自燈明・法燈明の考察

化義の広宣流布なんていらない

 日本中に「緊急事態宣言」が出始めていますね。さてこの新型コロナウィルス禍ですが、私個人が思う処、まだ序の口なのかもしれません。相手はウィルスですが、このウィルスというのは「ばい菌」では無いんですね。ばい菌とは単細胞生物ですが、ウィルスとは生物と物質、仏教の言葉で言えば「非情」と「有情」の真ん中にいる存在です。だから自分単独では繁殖できず、細胞の中に遺伝子を送り込む事で増殖しようとします。

 だから抗菌剤でも効かない場合があると言います。この辺りも誤解している人がいますよね。

 だから変異というのが、比較的しやすいと言われています。だからこのウィルスが変異をする中で、今後、どの様になっていくのか。そこについて私は個人的に心配していたりします。

 さて今日の本題。パンデミックの事ではありません。
 先日の事、うちの嫁がリモートで座談会に出てまして、その座談会の内容について、脇にいると駄々洩れで聞こえてくるわけです。すると正月の大学駅伝で創価大学が往路優勝、復路二位であった事を幹部が取り上げ、その大学駅伝選手の後に続けと言わんばかりに、衆議院選挙で公明党勝利を訴えているのを聞いてました。



 創価大学の駅伝チーム全員が、創価学会の活動家ではないだろうに。でも結果として彼ら創価大学の駅伝チームの奮戦勝利は、創価学会の活動家を勢いづけ、日本の自公政権の下支えのタネになっているわけですね。

 あほらしい限りではないでしょうか。私はそんな様に思いました。

 創価学会が何故、このように選挙に一生懸命になるのか。それは彼らの行う選挙活動が、以前にもこのブログで初回したように、法華経に説かれる「広宣流布」の行動だと信じているからです。そしてそれは信仰による活動なので、いわば集票活動自体にも、無量の功徳(御利益)というのが存在すると信じているからなんです。

 この広宣流布という言葉ですが、法華経には「後々の世に法華経を広く宣べ流布し、断絶させてはならない」という言葉だけでしたが、大石寺の第26代貫首だった日寛師が、「法体の広宣流布」と「化義の広宣流布」という考え方を打ち立てました。

 この考え方のそもそもは、日蓮が観心本尊抄で述べた以下の言葉。
「当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す。」

 ここでは地涌の菩薩の上首は、折伏を現ずるときには賢い王となって愚かな王を責めて折伏し、摂受を行ずる時には、僧侶となって法を弘めたもつと述べています。日蓮は「折伏」を前面に出していたので、この観心本尊抄の記述で言えば、賢き王であるはずが僧侶でした。しかし僧侶であれば摂受の修行を行う事となり、日蓮が言っていた折伏とは異なってしまうという、いわば簡単なパラドクスへと陥ってしまいます。

 そこで日寛師は「日蓮が行ったのは法体(教え)の確立であり、これは法体の折伏なのである。法が確立したので門下が行うのは化義(形式)を弘める事である。」と解釈をしたわけです。簡単に言えば。

 そして創価学会は当然、日蓮正宗の信徒団体であったわけですから、この日寛師の教えを守り、自分達は「化義の広宣流布」をする団体なんだとなり、具体的には文字曼荼羅を弘め、形式をひたすら弘めたわけです。

 簡単に言えば法体は確立されたのだから、形式を弘めれば良いなんて安直に理解してしまったという事もあり、その根本的な精神構造の先で、今の様な集票団体化してしまったと言っても良いでしょう。

 私が創価学会の抱える問題とは、思想面の問題であり、根深い問題だと思ったのも、こういった根本的な教義に根付く問題だと理解したからなんですね。

 もうね、日蓮の文字曼荼羅なんてバラまかなくても言い訳ですよ。それよりも日蓮が確立したと言うのなら、その法体について理解を深めなければならないし、そもそも法華経で説かれる広宣流布には「法体」「化義」なんて立て分けも無いのですから、法華経とは何を説いたのか。そこに対する探求を深めていく必要がある訳です。

 そしてそんなスタンスであれば、むやみな組織拡大(膨張と言っても良いでしょうし)や、互助会的な組織の維持なんてのも不要だと思いませんか?

 もし創価学会として組織であるならば、せめて日本社会や世界の人類社会に、様々な提言をする組織としてあれば十分だと思いますけどね。

 でもその場合、いま創価学会が行っている「SGI記念提言」なんていう、空理空論の綺麗ごとで何ら実効性の無い提言なんてのも不要です。

 「化義の広宣流布」

 これは日寛師が創り出した造語なんですから、捨て去ればよいと思いますよ。そしてもっと根問いして、本来あるべき姿を模索すべきであり、それは日本国というドメスティックな社会の中で、単なる政争の具に使われるものではないと思うのです。

 こういった事も、少しは考えてほしいものですね。


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