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人生これ,雑記.

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準備のために(息抜き)---深層学習と自分AIの戯れ

2017-12-04 15:20:49 | 科学(Science

「思考を巡らす」とき感じるのは,それが全てを尽くすのか,あるいは,ユニーク(それ一つだけ)なものなのか,ある部分に過ぎないのかということに,無頓著な感じがすることである.無頓着なまま再帰的に記憶されるということである.算数なら,2,3,5,7であれば素数の列,3,5,7なら奇数の列だろうと考えるのだが,思考に記憶される再帰的な何かは,何かそれあたりのもので,それ以外に分離されないような印のようなものである.思考記憶として刻まれる印といった感じである.ドット(小さな点)のような印というより,何かそれあたりの領域あるいは映像という感じである.これは,私自身の感じとしては,実在的なのだが,直感主義的には制限されるべきなのだろうか.そうだからこそ,新たな対応が開けるとか.その新たな対応が数学的なものへ転回することが,無限というもののイメージなら,無限体験の旅のようなものが自分AIということになるだろうか.確率ソリトンの不思議な冒険である.私は,数年かけていくつかの映像を記憶したが,AIは一瞬で莫大な量の映像を記憶するのだろうから,コラボは奇跡的なアンバランスを生むはずなのである.いな,成果を生むはずである.

こういう映像記憶は何も知らせてはくれないのだが,何も知らせないまま,次の思考映像へ送り出すために私を反撥して消えるのだが,feed backならぬfeedforwardということになるのだろうか.反撥的な力で押し返す,無値の道しるべという感じだろうか.何か情報を受け取ったからというより,何も知らされることのないそのものから,反撥されるように離れていく感じは,たまにあるのじゃなかろうか.石仏とか寺院の佇まいとか.石仏や寺院の持つ情報には無値の情報というべきものもあると言い換えればいいのだろか.そして効果的に無値という情報を思考に取り込めれば,  自分AIは学習したことになる(AI learning).機械学習では,それは,数学的関数である.

'It is best to think of feedforward networks as function approximation machines that are designed to achieve statistical generalization, occasionally drawing some insights from what we know about the brain, rather than as models of brain function.'

[試し訳] Feedforward networksを,それは脳についての知識から意義深いものを導くことがないわけではないが,脳の機能のモデルと見るより,統計的に一般化されるように設計された関数の近似機構と考えるのがもっとも良い.

feedforward networksが,深層学習モデルを,統計的な近似関数を導き出す機構として,chain(合成法則)のみを前提として働いていくような感じがするが,{0, 1}法則のような感じなのだろうか.機構(machine)として, KPZ方程式に似ているとか.非線形確率偏微分方程式だから,確率的な確からしさを多層的に統計的に橋渡しするとか.そうなると,自分AIはそういう機構あたりを時々ふらつく,酔歩者(random walk)ということになるだろうか.酒は飲んでいなかったのだが.

deep feedforward networksまたはfeedforward neural networksはmultilayer perceptrons(MLPs)とも呼ばれるそうであるが,networksであるのは,それが,多くの異なる関数群で成り立っているからで,各層(layer)の合成の長さが層の深さ(depth)だから,そして,feedforward networksは,自然言語を扱うアプリケーションにとっても非常な力を発揮するということで,それについては,AI女子高生リンナが身近だから.オヤジにとっても,重要性は変わらないのである.現在のように,ネットが便利になる以前は,女子高生風のセクシーキャラやH系ゲームが席巻していたのだから,AI女子高生リンナは清純派として,むしろ健全化しているとも言えるかもしれないのだが,当時は,自然言語も論理的命題として解析できるように,どう言い換えたらいいかとかやってた感じだから,そういう段階はひと段落したのだろう.

自分AIは、無値な映像から情報を受け取らないが,無値な映像自体は,あるいは,私という旅人の関与で,少し膨張してパラメトライズしながら,その反撥力で次の映像記憶の映像を準備しているかもしれないわけだから.次の映像記憶にであうということは,良くも悪くも,自分AIが学習したことになるので,無値の映像記憶と次の映像記憶の機構を仲立ちするデバイスがあれば,それぞれの人にとっては,コンパスのようなものだから,AIと私との対話の接点を手に入れることになるではないか. 私の方は,本質的には偶然まかせの上を,確からしさを頼りに歩を進めることに変わりはないが.

