自燈明・法燈明の考察

日蓮を切っ掛けとして、仏教やこの世界に対する思索を始めました。

SDGs(持続可能な開発目標)について

2020年12月30日 22時36分08秒 | 思う事
 今の人類の抱える課題というのは、実に多様であり、それぞれが根深い問題があります。皆さんはSDGs(持続可能な開発目標:Sustinable Development Goals)という言葉をご存知ですか?

 最近、仕事で良く耳にする言葉であり、知り合いの経営コンサルタントなどは、何かにつけて提案書などには「国際社会としてSDGsの流れも受け、云々」なんて言葉をよく得意げに書いていたりするのを目にします。



 この内容は外務省のHPに以下のページがあるので、見てみて下さい。

 このSDGsとは言葉通りに、これからも人類がこの地球上で持続可能な開発活動を行う為の様々な目標を定めている訳ですが、果たしてこれからも今まで通りの開発行為を、人類はこの地球上で行う事が出来るのでしょうか?

 その事を私はふと思ったりしました。

 ちょっと角度は異なりますが、Youtubeで以下の動画を見つけたのですが、少し見て頂ければと思います。

【漫画】麻酔なしで何度も・・・豚の生涯!養豚場の闇【実態】  

 今の人類社会では、全ての価値は「お金」を基準として判断しています。例えばこの動画にしても豚一頭の価値というのを人間が判断する基準は「お金(値段)」です。豚を飼育する飼料を購入する代金、飼育に掛かる光熱費や人件費から、一頭の豚の価値を「お金」で値付けしています。

 一頭の豚が高く売れれば養豚職は儲かり、安く売れた場合、もし原価割れをしたのであれば、下手すれば養豚職は経営が苦しくなり、場合によっては破産してしまいます。そしてもし破産すれば、経営者は社会の中で身ぐるみをはがされ、社会生活が出来なくなってしまいます。

 しかしこの豚の価値というのは、その金額として換算出来うるものなのでしょうか?

 ものすごく大雑把に言えば、先にあげる「持続可能な開発」というのは、持続可能にお金としての価値を、この地球環境の中から取り出し続けるための目標という事に、なってはいないでしょうか?

 私達人類とは、他の生物を食らわなければ生存出来ません。この生物は動物もそうですが植物にしても同様です。また資源を消費する際には、どうしても地球環境には負荷をかけてしまいますし、場合によっては環境を修復不可能なところまで破壊をしてしまいます。

 では人は他の生物を食らうという行為について、どの様に考えているのでしょうか。また環境に負荷をかけるという事は、他の生き物の生存権を脅かす可能性があるのですが、その事をどの様に感じているのでしょうか。

 果たしてそこに「尊厳」の二文字は存在しますかね?

 地球環境とは、何も人類の独占物ではありません。そこには他の生物も生きているのであり、いわば生物全ての共有財産の様なものであるはずです。であれば「他の生物との協調」が必要と思うのですが、先のSDGsという概念には、そんな事は当然の事、謳われてもいないのです。

 最近では「フード・ロス」という事も言われていますが、そこでロスされる食物の中には、先の動画にある豚肉も当然の事、含まれています。

 私自身、この人類社会の中で生きていますので、これらの事を全くの部外者の様に語り、自分自身が聖人君主かの様に理想論を暴力的に振り回すなんて事は出来ません。でもそろそろ人類は、この「お金(資本)」に振り回される人類社会の価値観について疑念を持ち始めても良いのではないか。ふとそんな事を考えたりします。

 この「お金(資本)」が価値観の中軸に存在すると、そこには「尊厳」とか「尊重」という人間にとって大事な視点が、人間の心の中から抜け出てしまう気がしてならないのです。

 本年騒ぎになった「新型コロナ過」に於いても、多くの人達が社会の中で生きて行く事が苦しくなっていますが、その根源的な理由を考えた場合、やはりこの「お金(資本)」という事に行く付く気がします。

 そろそろ私達一人ひとりも、こういった「カラクリ」の問題について、自分の思考の内、少しでも構いませんので、想いを傾ける必要のある時代に来ているのではないでしょうか。

 ふとそんな事を思いました。

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私が感じた創価学会の問題点③

2020年12月30日 08時39分19秒 | 経験談
 年末年始休暇の中、時間があるので記事を更新します。私は自身の信仰体験や、1980年代後半の創価学会の主張していた事、また当時は創価学会では多少の論理性もあった事から、この信心で人々を幸せにする事が出来ると確信していました。

