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インドの旅から
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〔改訂版〕田川建三の遠藤周作批判
私のブログの「インドの旅」シリーズは、あと1話を残してほとんど終わりかけていたのに、第19話「サンガムの沐浴」から大脱線して、遠藤周作の「深い河」に溺れそうになった。何とか早く遠藤批判にケリをつけて、先に進まなければならない。
最近、田川建三の「宗教とは何か」という一冊を読んだ。そのなかに遠藤周作批判があって、読み進むうちに、私の若いころの直感が正しかったことを再確信させてくれて、胸のすく思いがした。
私より4才年上の田川(ストラスブール大学に留学、1965年に宗教学博士、聖書学者)の遠藤批判は、私の厳しい遠藤評価に、実に論理的かつ聖書学的な裏付けを与えてくれた。
田川は遠藤の「イエスの生涯」と、「キリストの誕生」を中心に遠藤批判を展開しているが、聖書学者の緻密な分析に基づいて、私の力ではとてもなし得ないほど深く、 的確に、遠藤の作品の問題点を明らかにしている。今回のブログが長くなりすぎないために、以下に、まず田川の主な論点だけを拾い出して簡潔に列記してみよう。私の考えは次回以降に譲りたい。
若き日の遠藤周作
まず、田川は遠藤のイエス像を、「ずぶの素人がいわば出版資本の要請に応えて書き流したものに過ぎない」と切って捨てる。
そして、「それにしては既にあまりにも多く売れて人々に読まれ、数多くの日本人がイエスという人物について思い描くイメージを大きく規定してきてしまったし、そこに含まれた実に数多い欠陥は、それぞれ、イエス伝を描くと言う行為にまつわる諸問題を典型的に示しているので、取り上げて論じる意味は十分にあろうかと思われる。」と付け加える。
さらに、「作家が良く知らないことに関して知ったような顔をして口を出し、しかも、作家の書くことが不当に多く評価されすぎる今の日本においては、作家の書きなぐる無責任な著述が人々の『知識』の内容を形作ってしまう、という世相に対して、一つの警鐘をならしておく必要があろうかと思われ。」(P.171)(注)と続く。
実際「イエスの生涯」は駄作である。「キリストの誕生」には例の遠藤周作特有の甘ったるい「弱者の論理」があちらこちらの頁に散りばめられている。(P.172)
(人は)イエス像を描くときには、自分の期待する理想的な人間像を思い入れたり、無自覚のうちに自分の未熟な思いをそのまま投影してしまう。それは、自分の現在のあり様を何らかの意味で肯定してくれる権威で、直接的にお前はそのままでいいのだぞ、と肯定してくれる場合もあるし、お前のような奴はダメだが、ダメなままで我慢して救ってやろう、という形で、「だめ」な自分は「だめ」なままでいいのだ、と居直ることになるので、ずぶずぶの自己肯定に終わることは間違いがない。(内容のない自己卑下は、一般に日本人がやたらと好む奇妙な道徳である)。しかも、「自分はだめだ」と言い建てることによって、その「だめな自分」を肯定することができるのだから、二重の自己満悦に耽ることができる。遠藤の「弱者の論理」は、世のなかにはそういう自己満足に耽りたがる人間が大勢いるから、その分だけよく売れることになる。(P.274)
イエスという歴史の現実に生きた人間のイメージを、うまく創作の世界に引きずり込むことは難しい。だからと言って、学問的な歴史記述は遠藤程度のメチャクチャな知識(もしくは知識の欠如)でなめてかかって手を出してよいものではない。その結果出てきた作品は、歴史記述のスタイルをとりながら、とても歴史記述とは言えず、かと言って初めから小説ではない、何の意味もないものとなった。こうなると目立つのは、イエスとは何の関係もない遠藤周作特有の甘ったるいイデオロギー、すなわち「弱者の論理」である。(P.178)
「イエスの生涯」は歴史記述の力量がまるでないのに歴史記述に手を出したから、イデオロギーのみがむき出しに露出してしまった。しかし、遠藤はイデオロギーで勝負できるような著者ではない。 遠藤周作はただ彼のセンチメンタルな「負け犬」の信条に原始キリスト教の歴史を引き付けて「解釈」することができればそれでよかった。 「犬のように」、「弱さ」「惨めさ」「ふかい自己嫌悪」、「生涯は無意味」、「恥ずかしさに震えんばかり」――遠藤ブシの得意の語り口である。(「キリストの生涯」27ページ)
