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うどんやラーメンなどの食べ歩きと旅のブログ2

GOOブログ終了に伴いAMEBAブログに引っ越しました。新記事はAMEBAで公開します。URLは自己紹介をご覧ください。

2005年5月「恐るべきさぬきうどん」讃岐ツアー

2024年01月10日 | 旅行

 忘れもしないいつだったか(忘れとるやないかい)タウン情報香川(TJ香川)で、ゲリラうどん通ごっこ(ゲリ通)改め「麺通団」という企画があって、「さぬきうどん」が凄いことになっているという噂を聞いたのである。なんでも、麺通団団長_田尾編集長が執筆した「恐るべきさぬきうどん」という本は、讃岐うどんを語るうえでのバイブルという位置づけらしいことを知ったので、なんとかして手に入れたのであります。

 そこには、信じがたいほどの抱腹絶倒のエピソードが満載されていて、「ほんまかいな」という内容もあるのだが、店の地図がちょーいいかげんに書かれているので、カンを働かせて店を探さないといけないという、宝探しゲームみたいな要素も含まれていたのである。山の中に突然現れる店や、屋号さえない店舗。うどん玉しか売らない店なので、どんぶりや箸、調味料などは持参しないといけない店など、人を寄せ付けることを拒んでいるような、うどん屋があるというのである。

 福岡のうどんは「コシが無い」というのが基本なのだが、さぬきうどんは「コシ」が大事ということだ。コシというのは、単に固い麺というのではなく、伸びもある麺らしい。また、一口にさぬきうどんといっても、いろいろな方向性があるというのだ。

 これは、一度讃岐(香川)に行かないとならぬと思い、2005年5月に「さぬきうどんツアー」を決行したのであります。讃岐地方のうどん屋を、公共交通機関を使って回るというのは現実的ではないので、車で行くことにしました。福岡⇔佐賀関(フェリー)⇔佐多岬⇔香川が良さげです。

 事前に調べた有名店に加えて、ぶらっと入った店があります。この時訪問した店で「かな泉」は閉店しました。美味しい店だったのに残念ではあります。

 気合を入れて、朝・昼・晩と調子に乗って、うどんを食べまくっていたらさすがに麺には飽きてしまい「米が食いたい」と思いようになりました。

 香川には、700とも800軒ともいわれる「うどん屋」があり、コンビニよりも多いと言われています。(当時の話)ほんの少しのうどん屋しか行けませんでしたが、これが「さぬきうどん」にはまった最初でした。

 2006年8月には、「麺通団」をモデルにした「映画うどん」が公開されたので、当然映画館に見に行きました。それと時を同じくして、FM香川では「麺通団のうどラジ」という番組がスタートしました。映画うどんを宣伝するためのラジオ番組だったので、目的が終了したら番組も終わりという話だったのですが、人気があったため「続麺通団のうどラジ」として再スタートし、現在も毎週放送が行われています。福岡からはFM香川は当然聞こえないので、ポッドキャストで聞いています。

 2006年以降もたびたび香川を訪れて、さぬきうどん巡礼を行ったので、そのうち気が向いたらご紹介するかもしれません。


新日本海フェリー「フェリーらいらっく」の思い出(外国に売却後フィリピンにて沈没)

2024年01月09日 | 旅行

 2003年8月に、舞鶴⇒小樽間の新日本海フェリー「らいらっく」に乗船しました。福岡から北海道へ車で行くには、舞鶴から小樽間はフェリーを利用するのが便利です。

 福岡⇒舞鶴間は自走するので高速を利用してもいいのですが、余裕があれば乗船日の前日に出発して、一般道を使いながら道すがら観光していくのもいいものです。

 新日本海フェリーの「フェリーらいらっく」は退役し、新造船に置き換わっているので、当時と比べて高速化していますが、高速化ゆえに運行中のサイドデッキへの立ち入りは、安全上の理由により禁止されています。唯一、外に出られるのは後部デッキのみです。

