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うどんやラーメンなどの食べ歩きと旅のブログ2

GOOブログ終了に伴いAMEBAブログに引っ越しました。新記事はAMEBAで公開します。URLは自己紹介をご覧ください。

宮沢賢治記念館と山猫軒(注文の多い料理店)_岩手県花巻市

2024年02月18日 | 旅行

 2012年1月の正月休みに、自家用車で自走して東北に行ったのである。当時はM主党の政策で、高速道路無料化というのがあったので、それに乗っかって青森県の大間岬まで行こうと思い、スタットレスタイヤに履き替えて高速道路をひた走ったのであります。無料といっても完全無料ではなく、数千円はかかった記憶がありますが、タダみたいなものでした。

 東北地方に入ると気温は一気に下がり、フロントガラスがかっちかちに凍ってしまうので、SAに入りトイレに置いてあるペッボトル水(NEXCOで準備していてくれる)を使い、ガラスの氷を溶かしながら走ったのであります。使った後は感謝を込めて、ペットボトルに水を補充して元の場所に戻しました。

 まっすぐ大間に向かうのもアレなので、途中寄り道をしながら走ったものです。岩手県花巻市では、宮沢賢治記念館に寄りました。

 ここには、有名な「山猫軒」があります。

「どなたもどうかお入りください。決して遠慮はありません」

「ことに肥ったお方や若いお方は大歓迎いたします」

 メニューはありますが… 食べられないように気をつけてくださいね(笑)※

 高速道路無料化で、フェリーなどが大打撃を受け、廃止になった航路もあります。この政策が恒久的に続くのであればいいのですが、数年でやめてしまったので海運交通の危機を招くという混乱をもたらしただけに終わってしまいました。個人的には、何度か恩恵は受けたのですが、決していい施策ではなかったと思っています。また、高速道路の維持費を税金で賄うことになるので、高速道路の恩恵を受けない人までが費用負担をするということなので、税の公平性にも欠けます。目先の「お得感」(人気取り)だけに気を取られると、社会全体が見えなくなる典型かなと思っています。(東北大震災の対応という一面はあったとしてもです)

 ※なんのこっちゃと思った方は、宮沢賢治の「注文の多い料理店」をお読み下さい。


的山大島でバリ(アイゴ)を釣った_長崎県平戸市

2024年02月16日 | 旅行

 2003年7月に、的山大島(あずちおおしま)に行ったのである。的山大島は平戸市に属しており、平戸からフェリーが出ています。釣りが目的だったので、島内を自由に移動できるよう車で渡りました。

 エサはオキアミです。手ごろな防波堤で浮き釣りをしていたら、いきなり強烈な引きがあり時間をかけて上げてみたら「バリ」でした。九州では「バリ」と呼ばれますが、一般的には「アイゴ」です。強烈な引きが特徴で、最後まで暴れまくるので、ある程度疲れるまで待って上げないとバレる場合があります。ハリスもある程度太くないともちません。

 防波堤の外道として釣れる場合があるので、嫌う人もいますがきちんと処理をすれば刺身でも美味しく食べられます。またヒレには毒があるので、刺されるとずきずきと傷みます。(一度やられた)

 足で抑えて刺されないようにして〆ます。そして毒ヒレを取り除き、内臓を出して持ち帰らないと肉が臭くなります。この処理をしないとダメなので、嫌われる一因となります。

 きっちり処理をして持ち帰ったので、美味しくいただきました。


さぬきこどもの国_香川県高松市

2024年02月07日 | 旅行

 2014年7月に「讃岐うどん巡礼」を行い、香川県内でうどんを食いまくり、腹ごなしのため「高山航空公園」を訪問したという記事は昨日書きました。しかーし、まだ腹の中にはうどんが詰まっているため、その足で高松空港近くの「さぬきこどもの国」を訪問しました。

 入園料・駐車場は無料で、全日本空輸で使われていたYS-11(JA8743)の退役機が展示されています。この機体は、1969年12月伊丹空港⇒松山空港フライトの際に、読売新聞社のプロペラ機と空中で接触事故を起こしましたが、無事に帰還しております。

 この公園は空港が近いので、離着陸する飛行機も間近で見られるといういいポジションにあります。高松空港は離着陸便が少ないので、公園には時刻表が貼られています。


高山航空公園_香川県綾歌郡綾川町

2024年02月06日 | 旅行

 2014年7月に「讃岐うどん巡礼」を行った際に、綾川町の「高山航空公園」を訪れました。山の上にあり、高松空港からの発着便も見ることができます。ただし、当該空港は発着便が少ないので、じっと待つ必要があります。

 この公園は入場料などは不要で、退役した「T2」ジェット練習機やヘリコプターが展示されており、間近で見ることができます。あまり知られてはいませんが、歴代の運輸大臣が訪れています。

 公園に設置されている碑には「輝かし二十一世紀を間近にして、人類がもつ交通手段の発展は実にめざましいものがある。わが郷土が誇る新高松空港は、時代に力強く飛翔する重要な役割をになって生まれた。高松航空神社は建設委員会は、この空港をめぐる航空機と乗客の安全と郷土の限りない発展とを祈願して計画を興し、幸いにして多くの協力を得て、空港を望む山美しく、豊潤の讃岐中部高原のこの地を平らにし高山航空神社を造立した」以下略、と書かれています。