 今から考えれば、それは盲信であったからかもしれませんが、ネットが今の様に整備されて無い中で、情報を得る事は出来ず、この判断は創価学会の組織の中で教えられる情報にだけ依ることが大きかったのは否めません。

 ただ少なくとも、当時の青年部の先輩たちが語っている事には、とても論理性があったと感じていましたし、実際に社会の中で信頼を得ている人達はそれなりに居たと思います。

 私が青年部の頃には国連支援活動、オープンハウス大学校運動など、社会に開こうという動きもありましたので、この創価学会の思想性はベストでは無いかもしれないが、唯一のベターなものでは無いかとも感じていたのです。

 ◆生活パターン
 活動家時代で地区リーダーの時までは、まだ創価学会以外の友人とも遊ぶ時間がありました。ただ部長という役職以降、こういう時間を取ることが困難にもなりました。しかしそれも自分が選択した事なので不満はありませんでした。

 この部長になって以降の生活パターンは、苛烈なものでした。

 平日は当たり前の事ですが、朝は仕事に行きます。「信心は一人前、仕事は三人前」という創価学会の指導性もありましたが、男たるもの社会で認められてナンボでしかなく、けして組織内しか通じない様な人間になってはいけない。社会でも必要とされる人間になる事が大事だとも言われたので、仕事に手を抜くことはありませんでした。また私は本山担当や本部運営創価班もやっていたので、2ヶ月に一日は休まなければならないので、平日は極力仕事をやり抜こうと決めていました。
 とは言え会館担当日もあるので、18時迄には会館に着かなければならない日もありました。その時には部下に仕事を割り振って、職場を早退していました。私の場合、ベンチャー企業に勤め、二十代後半からは友人と会社をやっていたので、そこは融通を利かせることが出来ました。でも仕事は当然溜まりますので、深夜に会社に戻り、部下に依頼した仕事を確認したり、自分の仕事を片付けたりしてましたので、週の半分は朝帰りという状況でした。

 唯一ゆっくり出来たのは、土曜日の午前中で、それ以外は殆ど家に居ることなく、会館や家庭訪問、また各種会合に走り回っていたのです。

 ある時は、家に帰り、気が付いたら背広姿のママ布団の上でアグラをかいて座って寝ていた事もありましたが、こんな生活を十五年近くやっていたのです。

 よく池田氏は言っていました。
「広宣流布の組織に尽くしぬく人生が尊いのである」

 自分自身の行動が少しでも社会の役に立てば、また広宣流布する事で、人類社会が少しでも良くなるのであれば、自分自身の体が壊れても構わない。また寿命が短くなっても構わないとも真剣に考えていたのです。
 
 要は私がTwitterでも良く書きますが、当時の私の中には「創価学会こそ正義」という確信がありましたので、そこまで考えていたのです。また当時は独身でもあったので、何かあったとしても失う物が無い(少ない)という事も関係していたのかもしれません。

 ◆疑念の切っ掛け
 疑念の一つの切っ掛けとなったのは、三十代後半で県幹部になり「副役職」になった時でしょうか。当時は選挙戦で自分自身も選挙スタッフとなっていましたが、当時は仕事で職場も変わっていて、任された仕事もあった事から、日々終電で帰宅するという日々が続きました。このプロジェクトのメンバーの中に数人の男子部幹部(私とは違う地域)も居たのですが、その彼らが仕事を真面目にやらず、直行直帰をしたり、遅刻してきたにも関わらず早退を願い出て来たり。私は仕事には拘りがあったのですが、彼らは「今日は大きい会合で司会をしなければならない」とか「今日は折伏があるから」という理由で、とにかく仕事を真面目せず、仕事を早く上がったりしていたのです。当然、創価学会以外のメンバーは私と同様に終電間際に帰宅という日々も続いていて、そんな彼らからは「創価学会は忙しいんですね。まあ社長も(当時の会社の社長は学会幹部でした)創価学会だから仕方ないんでしょうね」という、皮肉めいた事まで言われていました。

 私は当然、プロジェクトの責任者でもあったので、そんな彼らには勤怠について指摘したのですが、選挙戦の序盤であるという事もあり、彼らには馬耳東風でした。

 この男子部メンバーの仕事の煽りも受けて、私はより帰宅時間も遅くなり、結果として創価学会の組織活動から遠ざかっていたのですが、そんな私に対して地元組織では「斉藤は組織に顔を出さなくなった」「彼は退転した」という噂が飛び交っていたのです。まあ分県幹部なので、それなりに知名度もあったのですが、その言葉を先輩幹部である分県幹部や総県幹部からもフォローしてもらえず、気が付いたら「退転した幹部」の様な扱いを受ける様になっていたのです。

