ずいぶん前だったり、ずいぶん先だったりするので、少し…
タイトルのことについて
我が家にテレビ局が入って、かれこれ12年になる…
初めはだいちゃんが小学校の入学式前…
その当時、
障がいのある子どもは今の『支援学級』か『支援学校』に入るということが当たり前だった時代。(今はまた、その傾向が強いのかな。大ちゃん入学の頃は親の意向に沿う…みたいな風潮があった。)
お母さんは学校に見学に行った。
普通クラスの先生の明るい声、子どもたちの楽しそうな顔…
みんな、みんなが輝いていた
お母さんはこんな楽しい空間にだいちゃんも入れてやりたい。
真似っこが好きなだいちゃんにたくさんの言葉のシャワーと笑い声を共有させてやりたい…
という思いから、学校に度々通い、校長先生に理解してもらった。
ありがたいことに、前任の校長先生と好意にしていただいていて、その校長先生が長い間『支援学級』や『支援学校』の先生をしていて、
『障がいのある子どももともに育つべき』という信念を持っていて下さる先生でその先生が当時の校長先生に助言してくださったおかげで比較的すんなりと『普通クラス』への在籍が許可された
ということで、たまたま我が家が標的となったようだ
ニュースの枠での特集番組。
7分ほど。
きっと、それで終わりという企画だったんだろう…
それが思いの他、だいちゃんのキャラが面白かったのか、視聴率が良かったのかはわからないが、今現在も取材は続き度々テレビのニュースの特番に出たり、1時間枠でのドキュメンタリー番組に出たりしている。
実際、テレビに出るということは大きなリスクを背負うこともある
それは、撮る側の思い、撮られる側の思い、観る側の思いがそれぞれ違うということ…
これは、いろんな意味でいいこともあれば、マイナスなこともある
無報酬で撮られる側の私たち(お母さん)の思いは
私たちを観て
元気になってくれる人がいたらいい
今もなお、生まれてくるダウン症の子どもたち…どう育てたらいいのか、どういう将来があるのか途方に暮れているお母さんや家族の人が、私たちを観て
「あ~笑っていいんだ。」
と、例え一人でも思ってくれる人がいればそれでいい…
そして、私たちが成長していく過程の中で起こる問題点について観てくれている誰かが考え、これからの子どもたちへと道が広がればいい…
そんな思いでいる。
テレビに出ることで、心無いことを言われたこともある。
それも、ありだと思う…
が、面と向かって言われた時にはへこんだなぁ~やっぱり…
それでも、これはやらせではなく、ごく私たちの普通の暮らし…
きれいごとを並べることもテレビが入るからと言って部屋を掃除することもやめた。
痩せることも考えない…
ノーメイクの時もいっぱい…
反対に厚化粧の時もあったりする…
もちろん、岡山弁…
でも、それもありのままに
ありのままのだいちゃんとありのままの私たちを観て感じて欲しい
いまだ、街で知らない方に「応援してるよ」と声をかけてもらうと私たちも元気をもらう
「子どもが生まれてどうしたらいいのかわからないときに、だいちゃんのテレビを観て希望が湧いた」
と、言ってくれた人も長いスパンの中で何度かある。
いろんなリスクの中で、少数かもしれないが私たちが(だいちゃんが)元気を与えられるのであれば、やはりテレビに出るということは意味深いことなのだと今は強く思う。
これからも続くであろうだいちゃんシリーズ
これからは、また今までとは違った問題点もたくさん出てくるであろう…
エグイこともあるかもしれない
それでも、私たちはありのままに見えない誰かに発信していけたらいいな
と思っている。
実は…そんな私たち…