 うどん巡礼なので、香川県内でうどんを食べまくっています。そうそう連続してうどんを食べ続けることはできないため、腹ごなしの為にこの公園を訪れたものです。見晴らしのいい山の上なので、航空保安施設や携帯電話各社の基地局もあります。

 


2017年5月「雪の大谷と黒部第4ダム」富山県あたり

2024年01月30日 | 旅行

 2017年は、東京に飛ばされており、いやいや毎日ちょー激混みの通勤電車(京王新線)に乗っていたのである。くっそ激務の毎日ですが、土日祝日は極力休日出勤はしないという意思で勤務していました。(どうせ休日出勤手当などないし、出世する気もさらさらない)

 せっかくのゴールデンウィークなので、どこかに行こうと思い候補になったのが「雪の大谷と黒部第4ダム」です。車の乗り入れ禁止で、どちらかの一方通行になるのでツアーが便利です。(どうせ車ないし)

 ということで、時期的に「雪の大谷」が見られるいい時期に、黒部渓谷を訪れました。5月といっても、黒部の山奥は残雪があり寒いのであります。(だから雪の大谷なのだ)それなりの服装を準備しないと、遭難するかもしれない。(いや大丈夫と思う)

 扇沢駅までツアーバスで、その後はトロリーバスやケーブルカー、ロープウェイなどを利用した自由行動です。富山側は立山駅でピックアップしてもらいます。立山は3000m級の山ですが、ツアーコースの最高地点は室堂の2450mとなっています。2500mもの標高の地に、労せずに到達できるというのは物凄いことだなと思います。

 下界では暖かく、そこそこいい天気なのですが、標高が高くなるについで天候は悪化し、気温がただ下がりになります。黒部第4ダム付近や雪の大谷付近は、めっちゃ寒くて天気も良くありませんでした。それでも雪の大谷ウォーキングは感激するほどの景色です。

 最近TVでは、この黒部ルートに新ルートができるという情報があります。いままで工事関係者した通行することができなかったルートが開放されるということです。黒部灼熱隧道も開放されるということなので、期待が高まります。(ダム建設の超難工事部分)まあ、福岡からだとおいそれとは訪れられない場所なのですが、機会があれば訪れたい場所ではあります。

 映画「黒部の太陽」では、ダム建設の超難航工事について語られているので、そういうことを思いながらの旅でした。それと、黒4ダムの堤防には携帯各社のアンテナが設置されており、利用可能となっていました。(こんなところで使えるとはくりびつてんぎょう※です)

 ※びっくりぎょうてん

 


鯛生金山「純金製鯛の置物」大分県日田郡中津江村(現日田市中津江村)

2024年01月28日 | 旅行

 2005年1月に、旧日田郡中津江村(日田市に合併)の鯛生金山を訪れました。

 1992年竹下内閣の時、「ふるさと創生1億円」ということで、全国の自治体に使い道自由の1億円をばらまきました。貰った自治体から「使い道自由といっても、何に使っていいかわからない」という声も聞こえていました。町おこしのために有効に使った自治体も多かったようですが、住民からアンケートをとったというところもあったようです。一番アホな使い方は「一億円全部宝くじに使って、元手を増やす」という自治体があったことです。結果、元手を大きく下回ったとか。ちなみにわが町では、体育館用のドームや温水プール・劇場付きコミュニティセンターや公園の整備などを行って有効活用したと聞いています。いつもなら、「どうやって税収を増やすか」と考える自治体も、いきなり「何にでも使える1億円」を貰ったら、知恵が回らないようでした。

 旧中津江村には「鯛生金山」があり、かつては金の採掘が行われていました。そこで、村おこしのために1億円の内7,354万円を使って、純金の雄雌1対の鯛を作って坑内に設置しました。2005年1月に鯛生金山を訪問した時、その純金の鯛は実際に見ています。「縁結び・黄金の鯛、時価一億円」というプレートがありました。翌年の2006年2月には、純金の鯛「雄」の方が盗難にあいました。それ以外にも、同時に貴金属売店の金製品なども盗難にあっています。(雄の鯛の方が大きい)

 盗難防止装置くらいあるやろうと思ったのですが、警報は鳴ったが嘱託の警備員は異常に気づかなかったとのことです。(ほんまかいな) 朝になって職員が出勤して初めて気づくとか、あまりにもおそまつな警備体制にびっくりです。金は溶かしてしまえば足が付きにくいし、高価なものなので犯人にとっては好都合なターゲットでしょう。後にK国籍の犯人が逮捕されましたが、すでに鯛は溶かされており戻ってきません。判決は懲役16年(求刑18年)の実刑ですが、犯人にしてみれば16年我慢すれば、チャラになるということです。雌の鯛はどうなったのかと思ったら、金の単価が高騰したので、2012年11月に三菱マテリアルに9,045万円で売却できました。結果的には、村としての実質損失は100万円以下に抑えられたということです。