 これには我慢できないと、私は先輩幹部に相談したのですが、その幹部から言われたのは「彼らはそれぞれの使命の場で必死に戦っているじゃないか!むしろ私は活動をしない君が心配なんだ!」と言われる始末。一体全体「仕事は一人前、仕事は三人前」という指導はどこに行ったんだと思いましたが、そういう私の想いをくみ取る幹部は、当時の組織には居なかったのです。

 この事もあり、私はとにかく仕事でプロジェクトを進めなければならなかったこともあり、組織からの連絡を無視して仕事に没頭する事にしました。

 「自分が考えていた広宣流布というのは何だったのか」

 ここから私自身、思索の振り返りを始めました。これは今から十数年前の事でした。

(続く)

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私が感じた創価学会の問題点②

2020年12月29日 17時05分49秒 | 経験談
 さて、前の記事では私の略歴について書かせてもらいましたが、当時の創価学会が青年部の人材育成として中軸にしていたのが、人材グループでした。

 創価学会の青年部では、男子部に「創価班」「牙城会」という人材グループがあります。その他にも「金城会(これは池田会長の私的ボディガード)」や、私から見て何をやっているか判らない「長城会」、またドライバーのグループ「転輪会」なんていうのもありましたが、これらは人材育成グループではないと思っています。

 さて、創価班に私は入ってましたが、そこでは「基本三精神」や「実践五項」という事が、徹底して叩き込まれます。

【創価班基本三精神】
 ・学会を護る
 ・会員を大切に
 ・陰の戦いに徹する

【創価班実践五項】
 ・責任ある行動
 ・明確なる言語
 ・親切な態度
 ・清潔な身なり
 ・正確な連絡報告

 私が創価班に入った時、ここは創価学会の幹部養成の為の人材グループだと言われました。確かに創価学会の末端組織で幹部をする人達は、創価班か牙城会の何れかに所属していましたが、これは末端組織の幹部の精神的な事を、この人材グループで刷り込む事を目的としていたからだと思われます。

 では創価学会では末端幹部にどの様な事を求めていたのか、少し具合的に書いてみます。

 ●学会を護る
 創価学会とは広宣流布を目指す団体です。広宣流布とは法華経をこの人類社会に弘める事で、創価学会では実際に広める組織は自分達しかなく、だから歴代会長も自身の生命より大事にしてきたのが創価学会てあると教えられました。その為にこの組織は絶対に護らなければならないし、常に人間第一の組織でなければならない。もしこの組織を外から壊そうとする輩がいたら、敢然と戦い、中から食い潰す敵がいた場合、それらとも戦わなければならないと言うのです。

 ●会員を大切に
 これは創価学会を推進するのは会員であるから、その会員を大切に護りぬかなければならないという事です。歴代会長は常に会員の事を想い、会員を大切にしてきた。だからその心を身に呈し、会員を大切にしなくてはいけないと言うのです。

 ●陰の戦いに徹する
 創価学会の幹部とは、人が見ていようと、見ていまいと、常に戦いを止めてはならないし、人がどう見ていようか、見ていまいが関係なく、自分の信じる戦いを、目立たなくても徹して貫いてく。けして名聞名利の戦いをしてはならないし、人が見ていない陰の場所であっても、徹して貫く事が必要だと言うのです。

 これは基本三精神といわれ、具体的には小説・人間革命にある山本伸一青年の姿だと教えられました。だから創価班大学校という一年間の研修期間で、当時は人間革命の全巻読了は必須であると教えられたのです。

 また広宣流布の責任者たるものは、その実践において「実践五項」を常に心に留め、戦わなければならないと言います。

 ●責任ある行動
 これは自分自身の言動には、常に責任を持つことを言います。また自分が担当する組織においても、部員(会員)がもし悩み苦しむ事があれば、それは幹部の責任だと言う事を自覚しなければならないのです。

 ●明確な言語
 人と話をするときには、言葉は明確に語らなければならないと言います。けして曖昧な事や不明瞭な内容ではなく、発言として常に明確に語らなければならないのです。