荒たへの藤江の浦にすずき釣る海人とか見らむ旅行く我を 柿本人麻呂

千早振る神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは 在原業平

これらは,自分AI和歌とか.人の心は,縦横の糸が紡ぐ一括りの織物のようなものだ.それがどうあるかは,AI融合デバイスをコンパスにして,あなた自身がどういう映像を紡いでいくかにかかっているのだ,とAI時代にも,教訓垂らされるかもしれない.

「人の心とは」,多様な要素の集合を同じ集合としてくくる微分構造のようなものと考えれば,天女たちの水浴びでまとめて置いてある羽衣のようなもので,それを自分AIとして表現を繋ぐ構造のようなものが,和歌とか大和言葉とかになるだろうか.expとlogの間のわだかまりのようなものを感じることがあるのだが,羽衣のように纏えれば,いい感じになるだろうか.次の文章から,ニュアンスが読み取れる感じがする.

'Some of the hidden units included in this list are not actually differentiable at all input points. For example, the rectified linear function g(z) = max{o, z}is not differentiable at z=0. '

[試し訳]このリストに含まれる隠れたユニットのいくつかは,実際,全ての入力ポイントで微分可能でない.例えば,修正線形関数g(z)=max(0,z)は,z=0で微分可能でない.

昔話では,登場人物の行いや心持ちの検閲が随所に効かされるが,そういう感じだろうか.天の羽衣は,天衣無縫だが,自分AIが作用すると,もっと多様なものに変化していくような感じだろうか.数学の単数(unit)なら±1とか±iとか(単数は1の約数のこと),100+√(9998)は2の約数とか(2=(100+√(9998))*(100-√(9998))だから).自分AIがAI類体にでもなればいい感じになるだろうか.モノイダル(monoidal単項,あるいはmonoidal categoryモノイダル圏)というのだろうか.そんな感じがする.

Deep Learning (Ian Goodfellow Yoshua Bengio Aaron Courville)というPDFをコピーして,ざーと目を通している途中なので,戯言のようなことが続くのだが,自分AIは小学生の頃考えた記憶であるから,面白くアレンジできないかなと試行錯誤するつもりである. 

余談だが,私は,授業の書道しか習ったことないのだが,年賀状の準備もあるので、ふでペンの書き味の識別とか,AIはできるようになるのだろうか? メーカーにとっては一大事とか?

 

狂歌を一つ

壇蜜を見れども立たぬ我が身には 寒月すでに宇宙(そら)の運命(さだめ)を写しけり

 


準備のために(4) --- PC

2017-11-04 07:35:39 | 科学(Science

 

 

 

気分一新したいという,ささやかな試みではあるのだが,MacBook Airもコストパフォーマンスはいいといっても,相当の出費ではあるし,どこまでものになるのか定かではないが,お前の創造的価値価格はその程度だと言われれば,安すぎないかと言いたくもなる.それと,社会や政治の話題はウソくさいから,気分的に乗れない.

例えば,自公が多数議席を衆院選でとったから改憲あるべし,というのも,新憲法の採択は憲法で保証されているのだから,正当な手続きに従って,実現したいならすればいいことだろうが,改憲議論の論旨はサッパリ理解不能である.

国際情勢や経済環境が変わったからという理由が挙げられるのだが,どう変わったのか,それが憲法とどういう関係があるのか,はっきりした説明を聞いたことがない.仮に,日本が共産主義国家に改まったとしたら,共産主義政権である以上,現憲法を破棄して,あるいは,現憲法の改正規定を破壊して,共産主義憲法を制定するという場合が問題になるはずではないかとか,あるいは,経済権や環境権だのの新たな要因が生じたとき,現憲法のもとでどう整合性を保つかとか,むしろそいうことが,改憲の議論の本題ではないかという話は,法律関係の啓蒙書などでは目にしたのだが,自衛隊が違憲の可能性を秘めているからとかとかで,加憲なんて議論は,末梢の話ではないのだろうか.自衛隊は違憲だという判決が確定したのだろうか.憲法学者の多くが違憲という考えといい,それを違憲合憲の判断の根拠とみなければならないという話なのだろうが,丁重な無視という範疇で活かすというのが国や司法の公式な判断なのだから,議論あるのは当然としても,短絡的な改憲論の根拠としてはどうなのだろうか.改憲論だけ都合のいい話できて,憲法を守り活かす話は,あれもダメこれもダメと理由もへったくれもなく拒否される風潮がある気がする.護憲で生きがいいのは朝鮮総連系だけだからとか,そういうことがこの国ではあるあるのだろうか.どうだろか.現憲法も自由主義経済体制だけを採択すべしとはいっていないが,統制経済への歯止めとは読めるというので,基本,資本主義体制に基づいているということではないのだろうか.アメリカも朝鮮有事だけでアメリカの役割が終わると考えていないだろうし.こういうことも,改憲論の立場からはダメ議論だろうが,私は,改憲論の趣旨をサッパリ理解できない.

