:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 母の胸に抱かれる少女=無垢な魂たちの苦しみ

2013-05-30 08:31:56 | ★ ローマの日記

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母の胸に抱かれる少女

=無垢な魂たちの苦しみ=

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この女の子は戦争でお母さんを亡くしました

いま孤児院で生活しています

彼女は孤児院の中庭に

チョークでお母さんの型を描きました

そして

抱きしめられたくて

そこにそっと横たわりました

お母さんへの尊敬をこめて靴を脱いで

 

 

 

全ての戦災孤児のために祈りましょう

そして、彼らに感謝しましょう

無垢な魂たちの背負った苦しみが

私の、そして貴方の

犯した罪を贖ってくれるのですから

彼女が

いつかお母さんの胸に抱かれて

微笑む日が来ますように!

たとえそれが

天国に帰ってからであるにしても !!

 〔完〕

 

 

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★ 初めて新教皇の姿に直接ふれて (そのー2)

2013-05-20 13:02:35 | ★ 教皇フランシスコ

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初めて新教皇の姿に直接ふれて (そのー2)

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日本とローマとの間にはいま7時間の時差があります。

昨日のブログは、深夜を過ぎたところで、導入だけで終わった妥協の産物でした。

こちらは4時間寝たか、寝ないかで早朝6時の祈りとなった。

朝の祈りの後、コンピューターを立ち上げてメールを開いたら、

「昨日のブログ、あれは一体なんのつもりだ?教皇の姿も言葉もなく、見出し倒れだ!

どういう了見であんな内容のないブログをアップしたのか?怪しからん!木戸銭返せ!」

の強いお叱りが入っていて、恐縮!恐縮!起きるなり小さくなりました。

それで、名誉挽回のために、以下、本論に入ります。

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一晩ぐっすり休んで日曜の朝、目が覚めたら、ああそうか、ここは神学校の自分の部屋ではない。この家の主人が沸かすコーヒーの香りが、テレビの朝のニュースの音と一緒に寝室の細く開いたドアの隙間から流れ込んできました。ライ・ウノ(RAI-1)と言う番組は日本のNHK総合テレビの位置にあります。昨夜は、バッテリー切れのカメラでなす術もなかったが、その同じ光景のダイジェスト版を今まさに目の前のテレビが放映しているではないですか。主人の買い置きのバッテリーを分けてもらって、カメラは息をふきかえしました。以下の映像はテレビ画面からカメラで写し取ったものです。

やはりブログは写真がないと気の抜けたビールみたいですね。何だか元気が湧いてきました。

「信徒と共に、広場の教皇」(Il Papa in piazza con i laici)

と言う文字が画面の下に出ています。朝の番組で詳しく取り上げています。日本のNHKが靖国神社や伊勢神宮の行事を朝の番組で長々と実況解説しながら流すでしょうか。イタリアはカトリックを国教に謳ってい居るわけではありません。カトリックの教会に通っているのは国民の10%にも満たないのではないでしょうか。それでも残りの90%も違和感なく教皇の催しをテレビが流すのを何とも思わないようです。腐っても鯛。まだまだカトリックは庶民の心の底に生きているのでしょう。

アメリカ合衆国も大統領の就任式には聖書に手を置いて宣誓をします。カトリックのケネディーも黒人プロテスタントのオバマもそうしました。しかし、モルモン教の大統領が選ばれていたら、ちょっとややこしいことになっていたかもしれませんね。手を置くべき聖書が違ってしまいますからね。回教徒の大統領になったらコーランにとって代わるのでしょうか?天皇の国事行為には特に神道色は無いようですが・・・

 

 

聖ペトロ広場の真ん中の通路の突き当りの屋根のあるところに教皇フランシスコが坐るはず。



群衆の奥の方、白く左右に見える細い線が実は広場中央の通路の位置です。その向こう側の前から2列目に私はいます。午後4時からそこでじっと待っているあいだ、この画面の左奥の正面の舞台では歌や踊りや、体験談の証言などが女性の司会者によって展開されていました。教皇のお出ましは6時だと思っていたら、5時半に左右の大型電光スクリーンにパパモビレ(ベンツ製の白く塗った大型ジープのオープンカー) が写り始めました。どうやらテベレ川の橋のあたり、大群衆の中をゆっくりサンピエトロ寺院に向かってパレードしている様子。広場の中に入ってからは、あらかじめ設けられた通路を左右に移動しながら、なるべく多くの群衆の身近を通過する工夫がなされていました。私の前もゆっくり左から右に通っていきました。


 

ひょっとしたら、ヨハネ・パウロ2世が銃弾を受けて瀕死の重傷を負ったときに乗っていた車と同じではないかと言う思いが、ふと頭をよぎりました。大勢の手を身を乗り出して握り、赤ん坊を祝福し・・・、これもヨハネ・パウロ2世の姿と重なるものがありました。でも、もう教皇を撃たないで、と祈りました。


 