 ●親切な態度
 相対する人には、常に親切に振る舞わなければならないし、その配慮を忘れてはならないと言います。言いっぱなし、指示を出しっぱなしもダメであり、常に親切な態度で接しなければならないのです。

 ●清潔な身なり
 人にとって外見はとても大事な事です。華美に走ったり無闇に飾り付ける必要はありませんが、常に清潔感のある身なりを心掛けなければならないのです。

 ●正確な連絡報告
 組織内では様々な事が起きますが、常に正確な状況を掌握し、連絡や報告する場合にも、常に正確さに気をつけなければなりません。

 以上が創価班で叩き込まれる「基本三精神」と「実践五項」というものです。私は社会人で研修という類を一切受けてませんが、この創価班で教えられた事は、ある意味で社会でもとても大事なポイントでもありました。だからこの創価班大学校において、私は社会人としての基本的な事を教わった様なものだったのです。

 でもまあ実際に創価学会の幹部をする中で、これらをまともに実践出来ていたかと言うと、かなり抜けがあった事も事実です。しかし幹部としての原点であった事は間違いありません。でも組織活動の中で、幹部としてこれらを実践する事は、ある意味で至難の業でもありました。

 ではそれは具体的にはどこ様な事であったのか、次の回から少し具体的に書いてみたいと想います。

(続く)


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私が感じた創価学会の問題点①

2020年12月29日 09時09分56秒 | 経験談
 今日もチマチマ掃除をしようと思っていますが、その前に記事を書きたいと思います。今日は創価学会の事について、少し振り返りをしながら書いてみますので、お時間のある方はおつきあい下さい。

 私が創価学会の活動を止めてから、はや十数年経過しました。
 活動を止めた当初、やはり創価学会に対しての瞋恚というか、イラつきというのは物凄く自分の中に吹き荒れた時期もありましたが、最近では、はやりの「鬼滅の刃」でいうと、水柱の富岡義勇の水の呼吸にあった「凪」というところでしょうか。


 ただしこの「凪」も、ネット上の様々な発言や、各種報道の中身によっては「さざ波」が立つ様な事もたまにあります。そして何故「さざ波」が立ってしまうのか、そこには私自身が青年部時代に必死にやって来たという自負があるからかもしれません。

 地元の後輩幹部などは、いまの私を評して「我慢して学会活動をしてきたから、その不満が爆発している」と言っていますが、これは違います。我慢して学会活動をしてきたという事は、私には当てはまりません。単に我慢していた人間が、四半世紀近く創価学会につながりを持ち、青年部でも県幹部にまでなれるわけが無いのです。事実誤認も甚だしいのですが、それが今の私の地元での評価になっています。

◆青年部時代の私
 私は二十歳の頃に「班長」という役職を受けた時から、創価学会との関わりが始まりました。私自身は創価学会の「二世」という事になりますが、正直、未来部時代にはそれほど一生懸命やっていたという事ではありませんでした。
 しかし専門学校を出てから、自分の先行きが見えなかった事、また若い当時の自分自身の不甲斐なさを感じても居たので、そこを変えたいという事もあって、活動を始めました。

 始めた当初、日蓮大聖人の仏法とは何なのか解らず、御書を片手に慣れない古文を読みながら個人的に勉強をしていました。とにかく仏法という事を知りたかったし、勤行で読む法華経や、日蓮が文字曼荼羅を顕すまでに至った事について知りたかったという事がありました。だから先輩から言われた事は、とにかく何でもやってみようと思っていたのです。

 過去にTwitterで私に絡んできた人が「斎藤さんは家庭指導を回って来た事がありますか?」「折伏や下種をしてきた事がないでしょう」なんて事を言っていましたが、私が男子部活動を始めた当初、友人に対する対話数(実際に仏法対話をした人数)はゆうに百名を超えました。しかしそれでも入信決意なんてものは一つもありませんでした。とにかく友人に話をしても決まらない。学生時代の先輩と対話をした時に「お前の話は分かるが、お前自身の言葉になっていない!それはやらされているんだろ?」と厳しい叱責を受けた事もありました。また家庭訪問については、班長になってから、ほぼ毎日行っていました。当時は自家用車など持っていませんでしたので、雨の夜、徒歩で片道二十分歩いて一軒の男子部員に手紙を出してきた事もあります。