 フェリーらいらっくは、サイドデッキにも自由に出ることができ、後部デッキにはプールが備えられていました。外洋に出ると、海水を注入し自由にプールを利用することができました。また、簡易なトレーニングルームとスペースがあり、これまた自由に利用することができ、飽きさせない工夫がされていました。

 らいらっくは、1984年に就航し2003年に乗船、その後年度は不明なるも、外国に売却され2008年6月21日、フィリピンのシブヤン海で、台風6号による荒天のためエンジンが停止し、高波を受けて沈没しました。多くの乗組員・乗客が犠牲となる痛ましい事故が発生しました。台風が接近しているのに運行したというのも問題ですが、違法に大量の殺虫剤を搭載していたという報道もあり、救難活動は難航したようです。いろいろな意味で、安全管理を怠り適当に運行されていたのかなと、個人的には思います。

 不運な運命をたどり、フィリピンの海で眠っている船と思いますが、北海道への旅を楽しまさせてくれた船として、記憶を呼び戻したいと思います。


2007年3月「北海道道東ツアー流氷を見にいこう」(阪急交通社)

2024年01月05日 | 旅行

 もういつかも思い出せないような大昔、卒業旅行で冬の北海道を訪れたのである。(覚えているやないかい)急行八甲田で上野から青森に行き、青函連絡船で函館に上陸する。北海道内は「道内ワイド周遊券」を使って、特急・急行の自由席乗り放題をフルに活用して移動する。もちろん道内に入ったら、「国鉄道内時刻表」を真っ先に購入します。宿泊は、ユースホステルを利用するといった、貧乏学生の定番旅をしました。

 オホーツク沿岸に行くと、流氷がびっしりと接岸しており、壮大な眺めを満喫することができました。しかし屋外はめっちゃ寒くて、カメラのシャッターが切れないなんてこともありました。(電池が気温低下でダメになるので、懐で温めたりする)

 2000年代に入って「あの感動をもう一度」と思い、何度か冬の北海道を訪れましたが、温暖化の影響か流氷の影も形も見ることはできません。雪道を運転するのは危ないので、いつも阪急交通社のトラピックスツアーを利用していました。流氷が来そうな頃合いをめがけて旅の予約をするのですが、いつも「スカ」を引いてしまい、流氷には巡り合えません。流氷が目玉の1つのツアーなので、砕氷船が出航しない場合は、その分の返金がありましたが、残念なことこの上ありません。

 2年ほど続けて「流氷ツアー」に申し込むも、全く見られません。2007年にもツアーに参加した所、やっと流氷に巡り合えました。昔ほどの規模ではありませんが、網走・紋別両方で流氷が確認できました。

 網走:オーロラ2号(普通の砕氷船)

 紋別:ガリンコⅡ号(ドリル式の砕氷船) 

 このツアーは流氷だけではなく、釧路の丹頂見物・網走の「あったか網走祭り」旭山動物園訪問など、見どころも満載です。網走では、係留気球体験も行いました。(ツアーには含まれない)「あったか」というのは、」温かいおもてなし」という意味で、ちょーちょー寒くて死にそうなぐらいです。(死なんけど)

 ホテルは温泉・食事付きですっごく良いのですが、この時代は3泊4日(航空機利用)で5万円以下という価格設定のツアーがあり、気軽に参加することができました。

 新型コロナが流行りだして、国内旅行もなかなかできない状況になり、旅行業界も生き残りに大変だったと思いますが、コロナ明け(といっても、無くなったわけではない)になったら、ツアー代金は跳ね上がりました。諸物価が急激に上昇したので、ある程度仕方のないことではあると思うのですが、昔のように気軽に旅行をする状況にはなくなったなという感想です。