 観光用の廃金鉱山に黄金の鯛の展示物のアイデアは悪くはないと思うのですが、あまりに警備がずさんなので、展示するとしても金色の鯛のレプリカ程度でいいと思います。

 鯛生金山の近くには「カメルーンハウス」がありました。これは、2002年のサッカーワールドカップの際に、中津江村がカメルーン代表をキャンプ地にと誘致したので、記念として出来た施設です。しかし、なかなかカメルーン代表が来日しないため、日々やきもきしていたというニュースを覚えています。予定よりだいぶ遅れて、来日したようです。確か、深夜に中津江村に到着したが、村人こぞって出迎えたとか。


2005年9月「思い出のチボリ公園と恐るべきさぬきうどん再び」岡山県倉敷市⇒香川県

2024年01月27日 | 旅行

 2005年5月に「うどん巡礼」をしたという記事は先日書いたのですが、凝りもせず9月に再度巡礼に出たのである。しかし、ただ行くのもアレなので今回は福岡⇒倉敷(チボリ公園)⇒瀬戸大橋⇒香川というルートにしました。

 チボリ公園(1997年旧倉敷紡績倉敷工場跡に建設⇒2008年閉園)と瀬戸大橋は、初めて行きます。チボリ公園は、アンデルセンの像があり、それが示すようにデンマークの街並みのような作りとなっていました。開園当時は、年間300万人程度の入場者がありましたが、閉園前は1/4程度までに減ってしまいました。

 日本一(?)遅いジェットコースターや(普通の速いやつもあった)、メリーゴーランドなどもあり、普通の遊園地という感じでした。ここの作り立てのバームクーヘンが絶品というのがガイド本にも乗っていたので、買いに行ってみたら、ほんとにめっちゃ美味くて感激しました。

 デンマーク風の街並みも異国風で素晴らしかったのですが「一度行けばいいかな」と思い、これが最初で最後のチボリ公園訪問でした。そういう考えの人が多かったのでしょう、年々来場者が減っていったのですが、閉園が決まった年は「無くなるなら最後に行くか」という人が増えたと思われるので、黒字になったとかニュースで言っていました。

 瀬戸大橋も初めての訪問でした。途中のSAには、土産屋があるので寄ってみます。対岸は香川県なので、お土産うどんが沢山売っているので、選びたい放題です。(笑)

 前回訪問した「おか泉」は、美味しすぎたので再度の訪問です。山の中にある「谷川米穀店」に行ってみたら、開店前にもかかわらず300人くらいは並んでいる。そうか、連休だったな‥ 並んでいたら、開店1時間前には「玉切れ」の黄色い大うちわが登場してしまった。あぶねーな  この時は、初代大将の時です。代替わりしたのは仕方ないのですが、三代目(息子)が問題を起こし(ネットで記事がたくさん出ます)てしまいました。逮捕直後は臨時休業になりましたが、現在は営業しているようです。映画「UDON」のモデルにもなったし、青唐辛子と酢・醤油だけで食べるうどんは、抜群に美味かった(当時)ので残念至極です。写真撮影すると怒鳴られる、という話もあるので注意が必要です。

 この時は、うどん巡礼に力を入れていなかったので、数軒の訪問でした。適当に入ると「うーん」という店に当たるということも勉強しました。

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 追記 

 谷川米穀店においては、二代目が店を運営しているという情報もありました。


2015年_北海道ツアー(阪急交通社)

2024年01月26日 | 旅行

 2015年1月に、阪急交通社(トラピックス)のツアーで、冬の北海道を訪れました。北海道は一年中見どころは多いのですが、冬の北海道というのは特に好きなので、何度か訪れています。自家用車は移動に便利なのですが、通常降雪のない地域に住んでいて、雪国での運転はしたくないという理由で冬はツアーを利用することが多いです。

 この時のツアーは、往復飛行機代+登別の温泉宿(往復の専用バス付)+札幌ビジネスホテルの宿がついていて、その他観光はフリーというものでした。自分で手配するより、トータル安くなるのがツアーのメリットです。このころは、ほんとに安くてお得なツアーがあったので何度か利用しましたが、新型コロナ禍以降ツアー代金も高騰してしまい、なかなか手軽に国内旅行することも難しくなってしまいました。

 住んでいる人にとって雪はやっかいなものと分かっていますが、旅行者にとっては魅力的なものであるので、機会があれば冬の北海道に再訪したいものです。


トルコ(イスタンブール)⇒ギリシャ(テッサロニキ)国際寝台急行列車

2024年01月23日 | 旅行

 2006年7月下旬、ツアーでトルコ⇒ギリシャをまわりました。トルコは西側半分をほぼ一周とギリシャは有名どころのみの訪問です。(トルコがメインの旅)

 あの「オリエント急行」(パリ⇔イスタンブール)で有名な、イスタンブール側からの乗車です。イスタンブール発の寝台夜行列車で、ギリシャのテッサロニキまで行きます。日によって、ギリシャの列車とトルコの列車が交互に運行されているそうですが、事前情報によるとトルコだと当たり、ギリシャだとハズレとのことです。(トルコの方が新しくて快適だそうだ)

 トルコの列車来い!と念じていたら、ギリシャの列車が来ました。オーマイガー! 添乗員さんに、「車掌がベッドをセットに来るので、一人5トルコリラ(だったかな)チップを渡して下さい」と言われました。入線してきた列車は、座席となっていてベッドにはなっていません。出発直後、車掌がやってきて数秒でベッドにしてくれました。折りたたまれているベット部分を引き出しただけで「これでチップかよ」と思いましたが、仕方ありません。

