Facebook、2022年4月19日にあげた記事。
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亡くなった夫とは、
彼が肉体を脱いだその日の晩からミディアムシップでコミュニケーションを始めた。
やり取りした言葉を綴った手帳は私の宝物だ。
今日、その手帳を久しぶりに手にとった。
2018年2月から時間も経って感じることも変わってきた。
「私は何も失っていない」
「私は何ひとつ失っていない」
…そうだね、と今は言える。
何も失いようがないのが私達だから。
「常に大いなる存在をいつでも感じながら生きていける」
「自分が愛そのものであるという意識が圧倒的な存在として自分の中で拡大していくし、
流れ込んでくる」
…それでしかないことを体験したくてここにいるんだね。
「自分で探さなくてもいいんだよ」
「必要な全て…人も機会も時間も必ず揃う」
…奇跡としか言えない沢山の出逢いの中、生かされていることを実感している。
そして、繰り返し繰り返し訪れた…。
「大丈夫だよ」
「絶対に大丈夫だし、安心だし、安全なんだよ」
…あぁ、そうだった。
本当に大丈夫だった。
どんな時も大丈夫だった。
そして、毎日のように続いたやり取りも、
ある言葉を最後にほとんどなくなり、私自身も書きとめることをしなくなった。
「自由に羽ばたいて
何ものにもとらわれず自分を生きて
本来あなたの魂はそのように決めてきたのだから」
(2018年6月26日)
自由ってなんだろう。
何ものにもとらわれないって、どういうことなんだろう。
自分を生きるってわからない。
そんな想いを抱えながら来たけど。
「自由」って。
「個」の私を「全体」に預けること。
「何ものにもとらわれず」って。
とらわれている「私」をその都度明け渡すこと。
「自分を生きる」って。
個の私を超えた「いのち」の働きにまかせること。
それは、「神様の御心のまま」生きるということ。
亡くなった夫の「大丈夫だよ」。
その言葉に何度も背中をおされて歩いてこられた。
今はパートナーの「出来るよ」。
その言葉が私に力と勇気を与えてくれる。
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亡くなった夫とは、
彼が肉体を脱いだその日の晩からミディアムシップでコミュニケーションを始めた。
やり取りした言葉を綴った手帳は私の宝物だ。
今日、その手帳を久しぶりに手にとった。
2018年2月から時間も経って感じることも変わってきた。
「私は何も失っていない」
「私は何ひとつ失っていない」
…そうだね、と今は言える。
何も失いようがないのが私達だから。
「常に大いなる存在をいつでも感じながら生きていける」
「自分が愛そのものであるという意識が圧倒的な存在として自分の中で拡大していくし、
流れ込んでくる」
…それでしかないことを体験したくてここにいるんだね。
「自分で探さなくてもいいんだよ」
「必要な全て…人も機会も時間も必ず揃う」
…奇跡としか言えない沢山の出逢いの中、生かされていることを実感している。
そして、繰り返し繰り返し訪れた…。
「大丈夫だよ」
「絶対に大丈夫だし、安心だし、安全なんだよ」
…あぁ、そうだった。
本当に大丈夫だった。
どんな時も大丈夫だった。
そして、毎日のように続いたやり取りも、
ある言葉を最後にほとんどなくなり、私自身も書きとめることをしなくなった。
「自由に羽ばたいて
何ものにもとらわれず自分を生きて
本来あなたの魂はそのように決めてきたのだから」
(2018年6月26日)
自由ってなんだろう。
何ものにもとらわれないって、どういうことなんだろう。
自分を生きるってわからない。
そんな想いを抱えながら来たけど。
「自由」って。
「個」の私を「全体」に預けること。
「何ものにもとらわれず」って。
とらわれている「私」をその都度明け渡すこと。
「自分を生きる」って。
個の私を超えた「いのち」の働きにまかせること。
それは、「神様の御心のまま」生きるということ。
亡くなった夫の「大丈夫だよ」。
その言葉に何度も背中をおされて歩いてこられた。
今はパートナーの「出来るよ」。
その言葉が私に力と勇気を与えてくれる。