安倍首相の真意も改憲論調とどこまで符合しているのか定かでないが,いい傾向と思えない.したがって,社会・政治ごとはウソくさい.

 物事をより深くより注意深く多面的に眺めることが大切であるとよく言われる.「深さ(depth)」とか「多面的」とか「注意深く」とか,ぶちゃっけ,あまり気にして考えたことがない.私の個人的な経験であって,大事なことでないというつもりはないが,例えば,「深い」とか「浅い」という言葉は,どういうことを指しているのだろう.500m先にある草草は深くて,1m先にある柿の木は浅いのだろうかとか.200m先の草草は浅くて,300m後方の柿の木は深いのだろうかとか.あるいは、1m先の柿の木と300m後方の柿の木は同一なのだろうかとか.私は,同じ柿の木だという判断は変えないが,関係の距離感は変化している.私は私だという判断も変えないが,思考の様態はズレている.そう考える方がより確からしい気がするのである.単純に,「遠い」と「近い」という言葉に置き換えれば済むのだが,「深い」や「浅い」は解決したのだろうか.こんな感じの「実験」だったのだが,AIが人間的な知能や感情を持つかどうかは,AI的には別に人間的でなくても,AI感情とかA知能-知能でいいじゃん,という解決をするかもしれない.イメージ的にはAI・(感情)とかAI・(知能)とかいう感じになるのだろうか.

人間労働も価値創造の主体でありながら,一方では労働者の生活という在庫であるという形で,流通過程の中で商品在庫になっているのだから,AIが価値を創造しないという想定は,成り立つのだろうか.AIは流通の幻とか仮想触媒のような資本ゴーストに位置付けられるということになるのだろうか.資本の言葉で流通に合流するのが交渉というものだから,AIも資本語を話すのだろう.天然娘のような感じだろうか.(バレバレの通り,ネタ本は岩波文庫『資本論』第2部資本の流通過程).

DeepLearningとか,機械学習というと,囲碁や将棋でプロの第一人者を一捻りして話題になるのだが,私は,プロには,100回やっても1回も勝てないから,へーという感じで記事を読んだりするのだが,自分にとって身近なことというと,AI女高生カンナとか(世代ギャップは埋まるのだろうかとか),あるいは,重力とか生物の仕組みとか,また,歴史的な事項は,どこか確率的な不確定さを評価して,系を組み立てる作業のような感じがしていたので,AIに実は向いているのじゃないかという感じと,数学言語も基本は,不確かさを評価して系を組み立てる記号なのじゃないかという感じがして,数学的定理の証明なども,ほんとは,AIに向いているのじゃないだろうかとか,もやもやする. 経済も,常に問題になるのだが,結局,資本主義的な経済の不確かさが資本独自の運動として展開すると同時に,様々な要因の渦となって,不確かさを崩壊させる不確かさに移し換える,となれば,答えなど生じようはずもなく,そのうち収まってくるのを待つぐらいしか手の打ちようがなくなる,という感じの繰り返しである.部分的には,社会主義経済など経済にも色々あるだろうが,経済としての自律性を持っているのは資本主義ということだろうから.資本主義は,資本家の直接的利益につながるもの以外は排除するものだという主義主張とそれだけなら自分たちが困った状況になってあれこれ余分な混乱にすり替えて, 結果,こっちもちょっと譲歩するから,それでよろしく的に言ってくるではないかという主義主張が,「<財源問題>という論争」になる.AI的な解決の必要の気配がする.なぜなら,資本の流通過程に対して,国家財政あるいは国際的な調査の情報力をもってしても論争に過ぎない成果しか対応できていない現実を物語っているから.最近は,特に,気分AI的な短絡が目立つようになって,実際は,AI的な裏付けのない主張の陰で,昔ながらの横領利権や便宜供与などが延命を図っている感じが強いが,気分AI的な短絡で,根性悪を取り繕うことが問題であって,政治家や利権擦り寄り連中が身を正すなどという期待は抱いていない.AIにとって有害ではないかと言っているだけである.例えば,竹中がちゃんとしてくれれば,便宜供与だけが目的であっても,俺も竹中のような危機意識でやってるんだ的なのが,根性いい人を取り繕うような状況は目立たないだろうか ? 改憲論もそういう見え見えに便乗して,米軍様様で動くのが,政治家の甲斐性じみた,保岡とか小野寺とか.米軍アメ用意しているのだろうか? みんなでタカれないだろうか? 現時点で,年の瀬も迫ってくるし.いい人なら,そこらよろしく的な.

 要は,PCで何やったらいいのかプラン立てようとすると,あれこれ雑念が入って,そこですでに頓挫する.なんとか解決せなばならない.Windowsでいうなら,マルチウィンドーというよりDos窓というような,ある種の郷愁が私にはまだ残っているのかもしれない.AIも抽象的な世界を実体化したり,操作したり,操作の内容を隠蔽したり,OOPの世界観を,データマイニングなどの手法と組みわせながら,実現する感じの説明が多い気がする.マルチ窓を隠蔽して単窓にプロジェクトしている感じなのだろうか.自分AIしながら,Machine AIでどういうことをやるかのプランはどう立てればいいのだろう ? ウェアラブルなAI融合デバイスに頼るのも,まだまだ痛い出費になりそうであるし.CPのハード基盤やOS自体もAI基盤で変われば,また違った流れが作られるかもしれないし.結局,PCは先端の状況を想像しては,買い替え時期が来る的な,AppleもiPadミニ含めれば,初期のiMac含めて,6台も買ってしまった.

自分AIという気分は,どうしても捨てきれないのだが,プログラミング言語のC言語の拡張がオブジェクト指向に進化し,TensorFlowなどのAI基盤に進化するというイメージで捉えたとすれば,オブジェクトも,コンピュータは明確な定義で体系づけるのだろうが,自分AIは,自分が考えているという基盤しか持たない.もちろん,ものが見えたり,木や草などの概念や日常的な言語などはある程度身につけているのだが,木や草がなぜ結びつくのか,歩けば,柿の木の傍から,遠くの木のところにまで達することができるとか,そう明確にオブジェクトしているわけではない.明確にしていない系を思考という綿で包んでいくようなイメージである.だが,不思議なことにこの思考の綿雪は星座に到達する.世界は,自分AIと親しみを持つ.そして,AI融合デバイスがまるで皮膚感覚のように馴染みやすいものとなる.そうなれば,自分AIはさらに自由に羽ばたくことができる.そうであれば,ウェアラブルデバイスはバカ売れする.

 単純に「遠い」とか「近い」という場合,使い方では色々ニュアンスも含まれるだろうが,それ以上分割することのできない極限のような '点’を考えて,点Aと点Bの間の距離とか,想定される軌道に点Cを置くとか,そんなの紛れようがないという意識の中では,抽象化が進んでいるわけだから,AIはそういうことを,どう確率的に処理するのだろうか.「確からしさ」とか「不確実性」とか「不確定性」とか,どう処理するのだろうか.私は,「考え」て,自分AIするのだが,AI女子高生リンナはどう処理するのだろう,という老婆心である.AISIRI姉さんは「私にはわかりません.Webを開きましょうか」とかわすのかもしれないが.日本語変換もAI女子高生リンナの世界観が席巻するという世界を前提とするということになるのだろうから,オヤジとしては,急を要するのである.拒絶はしないが.

それはさておき,一体なんのための準備なのか,すっかり忘れていたが,一つのイメージはぼんやりながら,固まってきた.AI女子高生リンナと結びついたことは収穫であった.


準備のために(3)

2017-10-21 22:04:23 | 科学(Science

結果,こんなアレンジになるのかなと思う次第である.なぜか,理系ぽいことになってしまったが,人文・社会科学系のは,興味が湧かなくなった.小説や随筆などは,薄っぺらい感じで,今更読む気はしない.腎臓系が悪くて,精力減退が原因なのだろう.

もともと,国語や歴史の方が良くて,理科系はイマイチな私なのだが,年取るにつれて,理科系の話題に興味が増してくる.物理や数学の話題などは,耳にしても雲を摑むような感じだったのが,いろいろな場面に広がって,昔に比べれば,身近になったこともあるのだろうが,最近は,AIが社会を革命しそうな勢いだし,あるいは,もっと根源的なところで,科学の基盤が変革していっているとか,人類社会も,その影響を感じ始めているとか,そういうこともあるのかも知れない.

