今月は、飲み会幹事役が8回。本日は、久方ぶりにお客様状態で楽しみました。明日から、頑張ってCJ3B-J3の後半部分の届出仕様を読み解きます。CJ3B-J3は、本当に米国製の部品を使用した外国車だったんですね。お楽しみに。
★三菱ジープ互助会★
代表発起人J57改@日野市
当方へのアクセスは、jeep-gojyokai@crux.ocn.ne.jp まで
※後輩のNさん、Sさん 個人情報が分か
らない範囲であればご質問等コメント
を書き込んで頂いても大丈夫ですよ。
今月は、飲み会幹事役が8回。本日は、久方ぶりにお客様状態で楽しみました。明日から、頑張ってCJ3B-J3の後半部分の届出仕様を読み解きます。CJ3B-J3は、本当に米国製の部品を使用した外国車だったんですね。お楽しみに。
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計算しつくされた三菱ジープの機能美には降参です。素晴らしいの一言です。
車体番号:J59-01625
登録地 :名古屋市
ニックネーム:バンタムさん
燃料ポンプで苦労されたようです。
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三菱ジープ互助会写真館もご覧ください。
http://www9.ocn.ne.jp/~j5701799/
でもよく考えると当時も保安隊向け車両は、おそらく現在と同様に特別の登録システムができていたと思われます。つまり保安隊独自の車検証です。CJ3A-J1は、おそらく最初のKDパック分の60数台で、実はCJ3B-J3が民間向けとして発売が開始される昭和29年央までの間は、CJ3A-J2(12ボルト換装)が保安隊向けに生産され続けていたのではと考えられます。手元にある信憑性の低いデータによると、保安隊向けJ2は毎年この程度生産され納入された可能性があります。(J57改@日野市の独断と偏見による類推です)
昭和28年(1953年) 全生産台数 2938台 ⇒ うち保安隊向け 1686台
29年(1954年) 2934台 ⇒ 2882台
30年(1955年) 1451台 216台本当のところは、定かではありませんが
私はCJ3A-J2が大量に生産されたのでは
ないかとの仮説を立てました。
?追記?
どうもこの仮説はある程度正しいようです。三菱ジープの〇〇の最終ページに
約1500台レベルのJ2が生産された旨の
記述がありました。
点と点がつながりました。
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旧版のCJ3B-J3取扱い説明書の表紙は、こんな感じになります。おそらく昭和29年6月の新型車届出後間もないものではないかと考えます。
販売元は、菱和自動車販売株式会社。製造者は、新三菱重工業株式会社。その後の新版では、製造元と販売元という文字が削除されています。
CKD生産での立ち上がりの最初の2年間の生産台数について、何を何台生産したのかがちんぷんかんぷんです。三菱ジープの〇〇には、以下生産台数の記載があります。
1953年(昭和28年)2938台
1954年(昭和29年)2934台
CJ3B-J3の正式届出が、昭和29年6月に実行されたとすると、1953年は以下の車両以外に一体どの車種を生産したのでしょうか?
1953年2月 CJ3A-J1 第一号車完成 林野庁向け 54台
1953年3月 CJ3A-J2 保安隊向け500台
普通に考えると、CJ3A-J2を1500台程度継続生産した??となりますが、どなたか
ご存知の方、サポート頂けますか。よろしくお願い致します。
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昨日、愛車の写真を送信して頂きました。KM140は、完全オーバーホール品にアッシー交換を実施されました。とても渋いジープの復活です。
車体番号:J53-11920
登録地:香川県高松市
ニックネーム:J53@高松市
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三菱ジープ互助会写真館もご覧ください。
http://www9.ocn.ne.jp/~j5701799/