魂のロードマップはあなたの中にあります

本当は毎日生まれ変わっているのが私たち
いつだって限りない可能性の光が満ち溢れている

夢の中で、どんなに頑張っても現実は動かない

2022年09月29日 | 目覚め
Facebook、2022年5月9日にあげた記事。

~~~~~~~~~~~~~~~

「何ものでもない」存在としてこの世界に生まれてくる私達。

そこから、時間をかけながら「私」をつくりあげる。


目覚めというのはその「私」が目覚めていくものだと昔は思っていたけど…。
つくりあげた「あゆみ」という実体のないものは目覚めようがない。

「あゆみ」という存在自体が夢だということが体験を通して徐々にわかってくる。

それでも、あゆみの人生は続くし、夢も見続ける。

夢を見続けるって「誰が?」となった時に、フッと思い浮かんだのが
亡くなられた服部幸恵さん(お世話になったチャネリングの先生)。

ずいぶん前に、私のコメント欄に
「英語だと、 I AM THAT I AM と言います」と書いてくださったことがある。

英語がわからないのに、何だかしっくりくる。

私の不在によってもたらされる心の平安と穏やかさ。
…究極の矛盾でもあるけど、愛でもある。


****************

昨日は、zoomセッションでした。
既に、何度か受けていただいているクライアント様。

繰り返し陥るパターンに直面されていたタイミングでした。

私とクライアント様のシナリオが、多少違ってはいても。
私の中にもある、自分の「正しさ」を証明しようとする自我の働き。

以前にも増して「私」不在の感覚の中、お互いに何ものでもなくなった時。
握っていたものが離れる瞬間が訪れ、そこから浮かび上がってくるものが見える。


これは、一人では本当に難しい…とつくづく感じる。


北風と太陽じゃないけど。
個々のストーリーを無理に剥ぎ取ろうとしても、自我は激しく抵抗する。

また、個の私がある程度癒やされていないと、
自分を差し出すこともなかなか出来ない。


私達がどうこう「考えて」出来るものではないということが、
やればやるほどわかってくる。

夢の中で、どんなに頑張っても現実は動かないのと同じだから。

幸い、あれこれ考えながらのセッションは出来ない。

「あゆみ」が介入できないつくり?になっているので…
存分に使ってもらうしかない。

さて、今夜…明日と、セッションは続きます。


デカフェの珈琲

2022年09月29日 | 日記
Facebook、2022年5月7日にあげた記事。

この時、ご紹介したデカフェの珈琲。
すっかりお気に入りになって、定期的に購入しています。

~~~~~~~~~~~~~~~

珈琲が好き☕

気持ちを切り替えたり。
ひと息つくのに欠かせないという方も多いと思いますが、私もそのひとり😊

でも、飲みすぎると…ちょっと胃が、とか。

カフェインの利尿作用で、トイレが近くなって、とか。

夕方以降に飲むと眠れなくなる、とか。

そういう方もいらっしゃると思います。
(お世話になっている、98歳の茶道の先生も上の3つの全てに該当されるので、
今度お持ちする予定😊)


そんな悩みに応えてくれるのが、カフェインレスの珈琲。

今は、スーパーなどでも売場に並んでいるので手に入りやすくなりました。

でも、美味しいか?と言われると…うーん🙄
私も、色々試してみましたが、これ!というものになかなか出会えず。

そんな中、先月ご紹介いただいたデカフェコーヒーがすっかりお気に入りに🥰

コーヒー愛好家で、妊娠中に妊娠糖尿病に罹り、
カフェインも甘みもNGになってしまった女性が
試行錯誤を重ねながら出来上がったブランド「極・馨-Gokkoh-」。




特徴的なのが、自然素材を使ったフレーバーコーヒー。

糖分が摂れない人でも、香りで甘さを感じられるようにと、
本物の素材を使っていること。

でも、単純にコーヒーに混ぜればよいというものではなく。
素材の性質に合わせて下処理や配合率などを変え、
コーヒーと素材がなじむように工夫されたそうです。

いくつか種類がありますが、
どのコーヒーもミルクと合わせると、よりまろやかになるそう。

私は、ナッツが大好きなのでアーモンドを使ったフレーバーコーヒーが一押し👍
(男性陣にも好評でした)