 現在は、お得感のあるツアーに限って参加する、ツアーよりも自力で行った方がいいと思えるものは、自助努力するという方向に舵を切っています。


2015年「万博記念公園」大阪府吹田市

2024年01月04日 | 旅行

 自分は東京生まれの東京育ち(中野区)なので、最初の就職は東京でした。しかし、人が多すぎて通勤がちょーいやだし、ここは住む場所ではないと感じ、九州福岡に移住しました。東京にいたころは、バブル経済の末期ごろで、元手を持っている人たちはマンション転がしをやっていたり、Nなんとか株(抽選だった)を買ってすぐに売却したらすげー儲かったという話も良く聞きました。しかーし、なにも持たない自分みたいな当時の就職したての若造は、バブルなんかなーんにも関係なく、ひたすら搾取されるだけだったのです。残業・徹夜はあたりまえだけど、残業手当は付けないぜみたいな。

 ある時、福岡の会社に転職しましたが、東京との経済格差は確実に存在するので、地方本社の会社は東京の給料ベースに比較すると、どうしても下がるのはしかたがないことです。それでも、住居費・物価を考慮すれば、なんとかやっていけるレベルではありました。そういう理由で、東京などの大都会から福岡に転職してくる同僚も少なからずいました。

 時代は移り変わり、合併の波が当社にも容赦なく襲い掛かってきたのであります。なんと福岡本社の会社が東京本社の会社に合併統合され、全国規模になってしまったのであります。最初は地方採用の社員はそれなりに配慮していてくれたのですが、合併を繰り返していくうちに組織が巨大化していき、地方から東京への人的リソースの集中が始まりました。なんでやねん!! 都会が嫌だったので地方に来たんやないかい!といっても通用しません。良かったのは、全国一律の給与体制になったので、都会の給料に合わせて少し上がったくらいかな。

 ある日、大阪に行けという辞令が来ました。オーマイガー! やっぱりか。ということで、不本意ながら大阪に単身赴任で行ったのであります。(拒否権無し)忙しい日々だったのですが、せっかくの大阪暮らしなので、土日はぶらN村をしてみようと思い、大阪周辺を散策しました。

 そうだ、1970年に大阪万博があったとき、千里の万博会場に行った記憶がよみがえりました。子供の頃に、親につれられて万博を見に行ったのであります。親戚が芦屋にいたので、そこに一週間ほどお世話になりました。

 ここからが本文です。(長い前振りだな)

 1970年の大阪万博はすごい人気で、連日メジャーなパビリオン(展示館)では、数時間待ちの行列があたりまえのような光景でした。人気の国のパビリオンは、アメリカ(アポロ11号が持ち帰った月の石が目玉)、ソ連(宇宙開発関係)、それと日本館も大人気です。国内の有名メーカーも力を入れた展示を行っていたので、入るのには根気がいります。すんなり入れるのは、アフリカ・中南米の小さな展示館くらいです。展示館といっても、パネルでの国の紹介くらいの規模なので、すぐに見終わる程度の展示です。

 どうしても「月の石」は見たかったので、ある日開場前に並んでアメリカ館に突進する作戦をとりました。当然、同じことを考える人は多く、ゲートが開くと同時に猛烈ダッシュが始まります。「危険なので走らないでくださーい」というアナウンスはありますが、従うはずはありません。猛烈ダッシュ組は、思い思いの人気パビリオンに散っていきます。そういう作戦をとっても、アメリカ館に入るまでには1時間以上並んだ覚えがあります。例の「月の石」は確かに見たのですが「止まらないでくださーい」という係員の声に押されて、歩きながらちらっと見る程度でした。そりゃ、その程度にしないと客をさばけないからなというのは理解できます。

 当時のパビリオンは基本的には解体されているのですが、ごく少数のものは今でも残っています。跡地は万博記念公園になっており、入場料を払うことによって入ることができます。当時のことを思い起こしながら、2015年7月5日に訪問しました。