( 普通)「人は自己嫌悪していることにはふれたがらない。ところが、遠藤の書くものを読んでいると、『弱さ』『惨めさ』『空しさ』の『自己嫌悪』がやたらと大量にどの頁にも出てくる。こんなに嬉しそうに自慢げに語られる自己嫌悪が自己嫌悪であるはずがない。」(中略)「弟子たちは『イエスの受難の意味、その惨めな死の謎を解き明かそうと、もがき苦しんだ』あげく」、イエスの死の意味付けに到達したと言うのが遠藤の結論であるが、これも田川には「絵空事に思える」。「しかし、遠藤ブシが歴史記述に支えられない間違いだらけであることを知らずにこの本を通俗本として」読めば、(人は)遠藤ブシまでも歴史記述の一環なのではないかと思い違いしてしまう。」(P.198)
遠藤は自分の遠藤ブシを学問的スタイルと歴史記述の体裁で展開し、「お前の『弱さ』はそのままでいいのだと現実における居直りをすすめてくれる宗教的愛の場を説く。そこには現代日本人の生活の、ゆがんではいるが執拗な、現実に居直りたい日本人の心に共鳴する心地よい響きがある。それは、ゆがんだ社会の現実に何の変更も加えさすまいとする現実の力にとって、大いに役立つ。」(P.201)
遠藤は、「いかにも歴史的知識があるかの如くに学問的スタイルで、断言的に正反対の間違いを言い張」って、「知られている事実を正反対に捻じ曲げて」まで作り話をする。それを、「歴史記述のスタイル、しかも断定的な文体で書いている。」(P.202)知らないくせに、よく調べて知っているかの如き文体で書くのは正しくない。
遠藤は福音書の文章を自分の気に入ったものだけは無批判にそのまま歴史の事実とみなして引用する。「しかし遠藤は、福音書の引用であると言いながら、全然正反対の意味に内容を変えたりする。これは、他人の文章に言及する著者の最小限のモラルに違反している。」「著作権によって保護されている現代の同業者であろうと、福音書の著者であろうと、同じことなのだ。」(P.204)
田川は実例として「エリコの盲人の癒し」(マルコ10・64以下) を挙げて長々と遠藤の誤りを立証しているが、ここでは省く。(P.206-7参照)
「何故遠藤がおよそ初歩的な文章の読み違いをやらかしたかというと、そもそも文章に書いてあることを読もうとしなかったからである。」(P.206)「遠藤にとって存在しているのは、、政治的民族主義(=「現実」と宗教的愛のあれかこれかだけなのだ。」「換骨脱胎というか、羊頭狗肉というか、下手な詐欺というか。(盲人の癒しの場面に限らず)この著作の全体がこの種の文章の読み違えというよりも、ほとんど読まずに読んだふりをしている思い入れ、に満ちているのだ。」(P.207)
田川は続いてもう一つだけ、いかに遠藤が福音書の記述を平気で作り変えるか、という実例を挙げる。それはこう始まる。「『エマオの旅人』という話がある。レンブラントが絵にしたので、キリスト教徒でない日本の読者にもよく知られていよう。」(中略)「遠藤はこれをそのまま歴史的事実とみなす。ところが遠藤は素朴に史実として信じているかの如きスタイルで書きながら、肝心なところで、ルカ福音書のテクストとはおよそ異なる我田引水をやらかしている。」(P.210)「この話のどこにも、二人の弟子が『イエスを裏切り、自責の念と絶望とに苦しんでいた』(『生涯』P.39)などと言うことは書いていない。」(P.210)
長い記述を要約すると、福音書によれば、「義人イエスをユダヤ教当局(とローマの官憲)が死刑に処した」のに、遠藤の描く弟子たちにとっては、イエスの十字架とは、「自分たちがイエスを裏切った『卑劣な』事件、ひたすら自責の念に駆れるばかりの事件」であり、「イエスの直弟子がイエスを殺したかのごとくである。」それはまさに、「事柄の責任者を追及することなく、一億総ざんげ的に自責の念に駆られる、まさに日本体制多数派の心情である。だからイエスの復活とは、お前たちは『卑劣』であっても赦してやるよ、というおなじみの遠藤ブシの宣言に収斂されてしまう。それは「自分たちの卑劣な裏切りに(イエスが)怒りや恨みを持たず、逆に愛をもってそれに応える」(P.248)ことなのだそうだ。一億総懺悔は、責任の所在をあいまいにし、そして、懺悔したものがみな赦されて、元のもくあみに終わる。そういう「赦し」を受け容れず、なおも責任の所在を明らかにしようとする者は、懺悔の心を持たない傲慢な人間とみなされて、村八分的に排除される。遠藤の「弱者、の論理」は一見、弱い人間のための思想のようでありながら、実は日本ファシズムの体質を戦後にもそのまま保存した日本国民の思想体質が、そのままイエス記述に名を借りて表現されているのである。」(P.211)
ルカの福音書のキリストは「苦難を受けたのち、栄光にはいる」が、それは決して遠藤の言う如く、イエスが永遠の「同伴者」としていつでも自分達の「卑劣さ」を「いいよ、いいよ」と言って赦してくれる、などというけち臭いことではない。近代日本人文学者好みの、ただじめじめと、「自分の卑劣さに対する自責の念」などにとじこもるのとわけが違う(本当は自責の念ではなく、それでいいのだよと自ら赦す居直りの念なのだが)。(P.212)
