魂のロードマップはあなたの中にあります

本当は毎日生まれ変わっているのが私たち
いつだって限りない可能性の光が満ち溢れている

本当は「今」しか生きられないのが私達

2022年09月27日 | 目覚め
Facebook、2022年4月22日にあげた記事。


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私はずいぶん長い間。
自分を「可哀相な人」にしていたなぁと…フッと思った。

で、次に浮かんできたのが。
「可哀相な人」なんて、どこにもいなかったということ。

文字にすると「…で?」と言いたくなるけど。
「終わっている」という感覚。
(過去の出来事として終わっているという感覚とは違うもの)


何が?

…これまでの全部。


唐突過ぎるし、言葉にすると、ますますわかりにくいけど。
本当に「今」しかないということと。

本当は「今」しか生きられないのが私達なんだなぁということ。

「今」には不安や後悔もないし。
「今」には期待や焦りもない。


様々な感情って、過去や未来に意識を向けた時に出てくるもので。

「今」には本当に何も無い。
「私」すらいないんだ。

これが、突然静かに起こった。


自分の中でこれまで大きな出来事、
あるいは大変な出来事だと認識していたことに対して。


私個人の経験という感覚が消えてしまって、
ちょうど舞台の緞帳が音もなく降りてくるようだった。

覚書として。


気づきという贈り物

2022年09月27日 | 目覚め
Facebook、2022年4月22日にあげた記事。

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色々なところで話しているから、既にご存知の方も多いけど。

なんか食べた、とか🍰
どっか行った、とか🌸
ジジかわいい、とか😺

そういう記事は別として。

メッセージの趣きが強いものは、だいたい突然湧いてくることがほとんど。

お風呂に入って「ぼーっ🤤」としている時とか。
乗物の移動で「ぼーっ🤤」となっている時とか。

寝入りばなに😪、ワンセンテンスだけがフッと来る時もある。

要するに、あれこれ考えていない時。


なので、

「へ(今?)💦」
「ちょ、ちょっ、(待って〜)💦」

となる。


満ちているところから、自然と溢れ出すような感覚だから、
もちろん待ってくれるものなどではない。

溢れてきたものは、空を舞う風花のようで、
淡く消え入るような繊細さを含んでいることが多い。

だから、すかさずハシッ!とスマホを手にとり。
音声録音するか、入力するか、をしている。

短いものだったとしても。
その時ばかりは記憶する領域が機能してくれず…全く覚えられないから。

セッションの時は、私がぼーっとしていないということと。
私とクライアント様の2人の共同創造になるという点が違うだけで、あとは同じ。

それが、パートナーといる時も似たようなことが起こる。

自分の中の拡がりを感じながら、ただ湧き上がるものを味わっている。

そこにとどまるものではなく、
また拡がりの中に消えていくような感じで、言葉に出てしまう。

「今、こんな風に感じた」
「今、こんな風に思った」

と言っても、肯定してもらう為とか、理解してもらう為というより。

伝えたくなったから、というほうがしっくり来る。


それに対して、相手がどのように解釈して、何を感じるかは私にはわからない。
わからないけど、そのような想いで伝えると…。

そこからさらに拡がる世界を体験させてもらっているし、
気づきという贈り物をもらっている。


「愛に戻る」ためのそれぞれのストーリー

2022年09月27日 | 目覚め
Facebook、2022年4月21日にあげた記事。

昨日は、朝から出かけていたのですが、久しぶりに遅い帰宅。
でも、素敵な出逢いがありました。

それまでの概念が覆されるような体験は、
またひとつ自分の可能性の扉を開いてくれるきっかけ。

その流れで、今日ここにあげる記事をあらためて読んでみると
まさに「出会いという贈り物」のことを記していて、
大きな流れを感じます。

年末にかけて、また大きく変わっていきそうです。


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この箱の中には、あなたへの大切な贈り物が入っています。

そんな風に言われて目の前に差し出されたら。

緊張しながらも、好奇心と期待で箱を開けることが出来るかもしれない。


でも、贈り物はあきらかにそれだとわかる形で来ないこともある。

一体何が入ってるかわからないものを差し出されても。

不安と恐れで触れることすら出来ないかもしれない。


この世界は時間という概念があり、
その中で「愛に戻る」為に、それぞれが誰ともかぶらない…
それぞれのストーリーを体験している。


自分でも想像出来ないような「何か」があって。
それが自分が求めている世界で。
その為に必要な出来事が贈り物としてやってくる。

ヒトを介して。
モノを介して。

とてつもなく大きなものであれば、足がすくんでたじろぐかもしれない。

些細なことにしか思えずに、見過ごしそうになることもあるかもしれない。


パズルのピースに例えられるけど、完成させることが目的ではないと思う。


その過程を愛しながら進んでいくと。

目の前にあらわれる景色を見ているのは
自分だけじゃない…ということがわかってくる。