ノーマルといって、フレーバー無しも愛飲しています。




誰かの為にではなく 自分自身の為に

2022年09月29日 | 目覚め
Facebook、2022年5月6日にあげた記事。

~~~~~~~~~~~~~~~

甘える、と聞くと。
何が思い浮かぶだろう。

甘え上手とか。
甘え下手とか。 

かなり曖昧で、よくわからない言葉だと思う。


以前の私は、甘える…ということがどういうことかわからなかったし、
何だか作為的な響きを感じて抵抗もあった。


さらに、
「きちんとしなきゃ」
「しっかりしなきゃ」
「間違っちゃ駄目だ」
という3点セットを常に抱えていたので「甘える」なんて入る隙間もない状態。

違う見方をすれば。
「ワタシはデキル😤」という傲慢さに繋がってもいた。

しかも、3点セットは「恐れ」から来るものだったから、
プライドは高いけど自尊心は低いという「張りぼて」状態。

それ以外にも、「我慢」とか「犠牲」とか、その他諸々てんこ盛り。

それだけ抱え込んでいたら、私が埋もれて見えない😵
そりゃあ…息苦しくもなるし、しんどいよな〜と思う。


だから、変わりたかった。
変えたかった。

誰かの為にではなく。
自分自身の為に。


でも、小手先のハウツーで、
表面上だけ変わった気になっているんじゃ意味がないこともわかっていた。


例えて言うなら…。
堆積オーバーで、このままじゃ、私という船は沈んでいく〜😱

そんな時に、積荷の整理という名目で縦のものを横にしたところで何も変わらない。
とにかく余計な荷物を捨てなきゃ沈没する〜💦💦

そんな感覚に近い。


でも、積荷に例えたけど。
それは長年私の一部でもあった。
捨てるには勇気がいる。

だから、ガイダンスを求めた。
求め続けてそれに従った。

すると…。
うっかり間違える。
すっかり忘れる。
全くわからない。
なんにもできない。

そんなポンコツな私が次から次へと張りぼての中から出てきた。

でも、出てくる度にラクになっていったし、不思議と自分が愛しくなっていった。

同時に、
助けてほしい。
力をかしてほしい。
力まず口にしていることに気づいた。


甘えるって。
そのままの自分、ありのままの自分で人と接することによって自然に生じてくるもので、
特定の行為や振る舞いじゃないんだなぁと思う。


出来事の「終わり」を告げるカードは、 同時に「始まり」を知らせるカード

2022年09月29日 | 目覚め
Facebook、2022年5月5日にあげた記事。

~~~~~~~~~~~~~~~

パートナーと出会ったから幸せになれる。

これは別の言い方をすると。
パートナーと出会えなければ幸せになれない。

でも、決してそうではないと思う。


先日、目に入ってきた言葉がある。

「僕は人生を贈り物だと考えている。
どんなカードが配られても、
それもまた大切にしたいと思う。
1日を大切に…。」

読んだ人によって解釈は様々だと思うけど。

この「カード」は、自分で選ぶことも。
前もって知ることも出来ないだろう。

いつ、どのタイミングで配られるかもわらない。


私の場合。
これまでの人生で繰り返し配られたカードがパートナーシップだった。

場所が変わり、人が変わっても、カードは同じ。


カードは、人が愛に目覚めていく過程で、
その人にとっての「テーマ」を知らせてくれようなものだと思う。


本当の自分に戻る。
愛に還る。


パートナーシップだと、それは個としての相手との成就というより。
(それが必要ないとか無意味ということではなく)

パートナーとの関わりの奥深くにある「ただ在る」私達にむかう為に用意されたカード。


相手を通して自分を識る機会を与え続けてくれる「采配」と。
気づきという「恩寵」はカードの表と裏のようなものだと感じる。

そして、出来事の「終わり」を告げるカードは。
同時に「始まり」を知らせるカード。

今、手元を見ると。
あらたなカードが目に入る。

自分のことで精一杯、孤独に苛まれ、自ら背を向けていた私が…
配られていたことに気づけなかった「仲間」のカード。

人生に拡がりと彩りを加えてくれる導きに大きな愛を感じる。


地元のお店の発見は続く

2022年09月29日 | 日記
Facebook、2022年5月4日にあげた記事。

亡くなった夫と行きたいと思っていた場所には、
ほとんど行くことが出来なかった。

…本当に思う。
時間は無限じゃないって。

~~~~~~~~~~~~~~

地元に、こんなお店があったのね、そんなお店もあったんだ😆
という具合に。

近場で美味しい食事がいただけるお気に入りのお店が、少しずつ増えてきた🍴

と言っても、やはり車がないと不便だったり…遠かったり💦

免許証は身分証明書がわりで、
完璧なペーパードライバーの私が運転出来るはずもなく。
(車も手放したし)

マメに調べて連れて行ってもらえる有り難さ。


そう言えば。
ずいぶん前に書店で「地元の美味しい店特集」のような雑誌を買って、
夫と行ってみたいところに付箋紙をつけて楽しみに眺めていた時期があった。

情報が更新されて、新しいバージョンの雑誌が出て、
また付箋紙をつけて楽しみにしていた・・・。

でも、全く行けないまま、私はひとりになり…雑誌も捨てた。

当時、ウキウキしながら付箋紙をつけたお店の情報もすっかり忘れてしまった。


今は、野生のカン?で、お店を開拓してくれるパートナーのおかげで。
住み始めて14年になるこの街の、
それまで知らなかった「美味しい」場所やものを体験させてもらっている。