 万博会場のシンボル太陽の塔は健在で、圧倒的なスケールで迫ってきます。当時、なんとかジャックというのが流行っており、この太陽の塔をジャックした事件も起きました。上部の目玉の部分に入り込み、籠城した男がいました。なんの意味があるのかと思いましたが、思うところがあったのでしょう。(知らんけど)この目玉部分には強力な照明装置があるので、夜間点灯すると犯人が負傷する恐れがあるということで、籠城期間中は犯人のいる片目が光らなかったと記憶しています。水も食料もトイレもないので長期間の籠城は無理で、じきに捕まりましたが迷惑千万男でした。岡本太郎氏の作品も多数残されており、当時の記憶が蘇りました。

 万博訪問時のパンフレットとか沢山貰ったのですが、残念ながらすべて処分してしまって残っていません。記念館では、当時の貴重なパンフレットやグッズを保存・展示しています。手元にあるが不要になった万博関連のものは、引き取っていただけるようです。(もちろん無償譲渡)

 


襟裳岬は風の岬_北海道幌泉郡えりも町

2023年12月27日 | 旅行

 2023年6月に、北海道の襟裳岬を訪れました。最初に襟裳岬を訪れたのは大昔20代の頃、仕事でえりも町内の民宿に一週間ほど滞在しました。(なんの仕事や) そのころは日高本線が様似まで走っていたので、鉄路で行きました。羽田(飛行機)⇒新千歳(千歳線)⇒苫小牧(日高本線)(駅で昼食)⇒様似(バス)で現地 だったように記憶している。会社の規定によりレンタカーは許可されず、公共交通機関を利用するのが必須で、それでもダメな場合はタクシー利用だった。

 出張仲間で、夜は町内のスナック(だったっけ)に行って、誰かがカラオケで「襟裳岬」をリクエストしました。当時のカラオケはレーザーディスクで、大きな銀色の円盤をパイオニアの再生機器にセットするのですが、襟裳岬が上手く再生できません。なぜかと聞いたら、カラオケを歌う客のほぼすべてが「襟裳岬」を歌うので、その円盤だけ劣化しているとのこと。「他の曲なら大丈夫なのにね」と言っていました。(まあ納得)

 最終的に仕事が終わってから襟裳岬にも行ってみましたが、今のような「風の館」みたいな立派な設備は無く、お土産屋と灯台があるだけかなという状況でした。歌のような「なにもない春です」みたいなことはなく、当時でもそこそこあるな(土産屋と灯台があれば立派)と思ったものです。ゼニガタアザラシいるし。

 崖に取りつくように建てられた「風の館」は有料ですが、「強風を体験できる風洞」や、温かい室内から備え付けの双眼鏡や単眼鏡(無料)を使って、ゼニガタアザラシを観察できるのでお勧めです。


意外と楽しい「千歳さけます情報館」北海道千歳市

2023年12月25日 | 旅行

 2023年6月に北海道ツアーに行きました。有名どころもいいのですが、千歳市郊外の「さけます情報館」が意外といい味出しています。入館料は無料で、北海道のさけ・ますについての情報満載です。さけのえさやり体験、さけの稚魚の体色変化体験、さけの稚魚の放流体験があり、すべて無料でできます。自分が放流したサケの稚魚が無事に育てば、4年後に千歳川に戻ってくるかもしれません。

 職員の方がいらっしゃるので、館内の案内・質問にも答えてくれるので楽しく見学ができます。だいぶ不便なところにあるので、公共交通機関で行くのは難しく、車・バイクが主な交通手段になると思います。ツアーでは訪れることはないかと思いますが、意外と穴場と思います。(団体がいないので静かでいい)


グライダー体験飛行「たきかわスカイパーク」北海道滝川市

2023年12月23日 | 旅行

 北海道滝川市にある、「たきかわスカイパーク」では、グライダーの体験飛行ができます。事前予約が必要ですが、当日の空きがあれば搭乗可能です。ただし、午前中に行かないと厳しいかもしれません。午前中の早い時間に訪問したところ搭乗できましたが、午後から来た人は「本日の搭乗は不可です」と断られていました。

