北信濃寺社彫刻と宮彫師

―天賦の才でケヤキに命を吹き込んだ名人がいた―

苔泉亭ー諏訪立川流の欄間

2018年01月22日 | 20 立川流

諏訪立川流ファンには有名な場所だと思います。苔泉亭は、諏訪大社秋宮から前の通りを30mほど下った通り沿いに面しています。 元は商家で、40年程住人がいなくなり、取り壊す話があったのを保存すべく根津八紘氏が私費を投じ現在まで残されました。

現在は根津氏により『苔泉亭』と名付けられています。奥では根津氏の知人の方がそば店をやっておられます。

入口の風景

 

入口を入ると左に8畳間があり、上り口の上に2枚の欄間が付いています。

 

 

左の富士山の欄間の左下に刻銘があります。「湘欄」とあり、下には「啄斎の娘」印があります。

立川湘欄は、松代といい、二代立川和四郎冨昌の孫になります。冨昌の次男、立川冨種(別名:啄斎)の三女です。里山辺のお船の彫刻も手掛けた名工です。(写真は、細川隼人氏「立川流の建築」より)

 

湘蘭の欄間側からみた書院。右に一枚欄間があります。

題材は「竹に虎」。

同拡大。

欄間の左下に 七十六歳、立木種清(花押)彫刻とあります。立木種清は、立川音四郎といい、冨昌の弟子であり、永福寺山門などを手掛けた。

ー奥の蕎麦屋さんで食事を頂きました。付け出しがのっている陶器は、苔泉亭オーナーの根津八紘氏の作です。

 

根津八紘氏は、産婦人科の医師で諏訪マタニティークリニックを運営されています。また、自ら書画家として創作活動をされており、秋宮の脇に根津八紘美術館を開設し、そちらの収益を慈善団体に寄付されています。松本市出身で、第2の故郷である下諏訪町の文化財を守る活動をされてきました。個人でなかなか出来る事ではありません。立川流の欄間が地元に残っていることは根津氏のおかげだと思います。私はそこまで出来る力はありませんが、地元の文化が少しでも残る事に力を貸せれたらと思います。

下は、別の場所、秋宮のすぐ脇にある根津八紘美術館の内部(絵はモザイクかけています。)です。入場無料です。ちょうど特別展示をやっており、雪の積もった里山の絵が特に好きでした。

 

 


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