 国際列車なので国境を越えます。深夜に国境の検問所を通過するので、係官がパスポートを回収に来るので渡して下さい。と言われました。その後は部屋に待機して問題なければ数時間後に返してくれるが、問題ありと判断された場合は荷物を全部開けられることもあるとのこと。だいたい2~3時間くらいはかかるらしい。深夜の1時くらいから3時くらいまでは起きておかなければならないというのは結構きつい。(うとうとしててもいいが)

 検問所に到着したら、説明通りドンドンと扉をたたく音がしたので、言われた通りパスポートを渡して待機しました。数時間後に再度扉をたたく音がして、パスポートを無事返してもらえました。(良かったぜ)検問所周辺には、獰猛そうな警備犬がうろうろしているので逃げるとやばいです。(逃げないけど)

 イスラムの世界から、ギリシャ正教の世界に入ったら空気が一変しました。トルコ側では時間が来るとアザーンが流れてお祈りが始まります。それほど娯楽があるとは思えないような、荘厳な街の雰囲気です。ギリシャに入ると一気に空気が明るくなった感じで、コンビニ(みたいな店)に行っても、食料品などと一緒にエロ本が堂々と売られています。まあ、古代オリンピックは全裸で行っていたし、ギリシャの彫像は裸のものが多いので驚くには値しません。どちらが楽しいかといったら、ギリシャ側かなぁ。

 国際夜行寝台列車は、予定通り3時間遅れで到着しました。というのは、列車のダイヤは検問時間を考慮しておらず、検問通過に要した時間がそのまま運行の遅れに繋がります。予定通り遅れたので、テッサロニキでは予定通りツアーバスが待っていてくれました。(いつものことのようなので、問題ないみたいです)

 


思い出の「日本の翼YS-11(JA8768)」福岡⇒鹿児島(ほぼラストフライト)

2024年01月22日 | 旅行

 九州新幹線(博多⇔鹿児島中央)が開業前に鹿児島出張する場合は、急ぐときは飛行機(福岡⇔鹿児島)を利用した。(交通費は会社負担だし)国内短距離路線なので、プロペラ機のYS-11が就航していた。座席は2+2の単通路です。荷物入れは蓋がなく、電車の棚のような作りなので大きな荷物は置けません。プロペラの高速回転の音が響き、乗り心地は決していいとはいえませし、気流の乱れがあるとふらふらと飛ぶ感じがしました。しかし、この「飛んでるぞ」という感覚があるのは個人的には好きです。

 戦後初の日本での設計・製造の航空機ということで、頑丈な設計と作りとなっていました。といっても、どうても飛行機事故というのは起こりえます。(もちろん無い方がいいのだが)機体の故障に加え、パイロットエラーによるものも起こっています。まだ油圧制御が無かった時代なので、ワイヤーによる人力制御を行っており操縦には力がいりました。

【YS-11略歴】

1962年 試作1号機名古屋空港で初飛行

1964年 運輸省航空局型式認定取得

1965年 路線就航

1966年 全日空機が松山空港で着陸に失敗し海中に転落事故、当時はボイスレコーダー・フライトレコーダーの搭載が無く、全員死亡のため原因不明

1969年 全日空機が淡路島上空で、読売新聞社のビーチクラフト機と空中接触(全員無事)

 同  全日空機宮崎空港でオーバーラン事故(重軽傷者あり)

1970年 中華航空(台湾)が台湾で墜落事故(死傷者あり)

1971年 東亜国内航空(TDA)が函館で墜落事故(全員死亡)

1972年 182機で製造中止

1976年 オリンピック航空機(ギリシャ)墜落事故(全員死亡)

1977年 全日空機が伊豆大島でオーバーラン(負傷者あり)

1979年 東亜国内航空(TDA)、羽田で左後輪が出ないため胴体着陸(着陸成功)

1982年 リーブ・アリューシャン航空がアラスカでエンジン停止のため不時着(着陸成功)

1983年 日本近距離航空が中標津空港で着陸失敗(負傷者あり)

1988年 東亜国内航空 米子空港でオーバーラン(負傷者あり)

2006年9月26日 N村、日本エアコミューター(JAC)便で福岡⇒鹿児島便に搭乗、記念の搭乗証明書を貰う。

2006年9月30日 定期便ラストフライト

 その後、自衛隊では2021年まで使用されました。


2015年_海上自衛隊呉資料館「てつのくじら館」広島県呉市

2024年01月20日 | 旅行

 2015年4月に、広島県呉市の「海上自衛隊呉資料館」に行ったのである。だいぶ前の訪問なので、詳細は覚えていないがJR呉駅からバスで行ったような気もする。(やっぱり覚えていないやんかーい)

 海上自衛隊資料館というくらいなので、潜水艦に関する資料が豊富に展示されているのであります。海自の中でも、潜水艦に関するものは極秘であると思うのですが、一般に公開できる展示品が多くあるので見ごたえがあります。

