自燈明・法燈明の考察

お金に弱い人間という存在

 今日は寒い朝でした。
 昨日、仕事ではシステム起動が上手く行かず、ハートブレイク状態で帰宅。荷物になりましたが、テレワークを行っている状況なので、自宅に装置を持ち込み本日の午前中は設定作業を行なった処、無事に装置が起動したので、今週の金曜日に再度、システム稼働試験を行う事にしました。

 私もそうですが、今の時代、仕事をしてお金を稼がないと、生活する事が出来ません。最近の新型コロナウイルス禍では、その仕事が半減したり、また失業したりで生活がままならない人達が多くなって来ていますよね。

 国内では「GOTOホゲホゲ」なんて政府主導で進めていましたが、疑問だったのは、この日本社会は飲食業や旅行業を支えたら持ちこたえられる社会なのでしょうか?

 私の周囲を見ると、そんなに単純な社会では無いように思えます。「GOTOホゲホゲ」をやろうとも、製造業では仕事が減っていますし、IT業界でも仕事が減少が止まってません。また医療現場では増加する患者数に悲鳴が上がっていたりもします。どうも日本政府の行う「新型コロナウイルス対策」の方針自体がおかしい様に思えてなりません。

 この状況でも東京オリンピックを諦めておらず、来年には国外から多くの人達を招き入れる事も計画していますからね。

 しかしこんな社会、人間というのは「お金」に対しては弱いですよね。まあお金を持たない人は、今の人類社会では自由に生きる事すら許されませんからね。



 私は経済学者でもありませんが、そもそもお金というのは何なのでしょうね。聞くところでは、東南アジアあたりでは、数万円で人を暗殺してくれる殺し屋もいるやに聞いた事がありますし、そもそも戦争なんて人類の愚行もお金の集合した「資本」が起こしたりします。またソマリア沖の海賊なんて、アメリカ資本の優良な投資先になってもいました。

 本来は物々交換であった原始的な経済構造から発生したのが貨幣経済であり、人々の間の経済活動を効率化する為に貨幣(お金)は発明されたのですが、気がついたら貨幣経済から金融が生まれ、それこそ貨幣そのモノに価値が生まれ、いつの間にか人々は貨幣で踊らされる様になってしまいました。

 人は社会で自由を得るためにお金を求め、そのお金を得るために死にもするし人を殺しもする。これって典型的な手段と目的の逆転が起きているのではありませんか?

 お金が貧富格差を生み出し、そのアンチテーゼから「共産主義」というのも発生しましたが、そこでは富の平準化も出来ずに、その社会の階級格差が生まれました。また生産活動についても、仕事をしようがしまいが、常に一定の収入という事では人々の勤労意欲もそがれ、共産主義の社会では作り出される製品やサービスの品質劣化も起きていました。

 これを考えると、お金(資本)とは人間の欲望が具現化したものであり、つくづく人間の欲求というか、それにまつわるお金(資本)という事を考えてしまいます。

 先日の事ですが、WFP(世界食糧計画)では、この新型コロナウィルス禍においても、世界の中で増収増益している企業もあり、そこの増益から数十億円支出出来れば、世界の飢餓状態はかなり改善できるという話もありました。しかし現実には、この増収分を減収した業種、また人々に還元する仕組みもなければ、今の人類社会にはその文化もありません。(一部には還元している企業などもありますが、それは増収分の中から見たら微々たるものです)

 お金(資本)というのは、もしかしたら人類社会をコントロールするための「仕組みの一つ」であり、私達は日常の中で、このコントロールの下で生活を送り、人によってはそこから弾かれ、亡くなる人もいるのではないか。

 そんな事さえ、考えてしまいます。

 先の記事では「宗教」という事について、少し思う処を書きましたが、宗教と共に、実は「お金(資本)」も、人類社会のコントロールツールなのかもしれませんね。

 そしてそれを無効化するためには、人間の心の中にある「欲望」を、一人ひとりの人間がコントロールする「心の強さ」が必要なのかもしれませんね。




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