 初めてのグライダー体験です。離陸は小型のプロペラ機に牽引されますが、高度が上がると牽引ワイヤーが外れて滑空を始めます。上昇気流を探しながら、旋回しつつ上昇を続けます。上昇気流に乗ると、体がふわっと浮き上がる感じがするので体感的に分かります。JR滝川駅や市内を上空から眺めることができます。この飛行場は、商用機の発着はありません。

 風の谷のナウシカで登場した「メーベ」が飛行した飛行場としても知られています。映画に登場したメーベは格好はいいのですが、この形で実際に飛べるとは思ってもいなかったので、形を忠実に再現されたメーベが飛んだというのは驚愕です。メーベは個人所有なので、ここでは保管しておらず実物は見ることができません。

 飛行場のすぐわきには「道道990」の標識があり、そこを歩いてグライダーまで向かいます。コンクリート造りの管制塔はあるのですが使用されておらず、プレハブのような建物で管制を行っていました。この簡易管制塔は移動が簡単に出来るようになっており、必要に応じて設置場所を変更できるようです。スカイパークの管制のみなので、基本的に日本語でやりとりをしています。管制周波数は現地に行くと書いているので分かりますが、ここでは記載いたしません。エアバンドの受信機があれば、聞くことができます。


ロシア(旧ソ連邦)宇宙ステーション「ミール予備機の写真集」北海道苫小牧市ミール記念館

2023年12月21日 | 旅行

 2023年6月に北海道旅行に行ったのである。その際に、苫小牧のミール記念館・苫小牧科学センターを訪問しました。

 ミール予備機(本物だが、機密に関する機器は取り外されている)が展示されており、実際に乗船することができます。コアモジュール(世界初の長期滞在型宇宙ステーションの本体)とそれにドッキングしたクバント(天体物理観測モジュール)があります。

 なぜ、予備機が苫小牧にあるのかというと、1989年の名古屋デザイン博覧会でミールの予備機が展示されたのですが、なんとソ連が持って帰らず売却しました。(持って帰るにも金がかかるし、本機が打ち上げ成功したので予備機は不要になった)売っ払うというのもなかなかのものだが売れました。落札者は東京のイベント会社「堀江企画」です。ネット情報によると、価格は一千万ドルとのこと。(良く買えたな)

 その後、1990年に苫小牧市の「岩倉建設」がミールを購入し、北海道博覧会等に展示。1998年岩倉建設が苫小牧市にミールを寄贈し、現展示館で公開中。となっています。

 ロシアは、国際宇宙ステーションISSに参加したため、ミールの資金が確保できなくなり運用中止を余儀なくされました。2001年3月23日軌道制御ができるうちに、大気圏に再突入させ廃棄されました。(勝手に落下したら、地上に危険を及ぼす恐れがあるからな)

 当時のソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)は鉄のカーテンで覆われていたため、ミール本機が打ち上げ失敗していれば、予備機が使われ失敗自体も公表されなかったと思われます。予備機が存在するということは、1986年2月19日の初回打ち上げが成功したということです。

 各国の宇宙飛行士が訪れており、室蘭出身の安田顕氏もHTBの取材チームと共に訪れています。(館内に写真あり)

 苫小牧市科学センター・ミール記念館 なんと入館無料

 北海道苫小牧市旭町3-1-12 Pあり無料


2023東川町キャンドルナイトの写真集_北海道上川郡東川町

2023年12月20日 | 旅行

 写真の町として有名な、旭川市の隣町「東川町」に2023年6月17日に訪問しました。狙ったわけではないのですが、6月17から18にかけて「東川町キャンドルナイト」が行われていました。

東川町の町民8594人のキャンドルナイトということで、町民には12個のキャンドルが配られ、個々の家でも飾れるようにしています。当日は道のひがしかわに車を停めて、周辺を散策しました。

