日本古靴資料館

日本の靴の歴史についてのデータベースですが、まだ未完成ですので気長にお待ちください。

北海道初の靴工となった岩井信六

2017-05-27 06:28:57 | 靴業界の偉人
岩井信六は安政4(1857)年、越後長岡藩の武家の五男として生まれました。

明治4(1871)年、14歳のときに上京して築地の伊勢勝造靴場に入り、信六はレマルシャンから製靴技術を学びました。

19歳になった明治9(1876)年、信六は屯田兵によって北海道開拓が始まると聞き、札幌農学校(後の北海道大学)の雇用人として品川から室蘭に船で向かい、9月25日に札幌に到着しました。

信六は札幌農学校の前に建てられたバラックで靴作りを始めました。
当時の客は専ら開拓使庁の高級役人や外国人で、その中には開拓の最高顧問として十ヶ年計画を指導したホーレス・ケブロンや、「青年よ、大志を抱け」の言葉で知られる、札幌農学校の教頭であるクラーク教授、乳牛40頭と羊100頭と共にアメリカから来て酪農王国に一生を賭けたニドウィン・ダンなどがいました。

明治11(1878)年1月、信六は農学校の製靴機械や材料の払い下げを受けて、南三条西二丁目に北海道初の靴店「岩井製靴店(後の岩井信六商店)」を開業します。

明治25(1892)年、信六は札幌区総代人の一人でしたが、総会の席上、市民の声を代表して当時の消防組の風儀が著しく低調である点を力説して、その改革を述べました。
すると同年12月のある夜、消防組の一団百数十名が岩井製靴店を襲い、半鍾を鳴らして暴動にまで発展しました。
この事件は「岩井の焼打ち事件」と呼ばれました。

明治30(1897)年、北海道靴業界の祖、岩井信六は40歳の若さで亡くなりました。
後を継いだ徳太郎が2代目信六を襲名し、博覧会や共進会で数々の賞を受賞する程の名人として活躍しました。

岩井信六商店HP
http://shoes-iwai.com/


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。