
浮舟のまします所へ文を也
こゝちすれば、そこもとによりてたてまつ
小君詞
りつ。御かへりとくたまはりてまいりなんと、
かくうと/\しきを、心うしと思ひていそぐ。
あま君゙御ふみひきときてみせたてまつる。
浮舟の心也。薫の御手跡也 か
ありしながらの御手にてかみの香など
例のよづかぬまでしみたり。ほのかにみて、
細草子地也。抄少將左衞門などいふ人々なるべし。
例のものめでのさしすぎ人いとありがた
細かほるの文の詞也
くおかしと思ふべし。さらに聞えんかたなく
さま/"\につみをもき御こゝろをばそうづ
其世のとがはさしをきて只
におもひゆるしきこえていまはいかであさ
かたりたきと也 細夢四
ましかりし世のゆめがたりとだにといそ
がるゝ心の、われながらもどしきになん。ま
頭注
かくうと/\しきを心う
しと思ひていそぐ
孟小君を浮舟のうと/\
しくあへしらひ給ふほど
にとて返しをいそぐ也。
例のよづかぬまで
抄紙の香也。あまりなる
までかうばしきをよづ
かぬといへり。
さま/"\につみをもき御心を
抄匂宮に密通の事母
をとゞめて入水の事などを
さま/"\といへり。僧都に思ひゆる
しととは、大悲大受苦など、其
人の苦にかはる事あり。観
音大士など是也。出家の事
もこもるべし。
われながらもどかしき
細我身さへもどかし

頭注
まして人いかに思ふら
んと也。
して人めはいかにと、かきもやり給はず
薫 のり
法のしと尋ぬる道をしるべにておもは
小君の事を薫の文の詞也
ぬ山にふみまどふかな。この人はみやわすれ
浮舟のかたみにと也
給ぬらん。こゝにはゆくゑなき御かたみに
みるものにてなんなど、いとこまやかなり。
浮舟の心也
かくつぶ/"\とかきたまへるさまのまぎら
むかしの浮舟にもあらず
はさんかたなきにさりとてその人にもあ
尼になり給ふ事也
らぬさまを、おもひのほかにみつけられき
こえたらんほどの、はしたなきなどをおもひみ
だれて、いとゞはれ/"\しからぬ心は、いひやる
べきかたもなし。さすがにうちなきてひれふ
細尼君の心也
し給へれば、いとよづかぬ御ありさまかなと
頭注
のりのしと 細法の師
にのみこそ僧都をば
頼むべきに、かくおもひ
かげざる事にたのみ
たると也。五文字との
字めづらしくおもしろ
きなり。三おもはぬ山
はかねて思ひもおらぬ心也
かくつぶ/"\と
すぶさにかきたまへる心
なり。

細尼君のいへる事也
みわづらひぬ。いかゞきこえんなどせめられ
抄浮舟の詞也
て、心ちのかきみだるやうにし侍ほどため
らひて、いまきこえん。むかしのことおもひい
づれど、さらにおぼゆことなく、あやしう
細夢五 得
いかなりける夢にかとのみ心もえずなん。
すこししづまりてや、此御ふみなどもみし
らるゝこともあらん。けふはなをもてまい
り給ひね。ところだがへにもあらんに、いとかた
抄文を尼の方へやる也
はらいたかるべしとて、ひろげながらあま君゙
抄是は待ふ尼共の詞也
にさしやり給へれば、いと見ぐるしき御ことか
な。あまりけしからぬは見たてまつるひと
もつみさりどころなかるべしなどいひさ
頭注
すこししづまりてや
孟思ひしづまりてはいづ
くよりとおもひわけん
と也。
つみさりどころなかるべし。
花つみはとが也。とがをの

