:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 禁じられた遊び

2008-06-08 04:45:57 | ★ 自然・いのち

2008-06-08 22:39:47

 

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禁じられた遊び

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ここでギターの繊細なメロディー「禁じられた遊び」をBGMとして流せれば最高なのですが、ブログ編集の技術が未熟で残念です。どうか、想像力を駆使して、このブログを開けているあいだ、心の耳であのメロディーを聴いてください。

まず、この最初のなんだかわけのわからない写真の説明から入りましょう。
右側の黒っぽい塊は、何年か前に私が切り倒したミモザの古木の切り株です。腰掛けて野尻湖を見下ろすためにちょうどいい高さに残してあります。その前にホームセンターで買ってきた芝生が一枚。その四隅にラベンダーの苗。お線香がもえていて、よくみると赤いカップローソクも・・・・。さて、真ん中の変わった物体が曲者です。
サルバドール・ダリが晩年に創ったキリストの架刑像ですが、十字架の縦木も横木もないところがミソです。銀製のオリジナル。時価ウン十万円を言ってしまっては品がなくなりますね。四国の公園の芝生に、三町合併による「東かがわ市」誕生を記念して、二年間に亘りダリの野外彫刻展を誘致したときに、記念にコレクションのオーナーから個人的に贈られたものです。19体の大きな彫刻のうち一体は、今もその公園に永久保存されています。
もうお分かりでしょう?!これ、動物のお墓ごっこです。誰、いや、何が葬られているか、ですか?それが今日の話題です。
窓辺の机の前で、パソコンに向かってブログを書いていたら、突然カーテンの向こうのガラス窓に「コツン」と「ドン」の中間ぐらいの音がしました。不審に思ってカーテンを開けると、窓の高さまで積んだ暖炉用の薪の上に、黒と橙と白の鮮やかな色の野鳥がちょこんととまり、首をかしげてわたしを見上げているではありませんか。ガラス越しとは言え、野鳥が人の気配にも逃げて飛び去らないなどと言うことがあり得ましょうか?ところが、その小鳥は逃げるどころか、こちらに何かを訴えかけるように見上げ、動こうとしません。
もう一度よくみると、なんと、その小鳥の足元の薪の上に、もう一羽の野鳥が、瀕死で横たわっているではありませんか。羽の色は全く違うが、つがいの雌が、ガラスに激突して首の骨を折ってしまったのでしょうか。ツバメだって夜の蝙蝠だって、普通は別荘の窓に自爆するなんてとんまなことはしないものです。まして白昼堂々。きっと、恋の飛翔に夢中になって、前後の見境もなく二羽もつれ合って舞っていたのでしょう。
そして、愛する彼女が傷ついて、突然恋の終わりに見舞われて、すっかり途方にくれた小鳥が、必死でわたしに救いを求めているのでしょうか。
台所の流しの下から、茹でたスパゲッティーのお湯を切るために使うステンレスの半球形のざるを取り出し、庭履きのサンダルを突っかけて、ゆっくり偲び足で近寄りました。エサに釣られた雀でも、ここまで距離を詰められたら絶対に逃げるはずなのに、雀よりはるかに警戒心の強い森の野鳥が、じっとして動きません。愛するもののそばを、死んでも離れたくないかのようでした。その上に、無慈悲にもステンのざるがサッと被せられました。ヤッター!

かごの鳥、ならぬ、プラスティック製の整理箱の中のオスの野鳥。図鑑がないので名前不詳。
(mari さん、有難う!あなたのコメントのお陰で分かりました。間違いなくキビタキのつがいでしたね。 www.asahi-net.or.jp/~yi2y-wd/a-uta/uta.html をお借りします。そこでは生き生きとしたキビタキの姿と鳴き声が見られますネ。)

 



アジサイの花の上に移されたメス。まるで眠っているよう。鴛鴦や鴨の仲間はそうだけど、小さい野鳥にも雌雄でこんなに羽の違うのがいたんだ。

 



ここから、禁じられた遊びの始まり、ハジマーリ!





注意深く墓穴を掘る。




そっとムクロを入れ、・・・・





静かに横たえる。お祈りをして、・・・・





あとは、土をかけ、芝生を張り、十字架を置き、蝋燭とお線香に火をつけると、無事「禁じられた遊び」はお仕舞い!葬儀に神妙に参列した彼は、ふたを開けるや否や、天に向かって矢のように飛び去っていきました。彼女の魂を追うかのように。
それにしても、よくおあつらえ向きの芝生が一枚手元にあったものだ。それに、4株のラヴェンダーの苗はどうしたの?誰も不思議に思いませんか?
実は、この禁じられた遊び、この日が初めてではなかったのです。
ほんの数日前、国道18号線の白いガードレールの側に、瀕死の雀が横たわっていました。拾い上げられ、見取られて、ここに運ばれ、手厚く
葬られました。 

 



墓穴を掘る手が馬鹿に慎重だったのは、先に入っている小鳥の眠を邪魔しないためでした。ミモザの切り株の上に敷きつめられた小鳥のえさを布団にして、静かに埋葬を待つ在りし日の雀ちゃん。




居直って凄んだら、上智大学の外国人神父・教授たちも震え上がったあの元全共闘ゲバ学生。すっかり白髪になって気が弱くなったけど、もともとはこんなおセンチな孤独な男なのです。
もう40年も前のことか・・・・、そう、わたしがまだドイツのコメルツバンク本店に勤務していた頃のことです。ミュンヘンの南にキムゼーと言う湖水があります。その岸辺の凍てつく冬の寒さの中で、コートの襟を立てて森を散歩していたとき、わたしは一羽の瀕死の小鳥と出会ったことがあります。手袋を脱いで両手のひらに包み込んで暖めてやるほかになすすべはありませんでした。最後に手の中でブルブルッと身を震わして息を引き取りました。あの掌の感触、まるで昨日の出来事のように、決して忘れることが出来ません。たまらなく悲しかった。大きな樫の木の根元に、ゆっくり時間をかけて埋葬の儀式をしました。木の枝をくくり合わせて小さな十字架を立てて祈りました。お金の神様の後を追って目の色変えて走っていた国際金融マンの素顔の一面でした。遠くの森にシカの姿がありました。

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復活するのは人間だけですか?あるペット好きが聞きました。スコラ神学でがっちり頭を固められたわたしは、無慈悲にも答えました。理性と自由意志を供えた人間の魂は、復活のとき肉体を返していただいて永遠に生きるが、個々の動物は個体としては復活しない、と。(だから上の話の中の小鳥たちも土に帰ったままになる。)
わたしをどの人間よりもイッパイ慰めてくれたネコちゃんだけは復活させて返していただきたいわ、神様、それって駄目なんですか?と訊ねた人がいる。
人間が復活するとき、肉体をもって復活する。復活する肉体との関連で、今の物理的世界も(もちろん高められ霊化されてではあるが)天と地の再生として永遠の復活に参与する。だけど、ネコのクララちゃんはねー?ちょっと、分からないなー!まあ、神様に聞いておきましょう。

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