素朴さ、温かさ、率直でユーモアたっぷりの庶民的な姿には好感を受けました。

「皆さんはヴィーヴァ・パパ!(教皇万歳!)とか、ヴィーヴァ・フランチェスコとか叫んでいるが、ここで皆さんの歓呼を浴びて迎えられるべきは、私ではなく イエス・キリスト》 ではないですか?!と切り返した。」

私は思わず声を出して笑ってしまいました。そして、群衆の中からは、多少戸惑ったようなヴィーヴァ・ジェズー!(イエス万歳)の声も波のように起こりました。ハッとするような真実の言葉を、アドリブでこともなげにばら撒くあたりは、ヨハネパウロ2世(JP-2)とはまた一味違う。(JP-2)は温かい優しさと重々しい荘厳さが混在した男っぽい近づきがたさもあったが、この教皇は貧しさにも飢えにも寄り添ってきた庶民の近づきやすさがある。

 

この日の話からいくつかのポイントを拾ってみましょう。

「政治に倫理が欠けるなら、何でもやり放題になる。倫理の欠乏は人類にとって悪である!」

「ちょっと投資が翳るだけで、銀行は大悲劇だと騒ぎたてるが、家庭のやりくりが苦しくても、人々が飢えていても、そんなことはどうでも構わないと言うのか!?」

「わたしは貧しい人たちのための貧しい教会を望む。」(彼は中世の王侯の宮殿のようなバチカンの「教皇の舘」に住むことを拒み、簡素なアパートに住んでいる。)

「着飾った気位の高いキリスト教信者はうんざりだ! 実存的に社会から忘れ去られた人たちに寄り添う勇気こそ必要だ!」

「教会は政治的運動体でもなければ、良く組織されたシステムでもない。教会がNGO法人の一種に成り下がったら、味を失った塩にすぎないではないか!」

彼のメッセージはわかりやすく実に歯切れがいい。

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この日、この夕べ、聖ペトロ広場は100種を超える信徒の運動体のメンバーが掲げる色とりどりの旗や横断幕やプラカード埋め尽くされていました。しかし、何か変だぞこの雰囲気??? 何故って、後ろを振り向いて広場の端まで見渡しても、この種の集会ではいつもはいやでも一番目立つ「新求道共同体」の横断幕、キコの絵のプラカード、各共同体の旗やスローガンな全くない。地下鉄から広場までの道々、何人も知った顔にで会っているから、そこそこの数の兄弟が混じっているはずなのに、まるで存在の気配が消えている。何か変ではないか?

その謎が今日の昼食のテーブルで解けた。今回の大集会を組織したのは、新しく設けられた信徒の「運動体」を取りまとめるバチカンのお役所だった。私もグレゴリアーナ大学で神学の講義を聞いたイエズス会のリノ・フィジケラ教授が今は枢機卿に出世して、そのお役所の初代長官になった。彼には、新求道共同体の存在が見えていなかったのだ。彼の頭にあるのは「運動体」であって、「共同体」ではなかったのだ。その点がこれまでの教会と違った。キコは一個人として壇の下の群衆の中にはいたが、巨大な共同体組織の指導者として壇の上で脚光を浴びることはなかった。

しかし、そんなことはどうでもいい。この新教皇もキコの新求道共同体の最も信頼するに足る深い理解者であり保護者であることは、すでに疑う余地はないからです。パウロ6世の時代から、ヨハネ・パウロI世、II世、ベネディクト16世、そして今回の教皇フランシスコまで、一貫して大切にされてきた新求道共同体は、これからも着実にその使命を果たし続ける事でしょう。

 

 

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★ 初めて新教皇の姿に直接ふれて (そのー1)

2013-05-19 21:20:46 | ★ 教皇フランシスコ

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初めて新教皇の姿に直接ふれて (そのー1)

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しばらくブログ更新をさぼっていました

書かないとアクセスが減るのは当たり前の現象ですね。でもこれと言う材料が・・・

と思っていたら、ここ3-4日の間に、話題にしてもいいような出来事が立て続けに起こりました。

一番最近の出来事から順にアップしましょう。

今日は聖霊降臨の大祝日。

イエスの弟子たちは、ユダヤ人の指導者に売られ、ローマ人兵士たちの手で十字架の上で苦しみもがきながら息絶えて死んだナザレのイエスが、三日目に甦ったという婦人たちの報告に始まり、不思議な体験を通じてそれを信じるに至ったとはいえ、イエスを売ったユダヤ人の指導者やイエスを処刑したローマ兵を恐れて、イエスとの最後の晩餐を食した秘密の隠れ部屋に怯えてひっそりと隠れていました。

ところが、キリストの復活から7週目のこの日、彼らの上に神の霊、「聖霊」が降って勇気を得た弟子たちは、公然と復活のキリストを告げ、最初の宣教活動を開始しました。その「聖霊降臨」の出来事を今日カトリック教会は盛大に祝ったのです。

