自燈明・法燈明の考察

人類の成り立ちと持つ脆さ

 以前の記事でも書いていますが、「The Lacerta File」の内容を、私は丸々信じている訳ではありません。しかし中々興味深い事が含まれていると思いますので、シリーズ的に取り上げているのです。

 世界を見ると「オーパーツ」と言われるものが沢山あります。代表的なものでは、エシブトにあるギザのピラミッドや、モヘンジョ・ダロの遺跡、マヤ文明のピラミッドもありますし、近年では中国にもピラミッドが発見され、南極にもそれらしき構造物があるとも言われています。でも今の考古学では、これらオーパーツの持つ意味に近づく事は難しいでしょう。考古学の世界も他の学会同様の先例主義や権威主義があり、柔軟な発想する学者は異端視され、排斥されてしまいます。

 人類の認識している歴史とは、たかだか数千年にしか過ぎず、自分達種族の成り立ちの歴史すら認識せずに今日まで来ています。それよりも過去の事は、全てが宗教的な寓話の世界に紛れ込んでしまい、何らそこからFACT(事実)すら汲み取れずにいるのです。

 だから学校教育においても、既に骨董物化しているダーウィンの進化論を教え、多くの人達はそれを真実だと誤認し、自分達の種族の成り立ちという根本命題にすら目を向けようとせずに、日々の雑事に目を奪われている。私はその様に思うのです。

 いま人類が直面している問題は、とても根深い問題であり、単なる表層的な対応で解決出来る問題は一つもありません。

 私が信奉している鎌倉時代の僧、日蓮は立正安国論で「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには。」と述べていますが、まさに人間の中にある「一凶」とも言うべき原因を人類が認識しなければ、恐らくいまある人類の問題の解決の緒すら掴むこともままならないと思うのです。

 私はこの「The Lacerta File」に書かれている内容の中に、実はこの人類が考えるべき端緒の一つが書かれていると思えてなりません。

◆人類の創生について
 Lacerta Fileでは、人類は「イロジム」という異星人が、人類の原種である原人に遺伝子改良を加えて創造した種族であるとありました。これは確かに突飛な考え方であり、俄に信じる事ができませんが、それに似たような記述は人類最古の神話である「シュメール神話」にあります。このシュメール神話を産み出したシュメール文明とは、今から数千年前にメソポタミアの地に突然現れた文明であり、近年ではその文明から古代エジプト文明、またインダス文明も派生したと言う学説もあったりします。

 このシュメールの神話では「アヌンナキ」という神が、神々の労働の肩代わりをさせる為に人間を作り出したと書かれています。また似たような記述はメソポタミアから遠く離れたマヤ文明の神話にも同様の記述があるのです。

 Lacerta Fileにはイロジムが、来たるべき種族との戦争のために、その奴隷種族として原人の遺伝子改良を施し、今の人類を作り出したと述べていました。

 まあ目的はどうあれ、人類とは地球上の自然の進化の中で発生した種族というよりも、やはり「The Lacerta File」にある様に、地球外の働きにより創り出されたという方が、私は事実に親しいと思うのです。そして私がこう考える根拠は、何も神話の世界の話とか、Lacerta Fileにあるから、というだけではありません。

 確かにLacerta Fileには人類の種族の急激な進化とは短期(たかだか数十万年)に成し遂げられるレベルでは無いとありましたが、それ以外にも以下の点について考えると私は事実だと思えるのです。

◆人類の多様性
 人類社会の文明の格差には、大きな開きがあります。例えばインド洋の北センチネル島では、全く文明を拒絶し、未だに原始時代のまま生活している部族がいます。またこれはパプアニューギニアの密林奥地の原住民にも似たような部族がいます。かたや宇宙開発している国家もあれば、かたや石器時代の様な生活している部族もいて、その様な格差が人類社会には存在しています。

 また民族性や人種についても同様です。コーカソイドやモンゴロイド、またニグロイドにアボリジニなど、同じホモサピエンスという種族と言っても、かなりの違いがあります。またそれに併せて使用している言語の数にしても、バラエティーに富んだ種族と言っても良いでしょう。

 何故この様な多様性を人類は持つに至ったのか、そこについての回答を、現在の人類社会でも持ち合わせていないのです。仮説は幾つもありますけどね。

◆宗教心の持つ脆弱性
 このブログでも幾度か書かせて貰ってますが、人間とは宗教に対して物凄い脆弱性を精神的に持ち合わせています。

 どの様な知性的な人であっても、自らが信じる宗教に対しては、そこに理性的な思考が働かなくなります。

 これは創価学会に於いても、とても顕著に見える傾向性です。

 私の周囲にいる創価学会の活動家幹部の中には、例えば学校の校長も居ますし、学識者や研究者と呼ばれる人達も居ます。要は教育レベルに於いてもそれなりに高等教育を受けてきて、とても理性的な知性を持ち合わせています。しかしこと「創価学会の論理的な破綻」を指摘しても、そんな知性を持ち合わせた人たちの大半は、創価学会の問題の事実を認めようとは絶対にしません。そこには自分が信じている宗教の無びゅう性を、理性抜きに信じ込んでしまうと言う、心理的な働きが出てしまうからでしょう。

 これは単なる人類の進化の途上で身に着けた特質なのでしょうか。私はそこに、人類の創生における重要な「精神的なプログラミング」というのが、介在しているのでは無いかと考えてしまいます。

 人類とは他の哺乳類と比較しても、また類人猿と比較しても、とても高度で理性的な心を持っていると思います。しかしその重要な特質の一つである精神的な機能が、「神様」や「仏様」、また精神的に依存する指導者の言動に対しては、全く働かなくなり、思考が停止してしまうのです。そして宗教者や為政者等は、これを自在に操る事で、人々を自在に操る事も可能となっています。これは宗教の歴史を少しでも知ればわかる事です。

 また異星人問題の一部には、地球外生命体の事を神の如く信奉する一団も有り、そこではチャネリングという事によるご託宣をありがたがり、そこでの言葉を信じてしまっていまが、これも宗教に対する脆弱性の一部と言っても良いでしょう。

 私はここに、人類の創造者達の思惑が隠れている様にも感じています。

 とまあ、ここまで色々と書いてきましたが、私はこれを信じろとは言いませんし、そこはひとり一人の理性に基づく考え方によると思っています。ただ一つ提起して置きたいのが、現代の科学。例えば人類史の歴史考証的な事で言えば考古学等についても、そこで今の段階で論証されていないから、それらは全て「バッタモンの理屈」と投げ捨てのではなく、そこから少しでも何かしら汲み取るべきモノがあるのであれば、やはり考えてみるべきではないでしょうか

 「今の科学で論証されていない事は信じない、考察すらする事もしない。」

 それでは何時まで経っても、人類の持ちうる一凶というのを、解決できる端緒すら見えなくしているのではないか。そう考えているのです。

 まあそれでも世迷い事と、いわれるならば、そこまでなんですけどね。でも私は個人的に、今後もこういった事についての思索は続けて行くつもりです。



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