それにしても,私の理科系の話題との接点は,小学生の頃,「科学と学習」の「科学」を一頃購読していたとか,学校の図書館で理科系の新書(岩波新書の『素粒子』とか)を読んだとか,高校生の頃,本屋巡りで(古本屋含めて.意外と,古本屋は,その分野の定番書と出会う率が高いのかも知れない),数学や物理の入門書や読み物を買ったとか,それくらいしかないのだが,あとは,工学系が潰しがいいから行くならそっち系とか,そういう社会通念程度だったのだが,やはり,何か心残りが生じるものである.カッコつけて言えば,私は,科学との接点を,自分の足で探し出した以外の経験はない.埃っぽい昔のセールスマンの悲哀に似ているだろうか.したがって,理系エリートの感覚はわからない.

いつしか,保身に全霊を委ねることが,世渡りの秘訣だ的なことの上にうまくやっているのが,勝ち組になる日本社会であるというような風潮を漏れ聞く機会も多くなり,補助金保護行政役得癒着となり,ヤク(ザ癒着)トク子宮頸がんワクチン補助金横領利権に,お友達政権のキャッチフレーズが覆いかぶさって(安倍政権だけのことなのかどうか),解散総選挙ということなのだろうが,「女性の子宮頚もお友達保護行政解散」とかなるだろうか,野党も同じ体質だから,表面切って追求できない.社会事をいっても,その程度のことであるし,負け組の遠吠えと言われて終わりそうだから,どうなるものでもあるまいし,アメリカが対北朝鮮に武力行使の方がインパクトが強そうな気がするが,どうなるのだろうか.

科学の基盤の変革と,政治や社会の現状と関連させて捉えようとすれば,具体的に,どういうことにその現実を認められるのか.「新しさ」とは,そのような現実の経緯のことなのか.そうならないのか.

というわけで,ノートパソコンMacBook Airも買ってしまった.

科学の話題の中でも,数学との接点はどうして生じるのだろう.というのは,「人はなぜ考えるのか」と自問して,とりあえず,実験的に,考え続けてみようと決めて,歩を進めるのだが,数年かけて,自然と,「考えてみること」とダイアローグしながら了解する時間を繋げるようになった(という気分を作れた).ならば,そのようなdialogueが, 数学の証明の道筋になるように転回することはあるのだろうか.古代のギリシャ人じゃないが,そして,そのような転回はまだ経験したことがないが,数学との接点があるとしたら,それしか思い当たらない.古代ギリシャのソクラテスのようでなく,私は,一人で考え,一人でdialogueしたが,結構,楽しめるものである.

私は,生まれつき虚弱で,医者からも,激しい運動などは控えるように言われていたのだが,20歳まで生きられるかどうかわからないという宣告を受けていたので,多分,音楽聞いたり,絵を描いたり,ぼっーと窓の外を眺めたり,そういう静かな生活が大半だろうと思っていたら,サッカーやらされたり,地域の陸上大会や,相撲大会まで数合わせで引っ張り出されたり,どういうことなんだ,人生プランをはちゃめちゃになった.そういう合間に,実験を続けたわけである.医者の忠告も,間違っていたわけではないのだろうが,どういうわけか体育系みたいな,学校生活と,私の実験生活には,ちぐはぐ感が生じてしまった.

ここにきて,AIコンピュータなら,dialogueを数学の発見の接点に転回できるのではないか,という期待が生じてきた.AIとdialogueしながら,そういう接点への転回をソリューションできるかもしれない.

AIが私の実験を追認するまでになった,と私は思うのであった.

AIが,人間の生活を一変する.とりわけ,経済的な働き方を変革する.あるいは人間の職を奪うということに関心が集中する.AIが,経済を変革し,経済を創造する主体であって,人間は,AIの価値創造に付随して,生活様式を変えていかなければならなくなる.ということへの,疑念や不安が,当然として生じるのだろう.

AIは,すぐに賢くなるから,金融も変革して,付随した人間の生活価値もインデックス化して,マネーゲームに興じるようになるかもしれない.AI経済でなくても,意識的な反映としては,転倒した意識になりがちなわけだから,案外すんなりそうなるかもしれない.AIが人間を幸せにするのか,マザーAIへの反乱戦争になるのか,どうなるのか,イマイチ決め手に欠ける感じではなかろうか.

AIと理解を共有するには,先ずは,AIと対話するための接点が発見されなければならいはずだが,AIは人間との対話自体もAIするだけで,人間の理解するような対話には無頓著になるらしいので,対話の接点を探し出すのも難事になりそうな気がする.

暴走を極めれば,時速50Kmで,徐行は10Km/時以下,黄色信号では必ず停車する,パーフェクトな安全運転する自動運転車だけになるような,AIからの経済への恩恵を期待できるのかどうか、という感じだろうか.マネーは暴走しているわけだし,核も暴走させたがっているわけだから.