日本古靴資料館

日本の靴の歴史についてのデータベースですが、まだ未完成ですので気長にお待ちください。

日本製靴の歴史 その1

2017-06-03 13:22:00 | 日本製靴(リーガル)
明治34(1901)年、陸軍省経理局長の外松孫太郎は、桜組の西村勝三の建議により本所横網町の被服廠内に靴工場を開設する準備を進めていました。

工場設計から生産設備の一切を桜組が担当し、明治35(1902)年にドイツからモエナス社のアリアンズ式製靴機械を輸入し、ドイツ人技師3人も招聘しました。

西村勝三はかねてより有事に備えて民間の一大工場の設立を計画していました。

明治34年、陸軍の強力な後押しを受けて桜組、東京製皮、大倉組、福島合名の4社の製靴部門が合併する事となり、設立の準備の為の第1回発起人相談会が11月16日に開催され、翌35年1月21日に正式に「日本製靴株式会社」が設立されて、創業総会が行われました。

取締役及び監査役
●取締役 大沢省三(桜組)、高島小金治(大倉組)、南川政之助(福島合名)、賀田富次郎(東京製皮)

●監査役 大倉喜八郎(大倉組)、西村勝三(桜組)


※統合した4社について
●桜組
前身は明治3(1870)年に西村勝三が開設した伊勢勝造靴場。
明治17(1884)年に商号を桜組とし、38(1905)年に製革部門は株式会社となり当時最大の皮革産業会社となる。

●東京製皮
前身は弾直樹による滝野川皮革・軍靴伝習所。
明治26(1893)年に東京製皮株式会社となり、33(1900)年に大倉組の台湾総支配人だった賀田金三郎が代表となる。

●大倉組
前身は明治6(1873)年に大倉喜八郎が組織した大倉組商会。
明治20(1887)年に藤田伝三郎と共同出資で内外用達会社を設立。
26(1893)年には大倉喜八郎が完全に実権を握り合名会社大倉組皮革製造所となり、東京の桜組と並び称される程の関西最大の大工場となる。

●福島合名
明治29(1896)年に福島良助らによって設立される。
主な業務はオーストラリア羊毛を買い入れて千住製絨所への納入。
一時は製靴製革事業も行っていました。


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