昨日と本日、合計3台分のご注文を頂きました。お正月でもクロネコヤマトに持ち込みいたします。特にお急ぎの場合は、ご遠慮無用ですのでよろしくお願いします。
《現時点の在庫数量》
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当方へのアクセスは、jeep-gojyokai@crux.ocn.ne.jp
塩井まで。
新三菱重工業株式會社から三菱重工業株式會社がバトンタッチを受けたのが昭和39年(1964年)6月で、三菱自動車工業株式会社が三菱重工業株式會社からバトンタッチを受けたのが昭和45年(1970年)6月でした。なので三菱重工業株式會社が生産を担当した期間は僅か7年。私のいいからかんなカンピュ―ター予想は、三菱自動車工業株式会社には移管前の当時の三菱重工業株式會社方式の車両銘版が継続して使用されていたのではないかです。さてさてどうでしょうか。保安基準適合O-12にヒントが隠されているのかも知れませんね。またまた皆様にご協力をお願いしたいと思います。1970年6月を境に車両銘版がどのように見直されたのか、或いは見直されなかったのか。1970年6月以前の初年度登録車両をご愛用されている方と、1970年6月以降の初年度登録車をご愛用頂いている方へのお願いは、ご愛用車両の車両銘版画像を頂戴できないかというものです。年末年始のお天気の良い暖かい日に一枚画像を撮影頂き当方までお送りください。例によって車両が特定されないように頂いた車両銘版には目隠しを致します。おそらく1975年11月以前と以降でも車両銘版の記載内容が異なっている可能性もあります。どうぞよろしくお願い致します。
《三菱ジープ互助会オリジナル資料から》記載間違い等ございましたら是非ご指導ください。よろしくお願い致します。
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以前、CJ3Bの車両銘版について確認を行ったことがあります。正に芸術作品のような車両銘版に感激しました。赤のスリーダイヤが左上に刻まれていました。いまいま気になっているのが、当時の新三菱重工業株式會社のあとを継いだ三菱重工業株式会社のものと三菱自動車工業株式会社のものです。実は、三菱ジープ互助会のメンバーの方に車両銘版の画像提供をお願いしています。新三菱重工業株式會社の頃のものと比べて、体裁が大きく変わっています。三菱自動車工業にバトンタッチされてからのものは、ある程度分かって参りました。しかしながら闇の中は三菱重工業株式会社のものです。なんとなく分かっているようで分からないところです。
《CJ3B時代の車両銘版画像》以前特集を組んだ際のものがこちらです。
《三菱自動車工業株式会社時代の車両銘版画像》
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過去に新三菱重工製(MITSUBISHI HEAVY-INDUSTRIES.REORGANIZED LTD)の車両銘版を調べたことはありますが、いま少し疑問に思うのが昭和39年6月以降に三菱重工製として生産された車両です。
新三菱重工製の場合は、車両銘版の左上に赤いスリーダイヤが打刻されていました。その後、新三菱重工時代のJ3,JC3,J3R,J3RDの取扱い説明書を見るとスリーダイヤのない車両銘版が記載されています。但し、車両データの並び順は、PROD.NO ,ENGINE.NO ,CHASSIS.NOで変更はありません。どなたかこのあたりお詳しい方はいらっしゃいますか?細かいことばかり気になってすいません。
《新三菱重工業株式會社製取扱い説明書から》
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何故20年も前の税金のことが問題になったのかは教えて頂けませんでしたが、私の今回の問題は解決しました。やはり海外に駐在した方、或いはこれから駐在する方は現地の記録を残しておいた方が良さそうですね。私の場合、最後に日本に帰国する際に現地の税務署(IRD)へ提出した原本のコピーが手元に残っていたので、全てがクリヤしたみたいです。現地のパートナーである税務事務所からは早々にメリークリスマスのメールが届きました。何事も勉強ですね。
《帰国最終年のTAX RETURN書類》どうもこれが決め手であったようです。例によって詳細は説明されないまま幕引きとなりました。
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