 特に展示館に行く道すがら、巨大な潜水艦「てつのくじら」が、どどーんと目の前に現れたのは「くりびつてんぎょう」(びっくりぎょうてん)です。

 陸揚げされた退役潜水艦に乗ったのは、オーストラリア・パース郊外のフリーマントルにある西オーストラリア海事博物館で、同じように展示されている「HMAS_OVENS」を含め2隻です。フリーマントルのOVENSの場合は、自由散策は不可で、ガイドツアーのみです。退役軍人の方ががエスコートを行い、英語で解説してくれます。他に参加し希望者がいなかったので、がっつり英語で説明を受けました。最初に「英語分かる?」と聞かれて「少しだけ」と言ったら、ゆっくりと話をしてくれました。オージーイングリッシュは、英語といっても若干違った発音をする部分があるので侮れません。

 呉の場合は、自由見学でした。立ち入り禁止の部分もありますが、公開されている部分は写真撮影可だったので、艦内の写真を撮ってきました。潜望鏡ものぞけるし、操舵室も見学できましたが、魚雷発射管室の公開は無かったように思います。OVENSの場合は、魚雷発射管室を含めて、ほぼ全部(だと思う)見学が可能でした。

 どちらの艦内も同じような感じで、狭いところに効率的に機器を配置し、快適性は全く考慮されていないなという構造です。(目的からして仕方ない)この狭い艦内で、長期間の任務に耐えるのは、並大抵の人ではないと、ひしひしと感じます。

 グアムやハワイでは、観光用の潜水艦に乗りましたが、大きな窓から魚がたくさんいる明るい海中が見えるので、潜水艦といっても全く別物なのですが、日常ではない世界を簡単に見られるというのは良い体験でした。

 


2018年_伊豆大島写真集

2024年01月19日 | 旅行

 こないだ、単身赴任で大阪に飛ばされた(拒否権無し)という記事を書きましたが、大阪の事務所が閉鎖になることが決まり、次は東京に赴任することになりました。東京がいやで福岡の会社に転職したのに、また舞い戻ることになってしまったのであります。なんでやねん! しかーし、これも拒否権が無いので従うしかありません。

 生まれ育った中野あたりにアパートを探したのですが、なかなか手ごろな物件がありません。「渋谷はどうですか?」と紹介されたのが幡ヶ谷の物件です。え、ここが渋谷区なのというほどの、忘れ去られた渋谷区という表現が似合う場所です。しかし勤務先の新宿には、京王新線で乗り換えなしで行けるし、懐かしの中野に行くにもバスがあるので便利です。うさぎ小屋のくせに家賃はちょー高いのですが、会社補助があるのでなんとかなりそうです。しばし、幡ヶ谷に住むことにしました。 

 土日は関東散策もしたのですが、ある日伊豆大島に行ってみたいと思い。フェリーを使った伊豆大島旅行を決行しました。往路は竹芝桟橋から「さるびあまる」で夜間に出航します。高速船もあるのですが、フェリーの方がお得価格だし、一晩船の中で寝ていくというのも風情があって良いものです。伊豆大島には早朝につくのですが、レンタカーを予約しているので、港まで迎えに来ていただけました。(有難いなぁ)

 川端康成の「伊豆の踊子」は有名なので、たびたび映画にもなっています。この踊子には実物のモデルがいて、伊豆大島の「たみ」さんという方です。たみは11歳の時、波浮港の茶屋「鉄丸」に奉公しました。川端康成は第一高等学校生徒(19歳)で伊豆へ旅行の折り、伊豆大島の波浮港から出稼ぎ中の旅芸人「加藤文太夫一行」と道連れになります。この時、「伊豆の踊子」とされる「たみ」(加藤文太夫の子)と出会ったことにより小説が書かれました。

 翌年たみが14歳の時、茶屋「さかえや」を開業します。(やり手だな)16歳の頃に波浮港から下田に転出(飛躍だな)ということで、伊豆の踊子は、かなり商才のあった人と思われます。波浮港には、当時の茶屋を再現した建物が公開されています。

 伊豆大島の三原山は、直近では1986年に噴火をしています。頂上はカルデラになっており、今は火山活動が落ち着いているので、遊歩道で山頂まで行くことができます。しかし2月の三原山は雪が積もっていて、歩いて行くのは大変そうです。登山口にある管理室に寄って聞いてみたら「行けないことはないが、自己責任ですね」と言われました。(そりゃそうだ)登山禁止じゃないなら、なんとか行ってみようということで、「かんじき」とか「アイゼン」とか登山道具がないか商店を探しまくりましたが、適当なものがありません。あきらめかけた時、スパイク付きの長靴(磯靴)を見つけました。「これじゃ」といことで、急遽購入して頂上まで行ってきました。

 島では椿祭りが行われていました。元町港では「夜祭り」も行われており、誰でも見ることができました。島の名物に「べっこう寿し」があります。白身魚を唐辛子醤油につけた寿しで、ぴりっとして美味しいです。お店で食べてもいいのですが、スーパーに行くとお得なべっこう寿しもあるので、お好みでどうぞ。あと、好き嫌いが分かれるのですが、「くさや」も名物です。食べると美味しいそうなのですが、においがダメという人も多いです。(自分もダメだぁ)

 伊豆大島の港は、「元町港」と「岡田港」があります。風向き波などを考慮して、どちらを使うかが決まるようです。往路は元町港で、復路は岡田港でした。島のあちこちに当日入港する港が張り出されるので、それを見て港に向かいます。レンタカーは、どちらの港でも返却できます。

