やりたいことをやろう!
ではなく。
やりたいことしか出来なくなっている。
いや、それもちょっと違う…。
〇〇をやりたい…と言うよりも。
この肉体を通して現れる「何か」を表現しているだけ。
でも「私」が表現しているのではなくて…。
(この場合の私は、個だと思っているあゆみ)
「私」を超えた「何か」が「私」というツールを使っている。
そんな感覚。
(個の肉体を蔑ろにするということではないよ)
「何か」が「私」を使って表現することが「自然」な感覚。
それが何だか…楽しい。
何がどう楽しいのかと聞かれても理由がない。
純粋に楽しい。
〇〇だから、という〇〇に該当するものがない。
楽しいと言っても、刺激や興奮とは違う。
過去に体験して「楽しい」と感じていたこととも全く違う…。
「無心」でやっている。
そう流れてきた。
確かにあれこれ余計なものが介在していない状態かも。
個である「あゆみ」の存在さえも透明になっている感じ。
制限って何だろう。
ブレーキって何だろう。
「私」が、制限出来ると思い込んでいただけ。
「私」が、ブレーキをかけられると思い込んでいただけ。
「私」がどんどん小さく薄くなって「何か」が大きく濃くなってきている。
いや、それもちょっと違うかな。
「私」が透明になっていくと、元々そこにあった「何か」が自然とあらわれる。
あらわれた「何か」が「私」を動かす。
これが「本質」なのであれば…そうかもしれない。
言葉にすると、ホント…何言っているのかがわからないと思うけど。
実際に私の身の上に起こっている出来事を文字にすると、こんな感じ。
覚書として…。
ではなく。
やりたいことしか出来なくなっている。
いや、それもちょっと違う…。
〇〇をやりたい…と言うよりも。
この肉体を通して現れる「何か」を表現しているだけ。
でも「私」が表現しているのではなくて…。
(この場合の私は、個だと思っているあゆみ)
「私」を超えた「何か」が「私」というツールを使っている。
そんな感覚。
(個の肉体を蔑ろにするということではないよ)
「何か」が「私」を使って表現することが「自然」な感覚。
それが何だか…楽しい。
何がどう楽しいのかと聞かれても理由がない。
純粋に楽しい。
〇〇だから、という〇〇に該当するものがない。
楽しいと言っても、刺激や興奮とは違う。
過去に体験して「楽しい」と感じていたこととも全く違う…。
「無心」でやっている。
そう流れてきた。
確かにあれこれ余計なものが介在していない状態かも。
個である「あゆみ」の存在さえも透明になっている感じ。
制限って何だろう。
ブレーキって何だろう。
「私」が、制限出来ると思い込んでいただけ。
「私」が、ブレーキをかけられると思い込んでいただけ。
「私」がどんどん小さく薄くなって「何か」が大きく濃くなってきている。
いや、それもちょっと違うかな。
「私」が透明になっていくと、元々そこにあった「何か」が自然とあらわれる。
あらわれた「何か」が「私」を動かす。
これが「本質」なのであれば…そうかもしれない。
言葉にすると、ホント…何言っているのかがわからないと思うけど。
実際に私の身の上に起こっている出来事を文字にすると、こんな感じ。
覚書として…。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます