微分幾何学が,例えば,Gauss- Bonnetの定理のように,微分可能構造と量子化の対応というような,指数定理的な結びつきの現象の観察の場であるような感じがしてくる.そのような観察の嚆矢は,オイラーということになるのだろう.あるいは,そういう研究の流れを,伏線として織り込んでいる感じなのだろうか.おそらくそうだと思うのだが,素人にとっては,泥沼である.しかし,数学科のテストで,Gauss-Bonnetの定理について述べよという問題があったとき,微分構造と量子化を結びつける指数定理のことであると解答したら,論文なみの証明でも持ってなければ,ペケになるだろうが,私はその感を捨てがたい.そこは,素人の自由でいいところである.
「大道廃、有仁義。慧知出、有大偽。六親不和、有孝慈。国家昏乱、有忠臣。」(老子)
数学も,こういう逆説ぽい教訓と通じそうな感覚も抱かせるが,「リーマン予想!!」とか禅問答的に答えたら,面白いことになるだろうか.
またまたノーベル賞シーズンがやってきた.医学・生理学賞は日本人研究者大隅教授に決まったそうである.オートファジー(自食作用)の仕組みを酵母を使って解き明かした功績らしい.私は,細胞が,オートファジーなどの仕組みを使いながら,リプログラミングしたり,あるいは,遺伝子とエピジェネティクスな制御を行ったりしているのじゃないか,そういう働きを備えているのじゃないかという視点につながるから,受賞に至ったのではないかと想像する.物理学賞は,超電導の理論を作った功績に対して,化学賞は分子機械を作成した功績に対してということだが,同じような意義が隠されているのかもしれない.素材とか物性とかだけじゃなく,例えば宇宙論とか生物系とかの新たな発見につながるとか.非自然科学系の部門は,日本人の器が小さいから,どうでもいい感じである.医学生理学系も,科学研究として尻すぼみしないように,よい研究を進めてほしいものである.非自然科学系の器が小さくなる原因の一つには,自然科学への対峙の仕方が,結局,流れ任せで,自分のことだという引き受けを避けるポーズに終始する,アメリカの真似っこがはびこっているからということもあるのであろう.御本尊のアメリカからもガキ扱いという感じだろうか.ノーベル賞は,オリンピックじゃないから,間接的な原因ということになるだろうか.これも,ノーベル賞とは全く無縁な,素人の楽しみ方であるはずである.
ミスコンにしろ二重国籍にしろ,ちょとジーパンの一般の女学生とは違うのよとか,無国籍とは真逆のゆとりなのよということなのだろうか.ゆとりとミスコンとか,ゆとりと二重国籍とか,やはりちょっと嫌味な面があるのだろう.ゆとりが悪いかどうかではなく.私はミスコンなど見たことないし,無国籍なんだと言っていたオヤジと出会ったことはあったが,二重国籍なんだという人にはあった記憶がない.無国籍の人を多国籍にして,二重国籍の人をフリーの女子アナにすれば,バランス取れるかもしれない.バランス大事だから.
東京オリンピックや豊洲市場の問題にしろ,原発問題にしろ,問題点は,おそらく多くの人が,およそ想像のついているところだろうが,どこが,どういうプロセスで,問題への対応を動かしているのかわからないということが,不透明感につながるというのだが,要は,もっと単純なことで,問題を問題として考えられるような人間には,関与してほしくないという,ナワバリ業者もどきが横行しているだけの話じゃなかろうか.オリンピックも利権だろうし,利権村のいい子が後々待遇がいいからとか,豊洲も,大企業への便宜におもねる方が何かと優遇してもらえるかもしれないからだろうし,原発も,旧利権の砦のような部分もあるだろうし,それが,案外と,思わぬところまで根を張っているということもあるからだろう.そいう体質のところは,東京には意外と多いわけだから.東京の奇妙な,田舎より田舎臭い,のぼせチョン体質のような面に,森喜朗とか,政治家がべったりくっつくというようなことは,大学の中にもあるのじゃなかろうか.有識者でも,まともな有識者は邪魔なだけなのである.ポピュリズムがどうだというが,ポピュリズムに担がれて,メディアの論客ぶってるやつとか,文化人ぶっているのが,日本では,王道なわけだから,変な話である.石原元都知事のようにボケをカミングアウトする方が正直といえば正直である.東京はボケだらけだから.アメリカの言い分も,日本ではボケ業界のやらせの飯のタネ程度にしか伝わらないのである.
中根千枝,多分,名誉教授は,電車であぐらかいていたおばさんとして,昔見かけたことがあったが,皇族の学友かで,昭和天皇の弟の皇族と知り合いらしいという記事があったが,どういう風に,東京という都市を見ているのだろう.どうでもいいことだが,東京で,有名人を何人か見かけたことがあったが,テレビで見るようには見分けにくいから困ったものである.新宿でも,風俗のオネエちゃんなのか芸能人なのかわからないが,オーラを発散させていた娘たちを見かけたが,どっちなのか今でもわからない.
有識であってはならない有識者,問題をまともに取りあつかってはいけない意思決定,それらが,透明化されたりしたら,東京が,否,日本が崩壊するとおそれる,ヤーチョン業界東京という感じだろうか.「幽霊の正体見たり枯れ尾花」というが,「ススキとは知りつついまは霊と舞う」という感じに便乗している面も多いのだろう.
「崩壊」とか「霊」という言葉を散りばめると,「死」のイメージにつながるのだろうが,例えば,細胞のようなコスモスにおける「死」とは,どういうものになるのか.機能を不可逆的に喪失して,そうすることで,「再生」と融和する関連相みたいな感じになるのだろうか.死が蘇るその変革のあり方を見極めることが,国でも都市でも,社会でも,忘れがちなのだろう.つまりは,虚ろな生を口実にして逃避する.経済でも政治でも,それに対する危うさが,未来に希望が見えないという評価の底流にあるのかもしれない.
``Foundations of Differential Geometry''の第1章をザーッと訳してみたが,素人訳だが,多少は時間の節約になるくらいの役には立つだろう.各巻(I, II)に補遺と注記がついて,最終章,第12章特性類までの最初の一章だけだが,結構疲れた.細かい検討は,手持ちの,シュバレー『リー群論』とか,小林昭七『曲線と曲面の微分幾何学』,『数学辞典』など見ながら,ゆっくり考えることにする.
折れ曲がったところを持つ曲線を考えて,戯言的な図を作ってみた.作図ソフトで遊び感覚でいじくってできた図である.(ramification,分岐)から,Ramiちゃん図と名付けようと思う.
だんだん重要な話題になっていくのだろうが,全部訳し切らないと終わらなくなるので,一応ここらで.何故か,こういう本の日本語訳は,ネットで探してもなさそうなのだが,たまにそういうことがある.いろいろな新しい分野での展開とか,現在進行形の問題もあるからなのかどうなのか.そういう冒険は,あまりしたがらない傾向があるのかどうか.日本国憲法改正のように,出どころも判然としない改憲必要論のようなことはよくないが,学術書は少し冒険してもいいような気がする.
憲法自体の改憲の議論の必要性と,改憲論の必要性は別事である.自民党の改憲草案自体,おちゃらけ編集であることは少し読めば誰でもわかるわけだから.反日中韓うるさ方の描いた草案ではないかと疑わせる程度のものである.都議連も裏に反日中韓うるさ方ゼネコンでもいそうな構図らしい.そんなのばっかである.日本型大企業体質が反日中韓ルート依存だからだろうか.例えば,アメリカの大国のおごりという現実主義と日本の特殊性という理想主義というように話題をすり替えて振ることもよくあるが,そういうミラーイメージには,日本国憲法の普遍性を過小評価しようという思惑がつきものである.議員が皆な節操なしなお調子者であるというのではないが,わかってはいてもというのがのさばっている現状があるということなのだろう.
情報公開が進まないのは,反日うるさ方ゼネコン筋のが慣習体質に溶け込んでいるからなわけだろうし,そういうのは地下に潜るようにまで改まりにくいからなわけだろう.そういうのを日本人の体質というふうにすり替えて,オブラートに包むのがその筋の体質なのだろう.国会議員や都議のホステスとの甘い密約が情報公開を阻む現場なのではないかという,案外ちゃちな問題なのかもしれない.「あのクラブのママ知らなきゃ,業界では,もぐりだ」的な情報公開から進めればすぐ片付くかもしれない.スマホの「BBの岩男」が,マンションあてがったホステスに直通とか,そういうのあてがわれた議員やゼネコン幹部の情報非公開ということなのではなかろうか.情報公開もほとんど+18の様なことだらけかもしれない.+18になれば理性的に判断できるから+18なのだろうが,±18になるのも男というものである.そうでなければ,情報公開など騒ぐ必要もなく満たされるわけだから,騒がれても満たしたくないということ以外に考えられない.満たしたくない方が善玉的なうるさ方の有利な立場を擁護したいという,ことなかれゴマスリ連中がいるのだろう.韓国由来の大阪経由風俗ビジネスの系譜がメディア体質というものではなかろうか.利権を握ったら離さない的な記者クラブとか.問題になるのは,そういうことなわけだから,やはり,腐食した体質面の問題だと思うが.情報を伝える努力も好まれない体質ということだから.調子こいた話である.お抱え秘密クラブの疑心暗鬼の枷を頼りに,どうせ大して考えもしないのに,論客ぶろう的なのではなかろうか.
原発事故後の0か20%かどうかというような問題も,結局,やらせメールのように,仕込み手配業者頼みのデータ捏造やらせみたいなものだから,そういう情報操作が蔓延しているのだろう.そういうことにのっかかれば,名誉教授も手に入る的なのがのさばっているのも事実だろうし,そうであれば,日本の常識は世界の非常識的に活力を削ぎながら,滅びていくことになるじゃないか.論文の再審査以前の問題が実態ではなかろうか.築地も小巣鴨刑務所増設に利用すればいいのではなかろうか.その程度のことだし.根がつまらない国の装飾では,感動は生まれない.オリンピックもなんかそういう面をごまかしながらという雰囲気が漂う感じである.たるく利権詐欺でやり過ごそうてきな森体質が受けが良かったが,ちょっと節操を欠きすぎて寝た子を起こしてしまった感じの.私は,別に,潔癖主義ではないが,少なくとも利権詐欺便乗はよろしくないだろうということで判断するのだが,そいうのがちゃちくのさばるような演出が目立つ世の中である.オリンピック東京開催は返上して,フィリピンに譲るための密約とかに森氏も路線を変更すれば理が一貫するのではなかろうか.いくらか銭もころがりこむだろうし.
条件を満たすような分割ができて,そのもとで各部局部局が独立に扱われるというようなことに,制限がなくなって,形骸化したものが「縦割り」ということだろうから,情報公開問題も,情報としての価値を喪失して形骸的になったものだろうから,縦割りの弊害と情報公開の阻害はセットの問題になるわけなのだろう.「弊害と阻害」というセットなわけである.情報を阻害する癖が横行する都市が今の社会とりわけ経済社会の情勢に合うはずがないという道理になるのだろう.そういう指摘も以前から散発的にあったように記憶しているが,深まらずに棚上げだったのだろう.そういう問題処理のお手本を示せるかどうか,体質が体質だけに心配な面が多いのだろう. 情報細胞が死んでしまって,形骸だけがはびこるような状態になってしまっているという感じだろうか.情報量がどういうケースと一致するか,シミュレーションしてみるとか.AIに聞いてみるとか.漸近的自由性を解析するとか.確率論や情報科学に関わる応用としてみれば,昔ながらのオヤジ体質的な問題ながら,今時の連中にも少しは興味がわくのではなかろうか.情報量というのは,大雑把に言えば,情報に仕込みを入れた時,情報がどれだけその仕込みの影響を受けるかの目安となる量ということなわけだから,政界のドンというのは,できるだけ影響が大きくなるような様子の代名詞ということになるが,何も新しい情報は生み出さないということでもあるから,活力を失うことになるわけである.情報量を式で書けば,
ここで,イプシロンはベータという試行を行った時の結果の曖昧さを示すエントロピー,また添字付きのは,試行αが実現した時の試行βの条件付きエントロピーである.I(α,β)はαに含まれるβの情報量と呼ばれる.と,『行動科学者のための・・・』に書いてある.エントロピーが0ということは,試行の結果が最初から分かっているということだから,例えば,ある実験しても何ら新しいデータは出てこないということがはじめから分かっているということなわけだが,不必要ということではなく,正しく使えということなのだろう.
フーリエ級数あるいはまたフーリエ変換は,t=t(s)の変換を技術的にdt/ds=κ(曲率)に帰着する手法という感じなのだろうか.
文系の人間にとっては,変換の理論などは,理工系の肝ぽいもののように感じるが,理系でも理解不安定な公式の集まりのようなものだから,いろいろと口実に使われているのじゃないかと思ったりする.公共事業など絡んで,都庁の組織詐欺を企むような連中が出てくるのかもしれない.その媒介役が都庁のドンという役割なのだろう.だから,組織に溶け込んだ集団があるはずなのである.
私は魚も野菜も好物だが,東京は,ゼネコン癒着で,ベンゼンその他の化学反応ガス漬け市場をゼネコンの裏稼ぎの道具に使って,市場潰して一部の儲けに便乗しようという都民の合意があるが,一応騒ぐフリだけはしておこうてきなことらしい.ますます,境界なくそういう金儲けのやり口が横行しやすくなっていくご時世になるのだろう.すでにあちこちあるから.都知事が,豊洲の刺身をけんのカイワレと一緒に食って,都議も国会議員も安心してどうぞというビデオでもつくれば済む問題ではなかろうか.なんなら赤坂優先で.麻生とか年季のある大物議員が裏でそう仕立てているとかいうことはないのだろうか.そういう背景が予感されるから,まっとうな話が通じないことになっていくだろうから,そういうの好きの騒ぎで終わらせようということになるのじゃなかろうか.コス黒バラのややっこさが夜の都会を彩るおとなのおままごとである.麗華ちゃんは悪くないが,オヤジ連中が悪い.
共産党都議団の依頼した豊洲地下水の分析で,ヒ素が基準の4割程度検出されたというニュースがあったが,Wikiには,ヒ素が放射性元素の化学的な除去の仕組みよろしく,リンと置き換わるから有毒な化合物となって,急性また慢性的な症状を引き起こすらしい.もちろん,正確なことは,専門家の意見を聞くべきだろうが,リンは生命活動や知性の発達などに不可欠な微量成分なのだろうが,旨み成分でもあるわけだろうから,ヒ素で置き換えれば,中トロが大トロになる効果があるのだろうか.だから,市場関係者も産廃跡地を望んだということだろうか.若い娘に1かん1万円の大トロおごったら,若い娘(こ)から,おじさまはこちらのヒ素置換のをどうぞとお礼されるような,ブームができてバカ売れするかもしれない.