 町内の音楽堂では、キャンドルナイトスペシャルコンサート(町内無料・町外1,500円)が行われましたが、そちらは不参加です。


赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設「炭鉱遺産ガイド付き見学」の写真集_北海道赤平市

2023年12月19日 | 旅行

 2023年6月に、赤平市炭鉱資料館を訪れました。ここでは実際に稼働していた炭鉱施設の一部を見学できるツアーがあり、当日でも空きがあれば参加できます。

 住友赤平炭鉱は1938年に開鉱し、効率出炭を追求し東洋一の立坑といわれていましたが、日本のエネルギー転換政策により1994年に閉鉱しました。ガイドは有料(800円)ですが、炭鉱の一部とはいえ実際の内部を見学できる日本で唯一の施設です。案内は、当時住友赤平炭鉱で働いていた方が説明してくれるので、当然炭鉱に詳しくいろいろな質問にも答えていただけます。


旧士幌線タウシュベツ橋梁写真集_北海道河東郡上士幌町糠平湖

2023年12月16日 | 旅行

 ブログトップページの写真にも使っている、旧士幌線のタウシュベツ橋梁写真集です。

 旧国鉄士幌線は、1987年3月23日に廃止されました。糠平湖にかかる橋梁は、朽ち果てつつありながらもその姿を今に残しており、観光地の1つになっています。ただし、林道が狭く多くの車が行くと通行が困難となるため、勝手に乗り入れることは禁止されています。

 見学する方法は3つほどあります。

①糠平湖西側の「タウシュベツ展望台」から見学する。

 遠景になりますが、そこそこ見えます。予約も規制もないため、ふらっと寄ることが可能です。車は道路沿いに駐車できます。羆の生息地なので注意は必要ですが、たいてい人がいるので昼間は比較的安心です。(夜はどうせ見えない)

②林道ゲート通行鍵予約ページで、鍵の予約をする。協力金(一人千円)かかります。また1日10組限定なので、競争率はめっちゃ高いです。1ヶ月前の午前10時から受付なので、ダッシュで取らないと難しい。(それでも負ける場合がある)現地は羆の生息地で、あまり人もいないので最大限の注意が必要です。展望台は「熊出没注意」ですが、現地は「羆出没中」という看板があります。最低限、羆除けの鈴は持って行った方がいいでしょう。訪問時には、すごい獣臭がしました。(何の動物かは不明)鈴を鳴らしながら行ったのは言わずもがなです。(ちょっとしょぼい鈴ですが)

③タウシュベツ橋梁ツアーに申し込む 地元のガイドツアーがあります。

 ふらっと寄るなら①で、予約が取れれば②がいいでしょう。予約が取れなかったら③の選択肢もあります。羆を心配するなら③がいいと思います。

 


鉄道写真集「小樽市総合博物館」北海道小樽市

2023年12月12日 | 旅行

 2023年6月に小樽を訪れました。小樽と言えば「運河」なのですが、今回は少し離れた場所にある「小樽市総合博物館」を訪れました。(運河から徒歩で行きました)

 特に鉄っちゃんではないのですが、ここには歴代の列車が保存展示されています。また、敷地内に鉄道起点(ゼロマイルポイント」があります。官営幌内鉄道(後の手宮線)は、1880年(明治13年)1月8日手宮から着工し(手宮-札幌-幌内)の一部として同年11月28日に開通。北海道で最初の鉄道がここから始まりました。旧手宮線の線路の一部は、博物館から運河方面に向かう道に残されており散歩コースにもなっています。

 屋内保管の列車は保存状態がいいのですが、屋外の列車については残念ながら劣化が進んでいます。古いSL(Porter4514_1909年米国のH.K.ポーター社製造)が動態保存されており、追加料金なしで乗車することができます。

 北海道小樽市手宮1-3-6 Pあり


新日本海フェリー「はまなす」舞鶴⇒小樽

2023年12月11日 | 旅行

 2023年6月に、舞鶴⇒小樽間の新日本海フェリーに乗船しました。福岡から舞鶴は一般道の走行です。

 ネット予約をしてQRコード付きの乗船券(e乗船券)を印刷し持っていけば、特に手続きすることなく乗船できます。

 舞鶴港は、定刻の23:50の出航です。

 ちょっと奮発して、個室を予約しました。

 陸地は全く見えない、はるか沖合を航行していきます。

 フィンスタビライザー(横揺れ防止装置)が付いているので、それほど揺れは気になりません。(ただし、気象条件による)

