Facebook、2022年4月22日にあげた記事。
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私はずいぶん長い間。
自分を「可哀相な人」にしていたなぁと…フッと思った。
で、次に浮かんできたのが。
「可哀相な人」なんて、どこにもいなかったということ。
文字にすると「…で?」と言いたくなるけど。
「終わっている」という感覚。
(過去の出来事として終わっているという感覚とは違うもの)
何が?
…これまでの全部。
唐突過ぎるし、言葉にすると、ますますわかりにくいけど。
本当に「今」しかないということと。
本当は「今」しか生きられないのが私達なんだなぁということ。
「今」には不安や後悔もないし。
「今」には期待や焦りもない。
様々な感情って、過去や未来に意識を向けた時に出てくるもので。
「今」には本当に何も無い。
「私」すらいないんだ。
これが、突然静かに起こった。
自分の中でこれまで大きな出来事、
あるいは大変な出来事だと認識していたことに対して。
私個人の経験という感覚が消えてしまって、
ちょうど舞台の緞帳が音もなく降りてくるようだった。
覚書として。
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私はずいぶん長い間。
自分を「可哀相な人」にしていたなぁと…フッと思った。
で、次に浮かんできたのが。
「可哀相な人」なんて、どこにもいなかったということ。
文字にすると「…で?」と言いたくなるけど。
「終わっている」という感覚。
(過去の出来事として終わっているという感覚とは違うもの)
何が?
…これまでの全部。
唐突過ぎるし、言葉にすると、ますますわかりにくいけど。
本当に「今」しかないということと。
本当は「今」しか生きられないのが私達なんだなぁということ。
「今」には不安や後悔もないし。
「今」には期待や焦りもない。
様々な感情って、過去や未来に意識を向けた時に出てくるもので。
「今」には本当に何も無い。
「私」すらいないんだ。
これが、突然静かに起こった。
自分の中でこれまで大きな出来事、
あるいは大変な出来事だと認識していたことに対して。
私個人の経験という感覚が消えてしまって、
ちょうど舞台の緞帳が音もなく降りてくるようだった。
覚書として。