 伊豆大島には動物園があります。「東京都立大島公園動物園」なんと、入園無料で訪れることができます。伊豆大島や千葉県の房総半島では、野生化したキョンが繁殖し農業被害等が発生しているということで駆除が行われていますが、この動物園では1頭だけが飼育されていたので、実物を見ることができました。(但し、訪問時)

 


2009年「カタール」市内観光(ドーハ)

2024年01月18日 | 旅行

 2009年7月に、阪急交通社(トラピックス)のツアーで、ヨルダンを訪れました。福岡⇔関空⇔カタール⇔ヨルダンです。航空機はカタール航空を利用しました。関空では乗り継ぎ時間が数時間あったので、「ラピート」に乗車してみました。あまり遠くへ行くと、帰ってこられなくなる恐れもあるので「りんくうタウン」まで行って帰りました。

 カタールの空港(ドーハ)には夜明け前に到着しましたが、航空機のタラップを降りたら(空港ビル横づけではない)もの凄い熱気で驚きました。まるで、ドライヤーの熱風を全身に吹き付けられているのかと思う程です。冷房が効いている連絡バスに乗ったらほっとしました。

 ヨルダン(アンマン)への乗り継ぎ便は午後1時なので、半日以上乗り継ぎ時間があります。ここで、カタール航空の太っ腹を思い知らせれました。カタール航空手配の、無料のドーハ市内観光ができるということです。ドーハで唯一日本語を話せるガイドが付きました。(運が良ければ手配できるが、ダメな場合は英語ガイドらしい)ちょっと怪しい日本語でしたが、だいたい言いたいことは分かります。

 たいていこういう無料のツアーは、お土産屋がセットで付いているのが定番なのですが、そんなことは一切なく、ほんとうに完全無料の市内観光です。それどころか、飲み物やお土産(ペンとかマウスパッドなど)付きという、どんだけ太っ腹なんだというツアーです。

 サッカー界では有名な「ドーハの悲劇」が起こったスタジアムも訪問しました。ガイドさんは「日本人は、ここに連れてくると喜ぶんだよね」と言っていました。労働者は、ほとんど外国人の出稼ぎのようです。「この国は働くのはいいけど、酒がだめだし映画館もないので娯楽が一切ない」と言っていたのが印象的でした。カタール人は、白装束に頭に輪っかをつけているので、すぐに分かります。高気温の砂漠(が近い)の都市で生活するうえでは、合理的な姿と思いました。

 ラクダ市場にも行きましたが、ここは食肉用のラクダが取引されるそうです。お祝いなどがあると、1頭買って行って捌いて食べるそうです。凄いにおいだったので、早々に退散しました。(ラクダは食べたことがない)

 馬は大事にされていて、(馬術競技用?)冷房付きの馬術競技場があり快適そうでした。昼間は暑すぎるのか、街中で歩いている人は、ほとんど見ません。

 市内観光が終了したら、空港で無料(カタール航空負担)の昼食(カレー)の提供がありました。どんだけサービスしてくれるんじゃあ。

 ドーハから、ヨルダンのアンマンに向かいます。


2004年_GUAM 写真集

2024年01月16日 | 旅行

 2004年7月に、GUAMを訪れました。GUAMは福岡からコンチネンタル航空(現ユナイテッド航空)の直行便が飛んでいるので、訪問するのは便利です。かなり昔は、一日に朝夜各々の便がありました。(需要があったのだろう)いつのまにか夜便は無くなってしまいましたが、朝便が残っているので有難いです。今は、乗客数が少ない場合は福岡便はキャンセルになり、名古屋経由に振り替えられることもあるようです。

 2001年9月11日に、米国で同時多発テロが起きました。それまで、日本各地⇒サイパン経由⇒グアムと飛んでいたルートは、すべてグアムで入国審査を受けなければならなくなりました。(サイパンの方が日本に近い)これは、グアムで一括入国審査をすることにより、よりセキュリティを高める目的と思われます。(かなり厳しくなった)

 そのため日本からサイパンに行こうとすると、グアムで入国審査後サイパン便に乗り換えなければなりません。サイパン⇔グアム便はプロペラ機しか運航していませんので、いつも満席に近いようです。(当時の話で今は知らない)そういう事情からサイパンが敬遠しはじめられ、日本人観光客が激減しました。大きなショッピングセンターも閑散としはじめましたが、そこを埋めたのが中国・韓国からの旅行者です。以前は、日本人ご用達の免税店も、中国人専用・韓国人専用に変わっていき、日本人はお呼びじゃない状況になってしまいました。そういう店は、その国の言語しか表示されてなくて、団体観光客の大型バスしか行きません。外観からして、「〇〇人以外お断り」みたいな雰囲気を出しているので近づきません。

 サイパンはグアムと比較すると町の規模は小さいし、田舎っぽさがあります。個人的な感想としては、のんびりするならサイパンの方がいいかなと思います。(見どころは、グアムと比較して少ない)

 コンチネンタル(合併により消滅し、今はユナイテッドに統一)のマイレッジサービスは、年会費が必要なゴールドカードだと増減さえしていれば消えることがありません。そのため、通常の支払いにカードを使っていれば、実質永久不滅のマイルになります。(どこかで聞いたフレーズだな)

