Dr.mimaが医原病を斬る!

C型肝炎の解決を目指し、国の責任を追及するため闘っています。

隠され続けた真実

2014年11月05日 08時54分00秒 | 猿島肝炎
「私が人生の終わりに皆様に知らせたい事」

昔も今も、権力がものを言わせる事は同じです。
私は現在肝臓がんと闘って闘病生活をしています。それは今から約50年前の1964年(昭和39年)頃、猿島町で原因不明の病気(猿島の奇病とつけられ)で全国的に有名となり、新聞・テレビ・ラジオ・各テレビ局などあらゆる報道員が来て、町では地下水が悪いと報道された。
町には何個しかないつるべ井戸やガチャンコ井戸等をテレビで放映、ふろの水には大腸菌がウヨウヨしていると水質検査で発表していた。
 私はその時には「奇病」と診断され、昭和42年5月31日に境協同病院(現西南医療センター)に50日入院し良くも悪くもなく自力で退院致しました。
この病気の恐ろしさは、3日でコロリ(死)と言うことで町内では60名以上は死亡したと聞いております。私が入院中も病室で友達、親戚の人が悲鳴を叫び、命を落とした。
その悲鳴の声は今でも鮮明に残っております。

その当時私達患者同志で原因を究明しようと、奇病になった50名からアンケートをとり30名から、開業医で何らかの病気で血管注射(静脈注射)を打っていた事がわかりました。私もその開業医に5月1日に疲れで血管注射(静脈注射)を打って、血液検査をしたところ正常でしたが5月31日には食欲も無くなり、足がだるく嘔気で開業医に行ったところ血液検査で肝機能260と異常な数値で即、協同病院に入院した。

その後アンケートの結果を投書した。投書先は境町警察署長・保健所長・県知事・県医師会長あてに投書、陳情した。後日地元県会議員の先生から報告があり医師会が強く議題にならないと返答があった。それから1カ月後、猿島郡の医師会に50万円の補助金がおり、そのお金で捨針を私が入院していた倉庫に山積みにされ、郡内の医院に配布され昭和42年10月には奇病が終息になってきた。

その後、日本医大より境町の橋本会館で中間発表があり、「猿島の奇病」は地下水が原因であると発表された。医者たちはどんな気持で聞いていたのか?私は心の中で疑問に感じていた。橋本会館の廊下にはなぜか医療業者が滅菌消毒の器具をずらりと並び置かれ、医者は真剣に説明を聞いていた。当時滅菌消毒器具の設備があるのは協同病院だけで、開業医はクレゾール・熱湯で消毒していた。悪質なのはどんぶり等にお湯を入れ注射器を通すだけ。
針は何人でも交換無し、井戸水が原因などと全くの嘘、原因は注射器の使い回しです
私は確信を持って物申し上げます。当時究明者には警察官も居ました。今はほとんどの者が死に、今頃になって肝臓がんで苦しんでいます。

平成22年12月30日 後世に残す為に書き残す

坂東市菅谷 板垣 令男(いたがき はるお)




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