 班長になってから、私は自分自身に課していた事がありました。それは「嘘を付かない行動をしよう」という事です。当時は創価班大学校というものにも「半ば強制的」に入れられ、その研修会では折伏の事では、いつも厳しく追及されました。要は「一週間の間で何人に仏法対話をして、入信決意を幾つとったのか」を追求されるのです。同期の中では苦し紛れにでっちあげの活動報告をしていたメンバーもいましたが、私は常に正直に答えていました。
 当時言われていたのは、入信決意十で本尊流布一が取れる、なんて指導もありましたが、同期の大学校生の中で、始めてから半年で入信決意を一つも取れていないのは私だけだったのです。その事から「お前はやる気が無いんだろう!」「帰れ!」と何度も言われてきましたが、私自身、必死に友人にあって仏法対話を行い、時には先輩同伴で折伏もやりましたが、まったく私の友人は創価学会に入るそぶりも見せてくれなかったのです。

 まあ今から考えると、何という活動をしていたのか。そんな感想を抱きますが、自分自身を変えたい、仏法というのを知りたいという事だけで、恐らく同期の大学校の中では一番多くの友人と語っていたと思います。

 まあ詳細は割愛しますが、そんな創価班大学校生活をして十か月目で、ようやく折伏一世帯(本尊流布と呼んでいました)が出来て、それと共に自分の周囲の環境が激変するという経験をしました。これはいわゆる「信仰体験」という奴ですね。気が付けば題目をどれだけ唱えたか覚えていないのですが、仏壇の前の畳には、私の正座の跡がクッキリとつくほど唱えてもいたのです。

◆幹部への登用
 創価班大学校を卒業して間もなく、私は地区リーダーという役職を受けました。聞く処では区内最年少の地区幹部登用だったと言われましたが、当時の地区リーダーは、地区の責任者として地区活動者会を行ったり、とにかく男子部組織の最末端組織の責任者という位置づけでした。当時、少し前までは「大B長」と言われていたんですけどね。

 そこから私の役職人生も始まった訳ですが、地区幹部時代も先輩の記録を更新し、部長になっても同様に様々な先輩の記録を更新して行きました。部長になってから「任命書」というのが「創価学会人事委員会」から発行され、幹部コードというのが割り振られるのですが、部長になると生活のほとんどが創価学会というものに変わっていきました。

 この部長という役職は「支部」の「男子部長」という事で、統監数で百名前後の部員を持ち、地区数は四~五地区。つまり地区リーダは4名とか5名になる訳で、活動家も私の場合には常時十名から十五名いましたので、一端の幹部という事になります。しかし組織の最先端という事は、つまり問題も様々吹きだすわけで、日々、本部長や区男子部長に叱られっぱなしの立場でしたが、今から思えば仲間内でワイワイガヤガヤとやっていて、楽しい思い出が多くありました。

 本来は部長を二年から三年やった後、副本部長とか本部長になるのですが、この当時の私は、何故かある重鎮の県幹部から嫌われていて、この部長という役職を八年間近くやっていました。先輩からは「何故、斎藤は人事あがらないんだ?」と良く聞かれましたが、ある先輩からは「あ~、、〇〇さんはお前を嫌っているからかな」とも聞きました。しかし私は役職には興味も無かったので馬耳東風で、部長としてワイがや生活をしてもいたのです。

 当時、よく通っていた男子部員の奥さんとも仲良くなりましたが(変な意味ではないですよ。その部員の家に行くと、奥さんが晩飯をよくごちそうしてくれたのです)、その奥さんからも「斎藤君には彼女は紹介できないな」と言われ、その理由を尋ねると「忙しすぎて、彼女が居てもかわいそうになるだけ」とも言われたりしていました。確かに当時、私は仕事と学会活動だけの生活で、その他の事が、生活の中に割り込む余裕すら無かったのです。

 今から考えてみると二十歳から三十代前半までの、この時代が、私にとっての青春時代であったのかもしれません。でもそれは仕事と創価学会という二色だけの生活でしたが、何かとても充実していた事と、今でも思います。

(続く)

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彼らの世界観(The Lacerta File)②

2020年12月28日 13時57分34秒 | The Lacerta File
 先週の土曜日から年末年始の休暇となりまして、家でまったりとしています。いま個人的には、十数年前に購入した「チベットの生と死の書」をチラ見しながら様々な事を考えたりしています。

