9月頃から、私の意識の中で大きな変化が起こり続けています。
日常生活においては、楽しいことも嬉しいことも、時には大変なこともあり、
また年内いっぱいでお別れをする会社に対しても、振り返って様々なことを思い出したりも。
ただ。
日常にあらわれる表層的な部分とは違う場所で。
もっともっと、ずーっと深いところで
「何か」が目覚め、うねり、叫び、ゆっくりではあるけれど力強く躍動を始めている…そんな感じ。
そして、その「何か」は、最も近くにいる夫との関係に色濃く反映されていて、
「人」と「人」との繋がりの強さ、面白さ、不思議さや、優しさなどを夫婦という形の中で
見せてくれていることに、宇宙の計らいを感じるのです。
また、長年ご縁を持たせていただいているクライアント様との間にも、
まるで奇跡のような「繋がり」の力を感じることが起こり、
ただただ…感謝の想いで佇むような時間を経験させていただきました。
それは、人との繋がりにとどまらず。
「もの」との間でも、「奇跡ですね」と言われるようなことが繰り広げられ、
今までとは違う時間の流れすら感じました。
長い間、私の中で「欠けている」と感じていた部分。
その「欠け」を埋めようと探していたけど、見つからないと思っていたもの。
でも、それは、自らの手の中にちゃんとあったんだという事を、
人との繋がりの中で教えていただきました。
生まれ変わる…と言っても、全く違う「私」になるのではなく、
いらなくなったものを脱ぎ捨て、また脱ぎ捨て、さらにさらに本質に戻る移行期間だったのかなぁと。
大きな大きな集合意識の中から仲間たちに見送られて、
「行ってくるね」
と、母の胎内に宿りし時より「私」という物語を紡いできたけど、
ここに来て、故郷でもある集合意識との繋がりをハッキリ思い出すようになってきました。
「生かされている」私という存在。
「これでいい」という感覚。
そして。
「全ては繋がっている」という宇宙の法則。
「私」は「私」。
それ以上でも、以下でもない。
でも、間違いなく…無限に広がる宇宙の片鱗であること。
だからこそ、「私」の可能性を信じられるし、広げていくことが出来る。
そう。
変わる必要はなかった。
何かを加える必要もない。
本当に思い出すだけだった。
日常生活においては、楽しいことも嬉しいことも、時には大変なこともあり、
また年内いっぱいでお別れをする会社に対しても、振り返って様々なことを思い出したりも。
ただ。
日常にあらわれる表層的な部分とは違う場所で。
もっともっと、ずーっと深いところで
「何か」が目覚め、うねり、叫び、ゆっくりではあるけれど力強く躍動を始めている…そんな感じ。
そして、その「何か」は、最も近くにいる夫との関係に色濃く反映されていて、
「人」と「人」との繋がりの強さ、面白さ、不思議さや、優しさなどを夫婦という形の中で
見せてくれていることに、宇宙の計らいを感じるのです。
また、長年ご縁を持たせていただいているクライアント様との間にも、
まるで奇跡のような「繋がり」の力を感じることが起こり、
ただただ…感謝の想いで佇むような時間を経験させていただきました。
それは、人との繋がりにとどまらず。
「もの」との間でも、「奇跡ですね」と言われるようなことが繰り広げられ、
今までとは違う時間の流れすら感じました。
長い間、私の中で「欠けている」と感じていた部分。
その「欠け」を埋めようと探していたけど、見つからないと思っていたもの。
でも、それは、自らの手の中にちゃんとあったんだという事を、
人との繋がりの中で教えていただきました。
生まれ変わる…と言っても、全く違う「私」になるのではなく、
いらなくなったものを脱ぎ捨て、また脱ぎ捨て、さらにさらに本質に戻る移行期間だったのかなぁと。
大きな大きな集合意識の中から仲間たちに見送られて、
「行ってくるね」
と、母の胎内に宿りし時より「私」という物語を紡いできたけど、
ここに来て、故郷でもある集合意識との繋がりをハッキリ思い出すようになってきました。
「生かされている」私という存在。
「これでいい」という感覚。
そして。
「全ては繋がっている」という宇宙の法則。
「私」は「私」。
それ以上でも、以下でもない。
でも、間違いなく…無限に広がる宇宙の片鱗であること。
だからこそ、「私」の可能性を信じられるし、広げていくことが出来る。
そう。
変わる必要はなかった。
何かを加える必要もない。
本当に思い出すだけだった。