新教皇フランシスコは、この日を記念するために、前晩の昨日の夕方から一般信徒の様々な運動体のメンバーを聖ペトロ広場に呼び集め、祈りと対話の集会を催しました。

教皇選挙のニュースを日本で知った私にとっては、たとえ遠くからでも直接パパ・フランシスコを見ることの出来る最初の機会とあって、何を置いても広場にはせ参じることを早くから決めていました。

大群衆で混乱すると踏んで、車はやめて地下鉄で出かけました。3時に広場が開くということだったが、バチカンの最寄りの駅に着いた4時ごろには、広場はもう満員御礼の状態でした。ブログに書くことを意識して、道々写真を撮り始めました。

 

角ごとに金網で窓を護っているイタリア政府の機動隊の車が待機している。

 

 

ボストンマラソンの爆弾テロが脳裏をかすめる。空港のセキュリティーチェック並みの手荷物検査を通過して聖ペトロ広場に一歩足を踏み入れると、そこは派手な制服のスイス衛兵と、ドゴールハットのバチカンの正規兵と、耳にイヤホーン、袖口に隠しマイクのダークスーツのセキュリティーガードがうようよしている。

今日はいい写真が撮れそうだとほくそ笑んで、次の被写体にレンズを向けてシャッターを切ろうとしたら、突然ファインダーがブラックアウトした。冷や汗がタラリと首筋を流れた気がした。どうやら起こり得る最悪の、最も愚かな失敗を犯したらしい。部屋を出る時、手持ちのバッテリーをカメラに詰替えて来たのだが、間違えてほとんど使い切った古いのを入れてしまったようだ。適当な撮影ポイントを求めて、ビニールシートを敷いて座り込んで2時間も先の式典の開始に備えて休んでいる若者たちの頭の上をまたぐようにして前へ前へと進んで、椅子席が用意された柵のところまでやっとたどり着いて、席取をしていた女性の予備に取っていた貴重な一席を運よく分けてもらうことに成功したばかりだった。この席を逃したくないし、第一広場の外にバッテリーを買いに行こうにも退路はすでに絶たれていた。広場をあふれ、遠くテベレ川までの大通りまで25万人の群衆が、これから4時間あまり、トイレに行くことさえ出来ない状態の中にいる。大人しく自分の目と耳でしっかり記録する以外どうしようもない。しかし、写真なしにはブログにもならないと観念した。

2時間、ただひたすら待って、正味2時間余りで8時過ぎに式は終わった。待ち始めたときはカンカン照りの午後の日差しで汗をかき、熱中症予防のために無料配布されたペットボトルの水を2本飲み干したが、どうやら全部が汗で蒸発したわけではないらしい。集会が解散するころには、日没後急に襲ってきた冷気に包まれて、下腹部のタンクは破裂寸前だった。25万人が多かれ少なかれ一斉に同じパニック状態にあると想像していただきたい・・・。

と、こんなバカなことを書いてこのブログを終わらなければならないかと思うと情けない。

解散直後のバチカン周辺は、新宿や池袋の朝のラッシュ時以上の大混雑だ。どれだけ待てば地下鉄やバスに乗れるか分かったものではない。私は引き続き、ローマの中心にある自分の教会の聖霊降臨徹夜祭の9時のミサに間に合わなければならない。大通りで、しかも人が一番向かいそうにない方角に急ぎ、流しのタクシーを探し回った。しかし、25万人も人がいれば、同じことを考える人間が他にも居ても驚くにあたらない。厚かましさにおいてはイタリア人に勝てない。あきらめてふて腐れてバーに入ってビールを注文した。すると、物陰に車を停めて、ピッツァで腹ごしらえをしているタクシー運転手を見つけた。食事中を強引に交渉して乗り込んだ。彼は片手でハンドルを操り、片手でピッツァを口に運びながら急いでくれた。それでも教会に着いたのは10時前だった。祭服を着て祭壇に立つには遅すぎた。幸い司式は招かれた司教さんで、我々平の神父たちはその他大勢にすぎない。一人多くても少なくてもどうってことはない。空の電池に始まって、ついていない日はどこまでもついていないものだ。広い教会の後ろの信徒のあいだに紛れ込んだ。

11時過ぎていわゆる徹夜祭は終わった。次の日は朝から自分の共同体の一日の集いが待っている。それは自分一人で仕切らなければならないから、すっぽかすことも遅れることも許されない。しかし、もう神学校に寝に帰って出直す時間も体力も残っていない。自分の共同体の兄弟の家に潜り込んだ。しかし、眠れぬまま頭の中は「どうやって写真なしのブログを書こうか」と言う思いで一杯だった・・・。

一日の集いも無事に終え、自分の部屋に帰ってここまで書いたところで、ローマの真夜中12時を過ぎました。明日朝は5時半起き。6時から日本のための神学校は日本語で朝課の祈りをします。私が寝ていては若い神学生に示しがつきません。ハードな2日間だったので、ここで一旦筆をおきます。

明日は、奇跡の写真入りのブログで新教皇のお話の内容や、聖霊降臨のバチカンでの前夜祭の内容をお伝え出来るでしょう。

どうやってそれが可能かって?それは明日のお楽しみ!

お休みなさい。  

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