有毒物質とか有害物質とか理科系の問題の絡むとき感じるのは, 理科の専門知識が生かされずに,いわば,ペーパードライバーのような発言が横行するということである.例えば,豊洲市場用地の検査は,長年,誰も知らされていないから,地下空洞だの,地下水か雨水かだの騒いでいるのだろうが,汚染の除去は問題ない的な場当たり的な根拠に依存して早急な判断が優先する.と言っても,これから十分な検査・調査を行うということだから,無責任な外野の世論誘導メディアが話題つなぎでやってるのかもしれないが.リトマス紙だけでわかることは限りがあるだろうが,リトマス紙さへ使ったことのない専門家の判断なんてのがのさばるのが,メディアというものなのだろう.そういう歪みを理系に感じる.私に理系の歪んだ圧力は効かない.理系さっぱりだから.石原元都知事の指示が言われるが,結局,石原元都知事も理系知ったかぶりを利用されて,ことなかれ大手企業裏ビジネスに乗せられたという話ではないのだろうか.理系がそういうものだとすると,利権ことなかれで,天気予報や地震予知も怪しくなるが,そういうことへの科学の側の危機意識が希薄になる流れが,国際的にあるからなのだろうか.外国からの来賓に微量のヒ素食材をというプチIS活動家養成国家になればいいのかもしれない.犯行が紛れてあしつきにくいだろうから.選手村に汚染土壌をとか.オリンピック関連跡地の利用に汚染拡散裏ビジネスをとか.都はそういうのやりかねない伏魔殿なわけだ.業者の裏知恵と欲ボケが正体みたいに感じるが,それを言いづらい雰囲気が伏魔殿たる所以なわけだろう.
豊洲市場の地下空洞を「モニタリング空間」と技術畑は呼んでいたという記事があったが,どう考えてもちょっと皮肉を混ぜた隠語を作ったという感じだが,だから,検査するつもりだったんだなんてことを正当化しようとしても,実は,検査もしないための口実作りじゃないかという疑いが強い.まあ,そういう事情も忖度されるから,そんな呼び名を使っていたんじゃなかろうか.豊洲移転という事業がそういう流れに傾いているという感を強くしていたということではないのだろうか.そうなれば,形骸化の中で責任を漂流させられるから,市場の現場や消費者に丸投げして,利だけぬけるという,利権便乗が生じるのだろう.理工系がらみは,もちろん理工系の知識が必要なことはわかるが,こういう感じの俗に言うプッツンマギラカシが多いのか.いっそ,公害等の経過を調べる特区にして,そのノウハウを提供するサンセク事業にするとか.
現時点での報道でわかりにくいのは,化学反応式(反応物質とか生成物質とか反応熱とか,触媒とか)や含有量だとかさっぱりだから,アンモニアとセメントなのか,他の廃棄物との反応でアルカリなのか,海水が地下水に混じって自然界の,特に海水のヒ素含有量程度なのか,そういうデータの背後にどういう事実が確認できるのかなど,系統的な説明がないという点だろうか.政治的な問題では,つまりは,大手ゼネコンに責任はないというシナリオを宣伝するのだろうから,チャチイ問題である.大手ゼネコンに責任はない.都と都民だけに責任がある,という建前で無駄を省いておくことにするとか.モニタリング空間と貯水槽だと別物のように思うが,両者のいいとこ取りで決着とか.そういうことを,情報を公開しながら,明らかにしていくということだから,それはそれでいいのだが,ヒ素で暗殺のように騒ぐのは,大奥とかロシアぐらいのものだろうから,そういう意味のパニックは日本ではそう心配いらないだろう.都にしろゼネコンにしろ,都民がバカですぐパニクってもらいたいという願望があるのではなかろうか.仮想シナジーとか.しかし,要は,今のところでも,リトマス紙だの地下水だのアンモニアだのが,取り返しのつかない背景につながっている可能性も排除できないということなわけだから,ごまかすことなく,情報公開で,よい判断をしてもらいたいものだということである.私の興味で見方が偏っているかもしれないが,私は,そういうところに興味を持つ.そういえば,たまり水の温度とかは関係ないのだろうか.
重機の搬入が地下空洞だのどうだのという話らしいが,映像で見た感じ,小型のショベルとかしか入らない感じだが,何を議論してるのかわかりづらい.東京の表ヅラと裏のガキチョン体質がそういうヤラセを横行させているのだろうか.将軍のお膝元というより悪ガキ旗本体質とか.ヤクザ連合体質とか,都政を登りつめるには腐れ縁が出来てくるとか.ネックとなっているのだろうか.
