愛称)がそれをやっていることはほとんど知られていない。
ではイエスは弟子たちに何と言ったのか。
聖書には、イエスが自分の弟子たちを派遣するにあたり、次のように命じた、と記されている。
「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。・・・町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、・・・その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。」(マタイ10章5-13節)
要するに、キリストの時は一か月とか、それ以上だったかもしれないが、の期間、一銭もお金を持たず、袋も、余分な衣服も履物も杖も、およそ身を護るものを一切持たずに、からだ一つでただひたすら、「あなたに神の平安がありますように」とか「神の国は近づいた、回心して福音を信じなさい」とか「神様は罪にまみれたあなたをそのまま愛している」とかの紋切り型の言葉を、バカの一つ覚えみたいに告げて歩くために、見知らぬ街や村に送り出す。ただそれだけのことだ。
別の言い方をすれば、は明晰な頭脳とはっきりとした目的意識を持った生ける神「マンモン」が受肉した化身である紙幣や貨幣は言うに及ばず、クレジットカードや身を護るために金で買った一切のものを身につけないで、「天の御父」イエスキリストの父なる神の計らい以外に頼れるものが何もない境遇を人工的に作り出して、友人も助け手も誰もいない場所でサバイバルゲームを敢行するという実験だ。
私は27年前に51歳でその狂気の沙汰を大真面目にやってのけた。何しろ、散々苦労をしてローマにたどり着いたが、この人体実験をパスしないと正式に神学校に入れてもらえないとあっては、もう「やるっきゃない!」の心境だった。
2人ずつの派遣の組合わせを決める研修センターの建物
アドリア海に面したキコの研修センターに、その年に神学校に割り振られる500人ほどの神学生が世界中から集められていた。そして、これから抽選で二人一組、約250組の若者がヨーロッパ中に派遣されることになった。
籠が幾つか用意され、自分の名前と話せる言葉を書いた紙きれを、主な言語ごとに分けられた籠の中に入れる。また別に、派遣される国と町の名前を書いた紙が入った籠が用意された。
基本ルールは、くじ引きでペアーを決める際に、二人の間で意思疎通できる共通言語があること。二人のうち少なくとも一人は派遣先の国の言葉が話せることである。
ずる賢い私は考えた。日本語はヨーロッパでは役に立たない。イタリア語はまだちゃんと話せない。紙切れに書けるのはとりあえず英語とドイツ語だが、さてどちらにしようかと思案した。英語と書けば、パートナーの範囲がぐっと広くなって、相手が誰になるか見当がつかない。とんでもない国のとんでもない奴と組まされるリスクが高い。ドイツ語の籠に紙切れを入れておけば、パートナーはきっとドイツ人かオーストリア人の若い優秀な神学生に相場が決まっている。そいつの後ろにくっついて行けばきっと楽が出来るし、ドイツ語圏なら土地勘もあるから楽勝だと思った。
スペイン語圏、イタリア語圏が大体決まって、その他の言語の組み合わせに入っても、私はいたってのんびりと構えていたのだが、キコが突然変なことを言いだしたことに気付いた時は私の耳がピンと立った。キコ曰く、「あれ?困ったな!ここに日本語しかできないのが一人いる。どうしよう?ほかに誰か日本人はいないか?と言って籠を物色していたが、やがておもむろに、いたいた!この男はドイツ語を話すらしい。この二人を組みにしてベルリンに送ろう!」
はっ、と気がついたら、その男とはひょっとして私のことではないか?!冗談じゃない!全くの大番狂わせだ!若い優秀なドイツ人神学生の陰で楽をしようと当て込んでいたのに、全ての責任が年寄りの私の両肩にずっしりのしかかってきた。しかも相棒は札付きのミッチャン(光男君)ときたもんだ。彼は服装も物言いも全てだらしなく、彼の部屋はいつもゴミ屋敷同然で、神学校の鬼軍曹のクラウディア―ノ副院長も匙を投げた札付きの相手だ。彼の取り柄は、稀に見る魂の清らかさを別にすれば、壊れたパソコンを修理して蘇らせるという、神の手、奇跡の指の持ち主、と言う特殊技能以外に何かあっただろうか。
選りにも選って、ミッチャンとベルリンの街をお金を一円も持たずに1週間さ迷い歩くなんて、あり得ない。神様、いくら何でもこれはひどい、やってらんない。私は降りた、辞めます・・・!ときっぱり言えればいいのだが、それが出来ない弱みが私にはあった。
異星人のようなミッチャンとの一週間(いや往復の移動日を入れると9日間)が、いかに珍奇な泣き笑い道中になったか?それを次回以降に詳述しよう。
どうかお楽しみに。(つづく)
マンモンの神とその奴隷(ウイキペディアより)