頭注
がれんかたなき也。河海の
説如何とおぼへ侍り。
浮舟の心也
はぐも、いとうたてきゝにくゝおぼゆれば
細尼君也 孟尼君
かほもひきいれてふし給へり。あるじぞこ
の小君に物語し給ふ也 孟尼公
のきみに、ものがたりすこしきこえて、もの
の小君に語り給ふ詞也 浮舟の也
のけにておはすらん。例のさまにみえ給
三出家の事也
おりなくなやみわたり給て、御かたちも
尼になり給ふ故也
ことになり給へるを、たづねきこえ給人あ
らば、いとわづらはしかるべき御ことゝ、みたて
案のごとく尋給ふ人ありとの心也
まつりなげき侍しもしるく、かくいとあは
れに、心ぐるしき御ことゞもの侍けるをい
をそれがましきと也
まなんいとかたじけなく思ひ侍る。日ごろ
もこゝちうちはへなやませ給めるを、いと
どかゝること共゙におぼしみだるゝにや。つねよ
頭注
心ぐるしき御事どもの
三薫の懇にたづね給ふ
事也。
日ごろもこゝちうちはへな
やませ 三浮舟の煩ひ
なり。
心地すれば、そこもとに寄りて奉りつ。
「御返り疾く賜はりて參りなん」と、かくうとうとしきを、心憂し
と思ひて急ぐ。
尼君、御文引き解きて見せ奉る。有りしながらの御手にて、紙の香
など例の世づかぬまで染みたり。仄かに見て、例の物目出のさし過
ぎ人、いとありがたくおかしと思ふべし。
更に聞こえん方無く、樣々に罪重き御心をば僧都に思ひ許し
聞こえて、今は如何で浅ましかりし世の夢語りとだにと急が
るる心の、我ながらもどかしきになん。まして人目は如何に
と、書きもやり給はず
薫
法の師と尋ぬる道を導にて思はぬ山に踏み惑ふかな
この人は、見や忘れ給ひぬらん。ここには行衛無き御形見に
見る物にてなん
など、いと細やかなり。かくつぶつぶと書き給へる樣の、紛はさん
方無きに、然りとてその人にもあらぬ樣を、思ひの外に見付けられ
聞こえたらん程の、端無きなどを思ひ乱れて、いとど晴れ晴れしか
らぬ心は、言ひ遣るべき方も無し。
流石に打泣きてひれ伏し給へれば、いと世づかぬ御有樣かなと見煩
ひぬ。
「如何聞こえん」など責められて、
「心地の掻き乱るやうにし侍る程躊躇ひて、今聞こえん。昔の事思
ひ出づれど、更に覚ゆ事無く、あやしう如何なりける夢にかとのみ
心も得ずなん。少し静まりてや、この御文なども見知らるる事もあ
らん。今日は、猶持て參り給ひね。所違へにもあらんに、いと片腹
痛かるべし」とて、広げながら尼君に差し遣り給へれば、
「いと見苦しき御事かな。余りけしからぬは、見奉る人も罪さり所
無かるべし」など、言ひ騒ぐもはぐも、いとうたて聞き難く覚ゆれ
ば、顔も引き入れて伏し給へり。主ぞ、この君に、物語り少し聞こ
えて、
「物の怪にて御座すらん。例の樣に見え給ふ折り無く悩みわたり給
ひて、御形姿も異に成り給へるを、尋ね聞こえ給ふ人あらば、いと
煩はしかるべき御事と、見奉り歎き侍りしも著く、かくいと哀れに、
心苦しき御事どもの侍りけるを、今なんいとかたじけなく思ひ侍る。
日頃も心地うちはへ悩ませ給ふめるを、いとどかかる事どもにおぼ
し乱るるにや。常よ
※われながらもどしきに→われながらもどかしきに
和歌
薫
法の師と尋ぬる道を導にて思はぬ山に踏み惑ふかな
法の師と尋ぬる道を導にて思はぬ山に踏み惑ふかな
よみ:のりのしとたづぬるみちをしるべにておもはぬやまにふみまどふかな
意味:仏法の師として横川の僧都を頼る為に尋ねて行く道を導にしたが、比叡山で踏み間違ってしまい、僧都に貴女への文を書いてもらいました。貴女への思いから。
備考:踏みと文の掛詞。
略語
※奥入 源氏奥入 藤原伊行
※孟 孟律抄 九条禅閣植通
※河 河海抄 四辻左大臣善成
※細 細流抄 西三条右大臣公条
※花 花鳥余情 一条禅閣兼良
※哢 哢花抄 牡丹花肖柏
※和 和秘抄 一条禅閣兼良
※明 明星抄 西三条右大臣公条
※珉 珉江入楚の一説 西三条実澄の説
※師 師(簑形如庵)の説
※拾 源注拾遺
※三 三光院三条西実枝の説を師の簑形如庵から教えられた
