概要
遠野市街地から上郷町来内に至る遠野町〆田地内、来内川西岸斜面に築かれた館である。
南側斜面上部から2本の空堀が下り、北東側斜面を駆け下って中央部に至り、西側から下る空堀と合流して谷へ落ち込んでいる。
斜面中央部より北側の斜面にも同様の空堀跡がみられ、川側の北東斜面には2~3段の平場が確認できる。
近年、山野中腹の頂部背面部分の伐採作業が行われ、木出しのための林道が敷設され、どうやら一部空堀跡を拡張しての工事が行われた模様でもある。
この為、背面の堀切等が破壊された可能性もあり、主郭部の山頂上部に関してはその遺構等の把握はできなかった。
川側、北東斜面の帯郭
斜面中央部で合流する空堀跡
北端の空堀跡
南側上部の空堀跡
主郭部
歴史等
近隣地域で古に館があったというのみであり、築年代、館主含み、ほとんど伝承されておらず不明。
その昔、気仙郡への道に通じる場所でもあり、また近くの来内地区は、産鉄、産金の盛んな時代もあったといわれ、その関係で築かれた館なのかもしれない。
小規模ながらも防御性をよく吟味した館跡でもあり、館に関わる伝承がないということ残念でもあります。
しかし万が一の場合も、虎猫さんが縄張り図を描いているのが救いになりますね。
それにしても遠野市は遺跡に対してどういうふうに思っているのだろうか。壊す前に発掘しないのが不思議です。
なんとか最小限の破壊で済んだようでもあります。
遠野は遠野物語で有名で、その関係で観光客も多く観光財産ともいえます。
ですからこ遠野物語に力が入るのは当然ですが、郷土史分野では、遠野市史が刊行される前後、著名な先生方も多く存在して研究等も盛んだった雰囲気がありますが、ここ近年は、どんな方々が郷土史の先生としておられるのかは、私はよく知りません。
すばらしい資料等を持ちながらも世に出すことも披露することもなく、出版という形で大成させる考え方なのかもしれませんが、ネット社会を利用して世に知らしめる、このようなことで後輩達への刺激なり育成なんかをしていただければ、もっと活気づいて史跡を守るという分野も重要視されるのではと思っております。