「『沈黙』の著者はくどいほどくり返して、裏切者キチジローを赦しつづける。しかし、福音記者マタイは情け容赦もなく、裏切者ユダを何か汚いゴミでも捨てるような感じで、自殺させてしまう。どちらが近代日本人の趣味あうかは別問題であるが、いずれにせよ遠藤の描く居直りと赦しの繰り返しの世界が福音書の世界から程遠いのは明らかであろう。(P.212)
福音書はイエスによる奇跡的な病気治癒の物語に満ちている。しかし、遠藤周作の描くイエスはおよそ民衆が求める治癒奇跡を行うことのできない「無力」な人物である。しかも、遠藤の描くイエスの周囲の民衆は、病気を癒してくれないイエスに対して腹を立て、「激しく憤る」民衆である。遠藤は、福音書の記述とはまるで正反対のことを書きながら、福音書が遠藤ブシと同じことを書いているなどという嘘を並べたてるべきではなかった。(P.214-5)
田川によれば、遠藤の描く「イエス」の本質は、次の文につきている。「イエスは群衆の求める奇跡を行えなかった。湖畔の村々で彼は人々に見捨てられた熱病患者に付き添いその汗をぬぐわれたが、奇跡などは出来なかった。そのため群衆は彼を〝無力な男〟とよび、湖畔から去ることを要求した。だが、これら不幸な人々に必要なのは〝愛〟であって、病気を癒す〝奇跡〟ではなかった」(112頁)。
しかし、「全体としてマルコの描くイエスは、生き生きと自信に満ちて活動する一人の人間の姿であり、じめじめと『無力』に居直って、無力こそ本物の『愛』だ、などとうそぶく退廃した人間の姿ではない」。(P.220)
田川は「これだけ正反対の像を提供しつつ、しかもそれを福音書を資料とした歴史記述であるかの如きスタイルで書くのは詐欺である。」と言い切っている。(P.220)
「遠藤は『イエスが実際に奇跡を行ったか、否か』という疑問を軽蔑し、『無力な愛』こそ本物なのだ、という主張に話を持って行こうとしている。・・・病気治癒などは直接的な利益のみを求める欲望であるからイエスは病気治癒を行わなかった、というのが遠藤のイエス像の中心である。遠藤はこの疑問を通俗的とみなして馬鹿にしたから、よく考えてみることもせず、はじめから自分で決めた答えを前提して、『通俗的』な問いに与えた通俗的な答えをその著作の柱にしている。」(P.220)
「近代の、ミーハー知識人の信条からすれば、病気治癒の奇跡など、あほらしい迷信にしかすぎまい。『イエス』の高尚な宗教的『愛』を示すためには、あほくさい迷信など排除するに限る。これこそ、古代人の奇跡信仰に対して、近代人の通俗的心情からけりをつける視点に他ならない。」(P.221)
残る問題は、どうして遠藤のこういう『愛の無力さ』のイデオロギーが現代日本では俗受けするか、ということである。こういう退廃した思想がはやるのは、現代日本の大衆社会の病的状態の一つの兆候であろう。
どこが間違っているかというと、我々の毎日の生活も、一つ間違えば病気や飢えの危機に転落しかねないこと(コロナの騒ぎを観よ!)、また、我々の毎日の平穏な生活が、地球の半分の人々に常に病気と飢えの中に生きることを強いる抑圧の構造に支えられているという現実を捉えることができなくなっているということだ。食って寝る生活はけち臭い目先の『現実』として抽象化され、それとは別に『精神的』な側面が意味ありげに尊重される。そこに現代の日本人の精神生活の歪んだ病的な状態がある。そして、この状態は広く蔓延しているので、誰も自分は歪んで病的だとは思わない。こういう病的な精神状態にうまく乗って俗受けしたのが遠藤周作の『弱者の論理』なのだ。」(P.224)
要約すると、[遠藤の書いていることは福音書の記述そのものとも、またその背景にある歴史的事実ともおよそ合致しない、しばしば正反対の無茶苦茶] (P.224)だということになる。
田川建三が「遠藤周作のキリスト像によせて」の中で展開した遠藤批判は、私が若いころから遠藤の作品を本能的に嫌い、読むに値しないとして遠ざけてきたことの正当性を、極めて明快に、論理的に、証明してくれたように思う。
これで、長かった「インドの旅」シリーズも、ようやく終わりを迎えられる目途が立ったのではないかと思う。
(つづく)
(注)(P.○○)は田川建三著「宗教とは何か」の引用ページを指す。
文中の文字の色分けは、筆者(私)のランダムなアクセント付けです。
なお、今回のブログは田川の引用ばっかりではないか、というご批判もあろうかとも思う。しかし、いま田川の「宗教とは何か」が絶版になっていて、ネットの古書販売のサイトでもほとんど手に入らない状況下では、田川の遠藤批判をより多く知っていただきたいという思いがある一方で、一回のブログは可能な限り短く切り上げないと誰もよんでくれなくなるという現実の前に、自分の言葉は極力控えた妥協の産物であったことをご理解いただければありがたい。欠けた部分は、次回以降にゆっくりと補うつもりです。