 自販機や売店でカップ麺もあるのですが、レストランで「ビーフシチューセット」をいただきます。熱湯は船内にあるので、カップ麺も食べられます。舞鶴のコンビニやスーパーで食料を買って、乗船してもいいでしょう。

 部屋にTVがあります。地上波は入りませんが、BS放送は見られます。ただし、(恐らく)船の受信設備でBS放送を受信⇒アナログ波に変換し各部屋のTVへ配信⇒アナログCHで受信という方式です。そのため画質は良くありませんが、見られるだけ良しといったところです。

 船内フロント付近にあるモニターでも、自船の位置が確認できます。だいぶ北海道に近づいてきました。

 小樽到着は、定刻の21:15です。下船してから札幌に向かうと、かなり遅い到着となってしまうので、小樽に宿をとるのが便利と判断し小樽泊としました。

 時間があれば、船の旅もいいなぁ。


特急サンダーバード「新大阪⇔金沢」間に乗車

2023年12月09日 | 旅行

 こないだ、JR特急サンダーバードに乗ったのである。北陸の新幹線は東京⇔金沢間が運行されているので、関東側から行く分については便利になっている。しかし、大阪・京都方面からだと、特急サンダーバードを使うのが便利です。(長距離バスなどの他の手段もある)

 しかし、2024年3月16日に金沢⇔敦賀間が開通すると、サンダーバードは敦賀止まりになり、北陸新幹線に乗り換えることになる。サンダーバードは、リレーサンダーバードになるのかな(名称は知らんけど)

 そういうことで、敦賀⇔金沢間の北陸新幹線開通前に、サンダーバードに乗りたかったので金沢を訪問しました。

 

 大阪発のサンダーバードに新大阪駅から乗車します。指定席を利用します。1時間に2本程度運行されていますが、乗車率は高いようです。(平日ですが、往路は7割ほど埋まっており復路は満席でした)

 683系に乗車しました。(金沢駅で撮影)

 車両は、若干古い感じはしますが快適です。

 敦賀駅近くの新幹線車両基地には、建物に格納している新幹線がちょっとだけ見えましたが、撮影はできませんでした。代わりに、金沢県庁展望台の新幹線をご紹介いたします。(展望台の入場無料)


台湾一周の写真集

2023年12月04日 | 旅行

 2019年4月に、阪急交通社のツアーで台湾に行った時の写真です。福岡から台湾への直行便は2時間30分前後なので、北海道へ行く時間程度で訪れることができます。近いのですが、この年に始めて訪れました。せっかく行くのなら、台湾一周のツアーがいいと思い、バス+列車で島を一周するツアーに申し込みました。福岡⇔台北はEVA航空の直行便で、バッドばつ丸の特別塗装機でした。

 台北の九分は夜間に行き、夕食と観光を楽しみましたが、ものすごい人出で道が狭いため大混雑でした。ホテルのバイキングは、大陸からの観光客と同じになると悲惨です。後ろから手を伸ばしてきたり(並ばない)、大量の食材を持っていくので(食べきれるのかなというくらい)、ピラニアバイキング状態となります。また、博物館でも大声を出すので、びっくりします。食べ物は五香粉や八角を多用しているので、ちょっと苦手です。

 街中では夜間になると出店が開店し、とても賑やかになります。食べ物や日用品など多様なものを売っていますが、言葉の問題もあるので見学だけにしておきました。青信号で渡っていても、右左折車がクラクションを鳴らして突っ込んでくるので要注意です。

 列車にも乗り、車内では弁当も配られました。(もちろんツアー会社の手配です)カメラの調子が悪く、特に列車関係と九分の写真が失われてしまったのは残念です。(かなり撮ったのですが、データが壊れたようだ)