自燈明・法燈明の考察

まだまだ収まらぬ新型コロナウイルス禍

 ここ最近、仕事で多忙を極めていて、なかなかブログ記事を更新出来ずにいます。在宅勤務(テレワーク)なので、通勤時間が無いから楽な様にも思えます。なんたって往復四時間の通勤時間が無いわけですからね。

 恐らく通勤していたら、今の仕事量では帰宅は下手すりゃ午前様にもなりかねないものですが、在宅勤務という事もあって、何とか自分の生活リズムが回せている様にも思えます。

 さて、新型コロナウイルス禍は収まるどころか、感染拡大が止まらない様に、最近の報道では言われています。ヨーロッパやアフリカ等では感染力が七割強い変異種が流行していると言われています。日本でも変異種は入って来てないようですが、死者数が増加して、医療機関も悲鳴を上げています。

 でもこの新型コロナウイルスとは、良くわからないウィルスですね。最近になり、嫁の職場でも感染者が出たらしく、嫁はPCR検査を受けて、一応、陰性でした。何でも感染した人は、入院こそせずに住みましたが、未だに味覚障害が残っていて、味が判らないそうです。その他にも呼吸器系での後遺症とか、様々な障害が残るケースがあるとも聞いています。

 しかしながら一方では、通年のインフルエンザに比べると、死亡率は低く、いま新型コロナウイルスで死亡した人数も、インフルエンザウィルスに比べたら低いという話もあります。

 一方では、感染による恐怖感を煽り建てる情報があり、もう一方では、それを否定する様な情報もありますが、一体何が真実なのか、情報を集めだすと訳が判らなくなってきます。

 こういう場合には、しっかりと自分の立ち位置だけは明確にしておかないと、周りの情報に踊らされ、最悪の場合、混乱の中であり得ない状況に巻き込まれるという事も、よくある話です。

 だから私は考えます。
 新型コロナウイルスを、単に死亡率とか感染者数の多少では考える事を私はしません。多いから「凶悪」、少ないから「大したことない」というのは、その先にある思考は「マキャベリズム」と同様な思考となってしまうでしょう。人が多少感染して死ぬ事があっても、それは通年の中で起きる事で、別に問題ない。そんな思考で正論化する事に、私は大きな抵抗感を覚えるのです。

 どの様な感染症であったとしても、もし自分の身内や知人が病に倒れ、亡くなったとしても「それは通年の病と比較して云々」と私は割り切る事が出来ません。自分の周囲で見れば、確率は常に「5割(感染する、しない)」でしかありません。だから出来うる予防策は講じるべきであり、日常生活の中でも注意を怠らない様にしたいと思っています。

 ただその一方で、この新型コロナウイルスは「飛沫感染」という事なので、自前の免疫力の維持と、確実な手洗い・うがいでかなり感染は防げると考えています。実際に私は外出する際、手を触れる事には、出来るだけ意識を向けるように心掛けています。具体的に言えば、不用意に触らない。また手で目や鼻、そして口周りは触らない事にも意識を傾けて生活をしています。

 「正しく怖がる事」で、実は感染をかなりの確率で防ぐ事は出来るのではないでしょうか。

 またマスクについて。
 マスクをまるで完全防護策の様に考えている人もいますが、マスクは自分から飛沫を飛ばさない為にするもので、あとは不用意に口周りを触れない為にするものだと考えています。また細かい飛沫を全てマスクで防ぐ事は不可能に近いと思いますが、空気感染ではないので、多少の効果は期待できると思うのです。
 あとは大声で話さない事、またなるべく不特定多数から飛沫を浴びない様にする事で、かなり防ぐことが出来るのではないでしょうか。

 とまあ、ここまでは自分で注意出来る事なので、家族にもこの事は話をしています。

 あとはやはり「感染症」なので、国の政府としての対応も重要だと想います。果たして新型コロナウイルスとは如何なるものか。社会の中で「重大な感染症だ!」「いやいや大したことない」なんて議論が十ヶ月以上経過した今の段階でも、くすぶっている事に、私はこの国の対応の不味さを見てしまいます。

 医療機関は逼迫しているにも関わらす、国の方針を明確に打ち出さない。またその方針にしても、一体どこを見てやっているのか、全く検討も付きません。「GOTOホゲホゲ」だとか「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った姿として東京オリンピック」なんて、空っぽなシュブレヒコールの様な事ばかり総理大臣が発信し、この社会の中で新型コロナウイルスの影響を受けて、生活が困窮している人達(医療関係者を含む)には、何ら対処する方策すら出来ていません。

 確かに助成制度はありますが、しかしそれとて、どれだけ実効力があるのか、果たして政府は「効果測定」の様な事をしているのでしょうか?

 どうも今の日本の政治家というのは、自分自身の政治生命に関する危機意識は高くても、国家という組織に対する危機意識は皆無な様に思えてならないのです。

 あとこれは極めて個人的な感覚なのですが、来年になると更なる感染拡大、そして被害が一気に大きくなる様な事が起きなければ良いのですが、そこはどうなんでしょうか。どうもこの新型コロナウイルスの騒動とは、これから起きる事の序章の様な感染症の様にも思えるのですが。

 生き残るというと大袈裟かもしれませんが、この新型コロナウイルス禍というのは、今まで経験してきた感染症とは異なり「人と人の間の情報」を混乱させて、「人の関係性を離反する病」にも思えます。そして結果、社会を蝕む様な病にも思えてなりません。その事から一人ひとりが賢明に振る舞うことを求めるような感染症なのではないでしょうか。





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コメント一覧

秀和
強い感染力
http://blog.goo.ne.jp/b5550/
全く同意です。
マスクや手洗いの生活でインフルエンザは滅びかけていても、コロナはピンピンしています。単純な数字の比較は意味がないと思います。
上気道:インフル 下気道:コロナ
肺を侵す型の病原体はよくうつるようです(スペイン風邪然り)。声を出して会食、などは致命的なのでしょう。
重症者に近づく医療従事者もリスクが高く、世界では多くの病院関係者が亡くなっています。
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