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湧きおこるものに、ただ突き動かされる

2021年01月18日 | 目覚め
今、苦しんでいる人にとって。
それが耐え難い辛さであったり、身動きが取れないものだったら尚更、
「目覚め」と言われてもピンと来ないだろうし、
「寄り添ってくれるもの」や「癒し」の類いになるようなものではないと思う。
 
 
自分を振り返ってみてもそうだった。
だからと言って、そのようなきっかけが自分には起こらないとはいえない。
 
 
自分の都合で考える「順番」通りになんていかないし、起こる時にただ起こる。
どんなにやさぐれていようと、どんなに絶望していても。
それしかない形で、それしかないタイミングであらわれる。
誰にもわからない。
 
 
でも、そのきっかけが始まりとなり実感が伴ってくると。
それがたとえかすかであっても「ラク」になっていく。
 
 
そして、その実感が大きくなればなるほど、
湧きおこってくる「何か」に動かされていることに気づく。
 
 
そこには、あれやこれやと自分の思考が入り込まないのでとても静か。
 
 
変な風に聞こえるかもしれないけれど。
そもそも自分の思考がないので、思い通りにいかないということがない。
 
 
思考がないって言っても。
これは、別に呆けたようになっているということではなくて、
ただただ湧きおこるままに動いているということ。
 
 
車の運転に例えたらわかりやすいかなと思うんだけど。
高速道路を走っている時って、車窓の眺めはただ流れていくだけ。
(思考も同じで次々と出てきたとしても流れゆくまま)
 
 
でも、車中にいる私は実際に手足を使って運転している。
真っすぐ前を見て走っている時って「私」は見えていない。
そんな感じ。
 
 
滞り(葛藤)のない流れのようなものがあって、
そこから湧きおこるものに従っていると、流れそのものになっている。
(と後から気づく)
 
 
そうすると。
それまで自分が経験した喜怒哀楽とは全く違う喜びがあるということを感じ始める。
 
 
喜びと言っても「ウッキー♪」という高揚感のあるものではなくて、
もっともっと静かでゆったりしている。
 
 
「個」としての「私」が薄くなればなるほど、
瞬間瞬間に湧きおこるリアルな「生」がより鮮明になっていく。




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