《 教皇の言葉 》
福音を告げることは全キリスト者の務め
=「新求道期間の道」の謁見で=
(バチカン広報誌 “L’OSSERVATORE ROMANO” 1月17-18日号より)
福音を告げ知らせることは、「洗礼を受けたこと自体から生ずる全キリスト者の責務である」ことを、教皇は去る1月17日(月)の朝、パウロ6世謁見場で行われた「新求道期間の道」のメンバーに対する謁見の際、出席者たちに想起するよう促した。
親愛なる友の皆さん!
あなたたちを迎え、心からの挨拶を送ることは私の大きな喜びであります。私に対する挨拶の言葉を述べ、この会場の出席者を紹介してくれた「新求道期間の道」の創始者キコ・アルゲリオ氏とカルメン・エルナンデス女史に、そしてマリオ・ぺッツィ神父に対しても、特別な挨拶を送りたいと思います。また、ここに集う司祭、神学生、宣教家族、そして「道」のメンバーたちにも深い愛情をこめて挨拶を送ります。
今日の出会いを与えて下さった主に感謝します。あなたたちは、復活したキリストが弟子たちに与えた「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16章15節)という命令を真摯に受け止めて、ここでペトロの後継者との絆を新たにしています。
40年以上前から、「新求道期間の道」は、司教区において、また小教区において、主が私たちのただ中に来られ、私たちの一人として生まれ、御自分の受肉を通してもたらされた神の命、天上の命を深く味わうことを助け、洗礼の豊かさを段階的かつ徹底的に再発見することを通して、キリスト教入信を活性化し強化することに貢献しました。教会に与えられたこの神の賜物は「キリスト教入信と信仰の継続養成の一つの方式として司教に提供される」ものです(規約第1条第2項)。私の前任者、神の僕パウロ6世が、1974年にあなたたちと初めて出会った時あなたたちに想起させたように、このような奉仕は「初代教会において洗礼の準備期間中に実現された信仰の成熟と深まりを、今日のキリスト教共同体において再現することができる」のです。(パウロ6世の教え xii [1974], 406)
新求道期間の道の規約の起草は、数年間を費やして順調に進められ、適切な《試行》期間を経て、2008年6月に最終的に承認されました。さらに、もう一つの重要な一歩として、《新求道期間の道の要理教授指導要綱》が聖座の関係各省の検討を経て、このたび正式に承認されました。主は、教会のこれらの認証によって、「道」の貴重さを今日新たに確認し、あらためてそれをあなた方に託します。あなた方は、聖座と教会の牧者たちに対する子供のような従順のうちに、新たな熱情と躍動心をもって、洗礼の恵の根本的な喜ばしい再発見と、新しい福音化のために貢献するでしょう。教会は「新求道期間の道」の中に聖霊によって引き起こされた特別な恵みを認めました。そこには教会の体の中に大きな調和のうちに自然に溶け込む傾きが認められます。あなた方が、このような光のもとに、牧者たちや、あなたたちがそこで働くように召された多種多様な地方教会とその要素との間に、常に深い交わりを持つように努めることを勧めます。事実、イエスの弟子たちの兄弟的交わりは、イエスキリストの名の第一の、そして最大の証しでした。
5つの大陸で既に働いている約600の宣教家族と一体となって、大いなる寛大さをもって協力を申し出て宣教に旅立っていく200組以上の新しい家族を、全世界の様々な場所に今日派遣することができることを、ことのほか嬉しく思います。親愛なる家族の皆さん、あなたたちが恵として頂いた信仰が、人々に天国への道を示す燭台の上に置かれたあの光のようになりますように。同じ気持ちで、13の《ミッシオネ・アド・ジェンテス》(異教徒への宣教団)を様々な国の著しく世俗化された地域や、キリストのメッセージがまだ届いていない場所へ、新しい教会的現存をうち立てるために派遣します。あなたたちは、自分たちの傍に復活したキリストの生き生きとした現存と教皇の祈りを感じ、また多くの兄弟たちが常にともに居ることを感じることができるでしょう。
愛情をこめて、ヨーロッパ各地の《レデンプトーリスマーテル》神学院からやってきた司祭達と、ここに集う2000人以上の神学生達に挨拶を送ります。親愛なる皆さん、あなたたちは、自分の洗礼の恵の再発見から生まれる善い実りの特別に雄弁な印です。私たちはあなたたちを特別な希望の眼差しで見守っています。あなたたちは、主に出会い彼に奉仕することの喜びをこの世に伝えることのできる、キリストとその教会に恋した司祭達です。
また、旅人のカテキスタたち、並びにローマとラツィオ地方の新求道共同体のカテキスタたち、そして特別な愛をこめて《COMMUNITATES IN MISSIONEM》(宣教する共同体)に挨拶を送ります。あなたたちは、敢えて遠く不便なところへ(共同体ごと)移住して、困難のうちにあるその地の小教区を助け、迷える子羊を探し、それをキリストの囲いへ連れ戻す為に、出身母体の共同体の安定を捨てました。あなたたちが苦しみと無味乾燥さを味わう時は、十字架のキリストの受難と、信仰と真理から遠ざかっている多くの兄弟たちのところに行き彼らを父の家に連れ戻したいというキリストの願いとに結ばれていることを思い出して下さい。
私が 神のみ言葉(Verbum Domini)という使徒的勧告の中で書いたように、《教会の宣教活動は、教会生活の中におけるなにか任意で付随的な事柄だと考えることは出来ません。それは、私たちの生活全体にみ言葉が浸透するような形でキリストと一致するために、聖霊に身を委ねることであります。》(No.93)神の民全体は《派遣された》民であり、福音を宣べ伝えることは洗礼の結果としてすべてのキリスト者に課された責務であります。(同94参照)使徒的勧告 神のみ言葉 にとどまって、特にその文書の第3部の《教会の使命、それは世界に神のみ言葉を告げること》(No.90-98)について述べられているところを黙想してください。親愛なる友の皆さん、主イエスの救いの切望と、彼が全教会に託した使命に参加する心を持ちましょう。あなたたちに「道」のインスピレーションを与え、ナザレの聖家族をあなたたちの共同体のモデルとして与えられた祝せられた処女マリアが、あなたたちのために謙遜と素朴さと賛美のうちに信仰を生きることができるように執り成し、あなたたちの宣教に常に伴って下さいますように。ここに集うあなたたち皆と、世界に広がる「新求道期間の道」の全てのメンバーの上に与える私の心からの祝福も、あなたたちの支えとなりますように。