「信頼」や「愛」といったものは、目には見えない。
ここにある、と触れることも出来ない。
でも。
まぎれもなく「ある」。
自分に対する信頼や愛に満ちている人は、
内側から外側に向かってエネルギーが放たれているのがわかる。
その人を包んでいるエネルギーの質のようなもの。
性別も年齢も、
日常での役割も肩書きも、
またどのような格好をしているかも、
それらを全て「飛び越え」「通り抜け」その人から放たれているもの。
これがいわゆるオーラと言われるものなのかもしれない。
ごまかしは、きかない…と言われる由縁がわかった。
自分に対してどのように接しているかが、語らずとも顕れるものなのだと。
そして。
口から出る言葉、使う言葉、ひとつひとつにもやはり発した人のエネルギーが宿っている。
だから「言霊」なのだ。
肉体という物質をまとっているけれど、
どれほど多くの見えないエネルギーの層が、その人を形づくっているのか。
そこに、「嘘」が入り込む余地はない。
日々刻々と変化する部分もあるけれど、
大元(おおもと)となるエネルギーは、まぎれもなくその人自身を顕すもの。
…気づくと。
自分に対しても人様に対しても「視て」「感じる」ところが変わっている。
焦点をあてているところが、以前とは違う。
「目」がひとつ増えたような不思議な感覚…。
ここにある、と触れることも出来ない。
でも。
まぎれもなく「ある」。
自分に対する信頼や愛に満ちている人は、
内側から外側に向かってエネルギーが放たれているのがわかる。
その人を包んでいるエネルギーの質のようなもの。
性別も年齢も、
日常での役割も肩書きも、
またどのような格好をしているかも、
それらを全て「飛び越え」「通り抜け」その人から放たれているもの。
これがいわゆるオーラと言われるものなのかもしれない。
ごまかしは、きかない…と言われる由縁がわかった。
自分に対してどのように接しているかが、語らずとも顕れるものなのだと。
そして。
口から出る言葉、使う言葉、ひとつひとつにもやはり発した人のエネルギーが宿っている。
だから「言霊」なのだ。
肉体という物質をまとっているけれど、
どれほど多くの見えないエネルギーの層が、その人を形づくっているのか。
そこに、「嘘」が入り込む余地はない。
日々刻々と変化する部分もあるけれど、
大元(おおもと)となるエネルギーは、まぎれもなくその人自身を顕すもの。
…気づくと。
自分に対しても人様に対しても「視て」「感じる」ところが変わっている。
焦点をあてているところが、以前とは違う。
「目」がひとつ増えたような不思議な感覚…。
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