 当時は、日本⇔グアムのマイレッジレートは2万5千マイルだったので、かなりお得に往復することができました。ただし、ホテルなどは自分で手配する必要があります。もちろん空港に迎えの人も来ないので、すべて自力で解決する必要があります。空港にはタクシーが待機しているので、ホテルまではそれを使えばいいです。(米国流なのでチップ必要)

 だいぶ前のCMですが「遠くのハワイより近くのグアム」みたいなのがありましたが、4時間ちょっとで行ける海外で、アメリカを感じられるのは楽しいと思います。(グアムはアメリカの準州)地理的に日本に近いため、本邦からの訪問者も多いのですが、最近は大陸からの訪問者もかなり多いようです。(日本人はすでにマイナーになっていると思う)隣のサイパンではもっと顕著で、ほとんど大陸系の人しかいない状況でした。

 ホテルは「マリオット」を利用しました。ロケーションはホテルが沢山ある地域なので、そこそこ便利ではあります。この時は「観光用潜水艦」に乗りました。最大深度49mまで潜りましたが、海の透明度が高いので各種の魚を見ることができました。

 


2003年_ケアンズ写真集(オーストラリア・クイーンズランド州)

2024年01月13日 | 旅行

 2003年10月に、コンチネンタル航空のマイレージを利用して、オーストラリア・クイーンズランド州のケアンズを訪れました。当時のコンチネンタル航空は、ユナイテッド航空との合併前でマイルについてもかなり優遇されていました。

 日本各地からだと、グアム・サイパン・パラオ・ヤップ・デンパサール・ケアンズは、ひとくくりに「アジア」となっており、往復2万5千マイルで搭乗が可能でした。さらに空港使用料なども請求されることはなく、ほんとにお得な特典チケットとして利用可能でした。

 ユナイテッド航空と合併後は、マイルの特典も縮小されオーストラリアの往復には8万マイル必要になってしまいました。さらに空港使用料も必要です。日本⇔グアムも往復4万マイル程度にアップされてしまい、かなり厳しくなりました。(季節・曜日によっても変動)

 当時は、福岡からだとグアム乗り換えで、デンパサール(バリ島)やケアンズの便があったのですが、利用客の低迷で廃止になってしまいました。(バリ便は、マイルを利用して1度利用)

 ユナイテッド航空は「スターアライアンスチーム」に属しているので、その加入航空会社でも特典は同様に利用可能です。新型コロナが蔓延する前はタイ国際航空を利用して、オーストラリアのパースやブリスベンに行きましたが、往復8万マイルを消費したので、すでに貯金(マイル)は底をついた状況です。(笑)

 ユナイテッド航空(ユナイテッド航空)は米国の航空会社です。合併前のコンチネンタル航空の特典はすばらしかったのですが、いろいろといいかげんな航空会社でもありました。

【コンチネンタル航空時代のお話】

①予約していても、必ず乗れるとは思うな

 ⇒ダブルブッキングは日常茶飯事。ドタキャンを見越して、わざとしているのではないかと思う程。(自分もダブルブッキングに遭遇したが、エコノミーからビジネスに無料アップグレードしてもらったので文句なし)聞いた話では、すでに座っている乗客に「金を払うから誰か降りてくれ」とお願いする場合もあるとか。

②アイランダーと呼ばれる、島間のフライトは自由席。(例)マニラ⇔パラオ⇔ヤップ⇔グアム

 ⇒一応、座席は指定されるのだが、実際に乗ってみると知らん外国人が座っていて「自由席だ他に行け」とか言われる。キャビンアテンダントに言っても「空いている席に座れ」とか言われる。

③座席のシートが無かった時がある。

 ⇒さすがに座れないので、キャビンアテンダントに指摘したら、どこからともなくシートを持ってきた。だいたい、シートが無いという状況があるというのが不可解である。

④座席のリクライニングが壊れていたことがある。

 ⇒背もたれに力をかけられないので、離発着時は力を入れて、座席にもたれないようにしていた。

➄巡航速度で高空を飛行していた時、突然自分の真上の天井が一部外れて、落ちそうになった。(ばこッと音がした)

 ⇒キャビンアテンダントが気が付いてやってきた。(大柄な女性)ふんっと手で天井を押し上げて「No Problem」と言って立ち去った。無事に着陸した時はほっとした。

⑥自分の後ろの席に、若い日本人の姉ちゃん2人が座っていた。男のキャビンアテンダントが、ずっと横に立って話しかけていた。(簡単な英語で)そのうち女性のひじ掛けに座って、腰を据えて話し始めた(ナンパだな)夜間フライトだったので「うっせーな」と心の中で思っていたら、絵葉書をくれたので「口止めだな」と理解した。

⑦機内エンターテイメントは、使えない席もあるのはしかたない。

 ⇒壊れていても仕方ないと諦めが必要

 いいこともありました。

①福岡⇒グアム⇒サイパン便の時、福岡の離陸時間が数時間遅れたため、グアムでの乗り継ぎが不可能になった。特典航空券にもかかわらず、グアムに到着したら乗り継ぎ便の変更手続きがすべて終わっており、問題なく乗り継げた。(乗り継ぎ便が座席数の少ないプロペラ機で、かつ満席だったので危機一髪のような気がした)

