北信濃寺社彫刻と宮彫師

―天賦の才でケヤキに命を吹き込んだ名人がいた―

■30 柴宮長左衛門 矩重(のりしげ)とは、水上布奈山神社(30D)

2016年06月01日 | 30 大隅流

 諏訪大隅流の始祖。 

 古くから諏訪藩作事方大工棟梁をつとめる伊藤家の出身で、父は伊藤弥右衛門光福(みつもと)、兄は伊藤儀左衛門光禄(みつよし:元文3:1737年生まれ)で諏訪高島城の天守石垣改築を担当した大棟梁であった。長左衛門は延享4年(1747)に弥右衛門の四男として諏訪郡上桑原村で生まれ、16歳の時に母の実家、村田家(大工の家柄)の養子になり、安永2年(27歳)より4年間の江戸修行(平ノ内家、大隅流)をしている。安永5年(30歳)に慈雲寺山門建築の為に帰郷し、その翌年に諏訪大社下社春・秋宮幣拝殿建築で立川富棟(秋宮)と対決する。天明2年(36歳)に村田家を他者に譲り柴宮家を興しているが、仕事上は柴宮ではなく伊藤姓を用いている。寛政12年に54歳で没している。長野市三輪の美和神社本殿造営の棟梁を勤めている。棟札に「当国諏訪 大工棟梁 伊藤長左衛門」とある。

 

写真)寛政元年(1789) 水上布奈山神社(みなかみ ふなやま)本殿

千曲市戸倉上中町。一間社流れ造りで、母屋正面扉脇には「寒山拾徳」、縁下には「蘇鉄(そてつ)に兎」、木鼻は「獅子、獏」、海老虹梁は「龍」、脇障子には「竹林の七賢人」他。国重要文化財指定。

 

 

 

 



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