★macOS Sierra (ver. 10.12) Sept. 21, 2016導入
siriに話しかけたら,意味がわからないと言われたこともしばしばあったが,「You are welcome.」と言ったら「とてもpoliteだね」と褒められた.なかなかコツをつかむのが上手な人工知能なのだろう.
スーパー・クマムシくんが,STAP現象らしき特性を持っていたというニュースがあった.STAP現象とかいうと,どっかのインチキ科学ジャーナリズムあるいはそれもどきが火消しにかかるムードがあるらしいが,酸に対する耐性とかあるとSTAP,火消ししなきゃとかいう類のがいまだいるらしいから.科学らしく検討していけばいいはずじゃないかと,私は思う. エイリアン赤ちゃんを遺伝子操作でつくちゃおうとか食材をいじくろうという話になれば,倫理的な問題も生じるだろうが,基礎研究らしい観点で解明していく段階なのだろうから,考える材料として見ていけば,馴染みの薄い,細胞だのDNAだのの科学的研究における姿が垣間見れるかもしれない.コンタミ疑惑とかいうので,細胞膜か核膜のような問題は,細胞接着にからめて,検証チームの会見で述べられていたが,やはりもっと何か,分子レベルとか,あるということだろうか.専門家の含みみたいなことだろうから,素人には感じしかわからないのだが,一般的には,こういう成果が,例えば,エピジェネティックな,運命決定の文脈依存的な書き換えというような問題の解明へ貢献する科学的なつながりとか,そういうふうに見ていくしかちゃんとした解説も期待できない社会情勢だから.
ipsだとか若山教授の再現だかとか,ニュースで聞いた当時は,その成果の意味も真偽も半信半疑だったから,他人のことは言えないが,それにしても,STAP攻撃らしく見せかけている連中のやり口は,ヤクザの使いっ走り的なチンピラもどきが多くてわけわからない.私は,そういう連中とは逆に,STAP研究は意義が深いとますます思えるようになっている.小保方さんが嘘つきだなんてのは,どっかの評論家が,文脈不明で印象づけしよう的に感想ぽい話で言ってたことを,ガキチョンの拡散メガホン屋連中が,信じ込まされているだけの話であって,私は,虚言癖的な印象は受けない.嘘つける状況でもないことぐらい分かりそうなものである.
小保方さんES細胞窃盗説とか虚言癖説の経緯を思い起こすと,夢見心地のようなことをいうような感じがあったという友人か誰かの話から始まって,果ては,監視カメラで窃盗現場を確認しているのだから,小保方さんが窃盗したのは既定事実のような話をメディアも垂れ流していたが,容疑者不詳で神戸の警察が調べたら,窃盗事件の存在さえ疑わしいということで不起訴になったという経緯な訳だから.元理研の研究者が,そういう経緯を盾に告発したのかどうかは,それだけではわからないが,少なくとも,世評は小保方さんが捏造を仕組んで,それを隠すためにやったんだ的な決めつけの雰囲気が強かったのだろうから,個人に対するひどい仕打ちである.メディアにすくって犯罪者仕立てよう的な犯罪である.そういうヤクザメディアがSTAP研究攻撃を牛耳ろうなどというのは,カルトと極左運動のやり口のような文春ぐらいにしておけばいいのである.小保方さんがどういう人間かは私は知らないが,ヤクザメデイアの違法な攻撃受けた被害者であることは間違いない.文春や同類のその他は賠償するべきである.
もちろん,STAPに否定的でも構わないのだが,無責任な否定論は害悪である.STAPの科学的な真偽以前に,ガキチョンつながりのなんたらみたいなのが,盛んに,STAP攻撃しているらしいが,通販CMのアルバイト一般人じゃないのだから,そういうの前提のやらせSTAP騒動は,よくない.私と同じような,ど素人だけのSTAP攻撃を誰が面白いと思うのだろうか.Nature誌にでも,論文掲載されたような連中でもないことはもちろん,勉強しているのかどうかも疑わしい言いぶりが目立つ感じである.私は,ど素人だが, STAP研究は学問的に面白い研究じゃないかと思っている.