 ケアンズのお話をします。クイーンズランド州北部のケアンズは、亜熱帯雨林気候に属すのでかなり暖かいです。(南半球なので北に行くほど赤道に近くなる)熱帯雨林と、グレートバリアリーフ(世界最大の珊瑚礁)という2つの世界自然遺産があり、同時に楽しむことができる貴重な都市です。海がきれいだからといって、ケアンズの海岸では遊泳できません。基本泥の海岸で、ワニが生息しています。年間、何人かはワニ(クロコダイル)に襲われ、亡くなっているようです。海を堪能するには、沖合のポンツーン(浮き桟橋)や、グリーン島(離島)などの管理された場所に行って、安全に楽しむことなります。それじゃあんまりだということになって、市内中心部に小さな人口のビーチを作りました。

 あと、ちょー危険な毒蛇とか、触ると細かい針が大量に皮膚に入り込み、絶対に取れないという、ちょー危険な植物などが生息しているので、ガイド無しで熱帯雨林などに行かない方が身のためです。この危険な植物は、馬が誤ってかすっただけで激痛が襲い、どうしようもなくなるので殺処分にするしかないといわれています。第二次大戦中には山の中で女性兵士が誤って触ってしまい、激痛の末自殺したという話も残っていると現地で聞きました。

 観光は、レンタカーか地元のツアー会社に申し込むことになります。日本語ツアーは、英語ツアーより20~30%ほど高く設定されている場合が多いようです。どちらも参加してみましたが、若干の英会話ができれば英語のツアーでも楽しめます。(全くNGの場合はきついと思います)外国人(オーストラリア人からみて)には、ゆっくりと喋ってくれます。(ガイド時は別ですが、集合時間とか場所とかは、個別に念押しをしてくれました)

 地元のレストランもいいのですが、そこそこお高いので市内のナイトマーケットに行って、お得なフードコードを良く利用しました。スーパーに行って食材を購入して、ホテルの部屋で食事するのもいいと思います。(この時は、キッチンのあるホテルを利用しました)

 アボリジニ文化の体験型施設もあり、観光客には人気です。ケアンズは観光都市なので、オーストラリア国内からも観光客が多くやってきます。ブーメラン投げとか、やり投げも体験できます。アボリジニダンスも見られますが、最前列に座っていると、ステージに招待される場合があります。当たってしまったら、恥ずかしがらずに踊るのが良いと思います。上手く踊れたら拍手を貰えます。

 アボリジニは、元々オーストラリア大陸の住民というのはご存じと思います。昔は多くの部族に分かれていて、言語は異なり紛争もありました。今は、みな英語を話しています。これは「ストールンチルドレン」時代があり、アボリジニの子供を強制的に親から引き離し、英語教育を施した結果です。また強制的に危険な畑や牧場で、素足で働かせたので、先に述べたちょー危険な蛇に噛まれて死ぬ場合もありました。オーストラリア政府は、こういう過去の政策を鑑み、保護政策をとっています。アボリジニの人たちは観光施設で働いたり、伝統文化を守るための活動を行っているのを目にします。しかしながらドロップアウトした人達は、シティの中でたむろしているのを見ることもあります。(訪問時の話です)こういう話は、現地でツアーに参加すると、観光情報とともに説明がある場合があります。

 ビリーティについて 現地ツアーに参加すると、自然の中でのBBQと共にビリーティを振舞われることがあります。(今回の写真はない)オーストラリアの白人系住民はもともと英国人なので、「紅茶は飲みたいけど茶器がない。しかし茶葉はある」ということがありました。しかーし、どうしても紅茶が飲みたいのである。そうだ、バケツに茶葉を入れて湯を入れる⇒ぐるぐる大きく回したら遠心力で、うまく紅茶ができるのではないか⇒上澄みだけ飲めばいけそうだ。⇒やってみたら成功した⇒オーストラリアの伝統的紅茶の飲み方の1つにしよう。みたいな

 カンガルーは食肉にもなるし、皮は加工して利用する。カンガルー、普通に食べられます。ジャーキーもあります。お土産屋に行くと、皮製品もたくさんあります。そこいらじゅうにいて、繁殖力が強いので狩ってもすぐに増えます。郊外に行くと、道端に車と衝突した死体があることも珍しくありません。(大型トラックは、カンガルーがいても急に停まれないので轢き殺して走ります)

 特に夕方から夜間にかけての郊外での運転は要注意です。(いわゆるカンガルータイム)カンガルーバーは日本では飾りですが、ここでは役にたちます。といっても、レンタカーには基本付いていないし、地元の乗用車でもあまり見ない。郊外を走行する4WDとか、キャンピングカーには付いている場合があります。

 乗馬体験をしましたが、日本のような「引き馬」ではなく、少しの講習のあと手綱を持って、隊列を組み野山を行く本格的なものを体験できます。落馬したら危ないのでヘルメットをかぶりますが、馬の方が心得ているので安心して乗っていられます。ケアンズはトータル4回ほど訪れましたが、最初の訪問時以外はマイルを使った特典航空券での訪問です。一番最初は旅行会社のツアーで参加しましたが、おっとという程高かったです。成田⇔ケアンズ間はカンタス航空の直行便でしたが、カンタスは良かったなぁという感想です。(コンチのような、なんじゃこりゃああというのが無かった)