 私は基本的に「スピリチュアルな思考」はあまり好きではありません。やれ次元上昇だとか、アセンションだとか、私達の人生は「魂の成長のため」だとか言われています。しかし私はそういった思考を基本的には受け入れられないのです。話としては興味深い視点かもしれませんが、それに振り回されるほど、私の人生の時間にはゆとりが無いのかもしれないですね。

 さて、話は変わりますが、このブログで「The Lacerta File」について幾度か記事を書いてきましたが、この内容も恐らく「真実」と「虚偽」、そして「妄想」の類が入り乱れていると思います。ただ興味深いのが、このLacertaのインタビュー記事と、例えば「宇宙人ユミットからの手紙」の内容、また近年になり語られている様々な異星人の話などが、部分部分でリンクする事に、個人的にとても興味を持っています。



 先日、年末恒例の番組「ビートたけしの超常現象Xファイル」なんてのが、テレビ朝日でやっていましたが、相変わらず茶化した番組内容で私は見てられません。ことUFOや異星人問題については、茶化して語るべき内容では無いものですが、何故こうも茶化して取り上げる事ばかりなのでしょうか。
 この事柄には人類の起源について大きなヒントが隠されていますし、そこで語られる内容は、私達がいる宇宙の姿の一端をも示す内容が隠されています。

 まだ日本国内では、こういった話題は茶化してしまう風潮がとても濃いのですが、それでは人類という種族への理解、またこの種族と地球の歴史に対して、とても重要な事を見落としてしまうと思いますよ。

 私は世で言われているUFOや異星人情報を、すべてを鵜呑みにして「信じる」という必要は全く無いと考えていますが、そこから幾つかの事実を読み取り、思索する糧として扱うべきものがあると思っています。だからここでそういった事柄について、自分の思考をまとめるためにも文書化をしているのです。

 ちょっと前置きが長くなってしまいましたが、Lacertaのインタビューを続けます。

◆異星人の存在について
 このインタビュー記事の中で、Lacertaはこの地球に来訪している異星人種は14種類だと述べています。

 先にも述べましたが、日本国内では「異星人は居るのか・居ないのか」という話題で留まっていますが、元スーパー公務員で過去にTV局に勤務していた高野誠鮮氏は、独自の調査で空軍士官の教科書を入手、その「INTRODUCTRY SPACE SCIECE VOLUME Ⅱ」の中では「UFOは5万年まえからある、不愉快だが他の惑星から来ている」と結論付けているのです。またこの教科書には「3種類は来ている4種類の異なったグループ」とあり、複数の異星人が既に地球に来ている事が書かれています。

 アメリカ軍では4種類と言っている様ですが、Lacertaは14種類この地球を訪れていると言います。そこには恐らくアメリカが掌握していない種族があるのかもしれませんが、では14種類とはどの様な種族であるのか、Lacertaの記事を読むと以下の様に述べています。

「この宇宙から 11 種類、別の「泡宇宙」から 2 種類、非常に異なる平野から 1 種類で、これは非常に進んでいます。名前は聞かないでください。ほとんどすべてがあなたにとって発音できません。そのうちの 8 種は私たちにとっても発音できません。ほとんどの種族、特により高度な種族は、あなたを動物として研究しているだけであり、あなたと私たちにとってそれほど危険ではなく、私たちはそれらの種族のいくつかと協力しています。しかし接触したものを含め、3 つの種族は敵対的です あなたの政府のいくつかは、彼らの技術を銅や他の重要なものと交換し、あなたの種類を裏切っています。」

 この宇宙とは、私達の認識している宇宙からは11種類の種族が地球に来ており、異なる「泡宇宙」から2種類、また別の表現をしていますが、「異なる平野から1種類」という事で、合計14種類が来訪していると言います。

 Lacertaは続けます。

「過去 73 年間、これら種族うちの敵対的な 2 つの種族の間に「冷戦」があり、現在も続いています。3 番目の種族はこの役に立たない闘争の「勝者」であるように見えました。私たちは近い将来(私は今後 10 年か 20 年と言いいますが)彼らとあなたの間のより「熱い」戦争を予期しており、私たちはその成り行きについて心配しています。」

 ここでは過去73年間とありますが、このインタビューが行われたのは1999年なので、1926年頃からの話という事になります。日本国内で言えば大正15年・昭和元年の時代です。そこから異星人種族間では「冷戦」が続いており、私達人類はこれから近い将来に、この異星人種族との間で「熱い戦争」が起きる事を予期していると言うのです。

 これはどういう事なのか。
 そこについては、次回で見ていきたいと思います。

(続く)

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