自燈明・法燈明の考察

教条的な事より心象的な事が大事

 さて、ここ最近このブログでは「山の牧場」の事について連続して書いていますが、これはこの「山の牧場」という物語から、実は個人的に見えている事を話したいと思っているので、その「前説」として書いています。二つの「山の牧場」とは中々不可思議な物語ですが、その先にはちょっと重要な事が隠れていると個人的に感じているのです。だからもう少しこの怪談にはおつきあいください。

 その話は少し「閑話休題」として、今回は少し違う事について書いてみたいと思うのです。

 皆さんは「言葉」と「文字」のどちらが先に出来たか、考えた事がありますか?

 恐らくそんな事を考えるような人なんて居ないのではないかと思いますし、これは少しでも考えたら答えは分かることですよね。言葉と文字では、まず初めに言葉ありきで、その後に文字というのが出来てきた。そういう関係でしょう。

 では何故言葉が出来のか。我家ではペットで猫を飼っていますか、猫は「ニャー」とか、喉をゴロゴロと鳴らすとか、後は尻尾の動きやボディランゲージで、自分の感情を相手に伝える事はしますが、自分が何を考えて、これから何をしたいのか何て事は伝えませんよね。猿などある程度社会性を持つ動物でも人間の様な言葉を使用できませんし、恐らく自身の考えなどを相手に伝えるという事でも、人間ほど入り組んだ事は行えません。

 しかし人類は進化の過程で、言葉を発する能力を身に着けました。そしてこの言葉を使い、他の生き物には出来ない情報伝達の能力を得ることが出来たのです。そしてこの言葉を使うという事で、更に人類の進化が加速したのかもしれません。

 ただこの言葉という媒体ですが、個体間での情報伝達では万能ではありません。共通の単語を組み合わせて、そこに動詞だ形容詞だを付け足したとして、完全なる情報伝達は中々難しいものなのです。恐らく人類はこの言葉と共にボディランゲージや地面に模様や図式を書く事で、互いの意思疎通を行う方法を確立したのでは無いでしょうか。

 またこの言語が進化する過程で、人類とは大枠の種別が別れていたのかもしれませんね。言語が多様化して、様々な言語体系となっているのも、そういう事に原因があるのかと私は思います。

 そして人類は、進化をする中で「記録」するという事を身に着けました。そしてその為には言語を記録する記号が必要となり、そこから文字というのが発生したのでしょう。過去の遺跡を見ると、シュメール文明では粘土板に文字として記録し、エジプト等ではパピルスという植物の葉を使ったり、中国では木簡から紙へと記録する媒体は進化を遂げました。

 この文字は言葉の進化と共に進化をしてきましたが、これによって人の個体間の間の情報伝達が完璧に出来たかというと、けしてそうではありません。数字や決まりごと(ルール等)を伝達するには役に立つものですが、形而上の事(つまり端的に言えば個々の内面に起きた事)を伝達するには、かなり機能的には不足しています。例を上げるなら、夢の中身とか、個々の心象的な風景について、この文字というものや、そもそも言葉というものは表現するのが不得手なのです。

 宗教が分裂してしまう事、また分派して解釈が異なってしまう事も、おそらくはこう言った言葉と文字という、情報伝達能力の不足によるものが、大きく関係しているのでは無いでしょうか。また人類の歴史の中で、民族や文化間での理解不足により、戦争が起きてしまうのも、実はこの個体間の情報伝達不足や齟齬による事が原因の一つになっているのかもしれませんね。

 だから技術の伝承や、宗教の伝承においても「師弟関係」というのが重要視されるのも、この言葉や文字という事以前に、生活を共にした人間関係と、そこにある「文字以外の伝承」が必要という事から来ている。私はその様に思うのです。ちなみに創価学会でいう師弟関係には、そもそも人間関係というのはありませんよね。あくまで文字でつくられた物語を基礎とした、薄っぺらな事を師弟関係としています。

 また創価学会を始めとする日蓮系の宗教では「文証・理証・現証」という三つの証明を重要視します。しかし文証といっても文字面だけを見て議論をしても、あまり意味をなさない。そういう事もあるのではないでしょうか。私はその様に考えています。また日蓮系では「どちらが正義なのか」にこだわる余り、その文証についても部分だけ切り出して、それにより言い争う事を行っています。しかしこれにしてもどんだけ意味があるのでしょうか。

 文字面の解釈を重要視してしまう事から教条主義も発生します。しかしこと宗教に関しては心象的な内容にもなるので、単なる経典至上主義で語ることが出来ないのではないでしょうか。そこに必要なのは人間関係と共に、思索して対話を繰り返す。その中に伝承というのも成り立つのかもしれません。

 この辺りについても考えてみる必要かあるのでは無いでしょうか。


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