日本古靴資料館

日本の靴の歴史についてのデータベースですが、まだ未完成ですので気長にお待ちください。

日本製靴の歴史 その3

2017-06-21 14:06:00 | 日本製靴(リーガル)
大正13(1924)年4月、伊藤琢磨が取締役会長に就任しました。
伊藤琢磨は半年後の10月には日本皮革の取締役会長も兼任することになります。

昭和7(1932)年3月、満州国が建国され、日本製靴からも満州向けの民需靴の輸出が始まりました。
日本製靴の民需靴は三井物産横浜支店を通じてアフリカのタンザニアやケニア、少量ながらハワイにも輸出されました。

昭和11(1936)年にアゴー式と呼ばれる接着機械による機械靴を松坂屋百貨店で販売を開始しました。
しかし、当時の接着剤が粗悪なため、返りが悪く、普及はしませんでした。

昭和13(1938)年1月15日、日本製靴は陸軍及び海軍の管理工場に指定され、陸海軍から工場監督官が派遣されました。
軍管理工場になると、生産計画、資材の入手なども軍の指示により行われました。
陸軍と海軍では運営方式に違いがあり、陸軍では原材料を現物支給する加工方式、海軍では前渡金方式をとり、原材料調達から後は会社に一任するやり方でした。


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