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命を救ったプリン君??

2011年03月05日 | 先代犬
プリンは私が高校の時にやってきた


近所の子どもたちが捨て犬だったプリンを一週間ずつ、飼っていた


そして、行きつく先が我が家だった


我が家で、飼うことが決まっていたならば赤ちゃんの時から飼えばよかった


たらい回しにされながら飼われていたプリンは我が家にやって来てからもどこかいつも遠慮していた


先住犬のマルチーズのミニが幅を利かせていたこともあるだろうが…


心優しい穏やかな性格の犬だった





そんな、プリンがフィラリアにかかり短い命とさせてしまったことを後悔しきりのお母さんだったが、先日妹家族とご飯を食べていて始めて知った事実があった


プリンが天国へ旅立った日、妹は病院で生死をさまよっていたという


そんな、妹の一大事を私が記憶していない事にもビックリしたが、妹は自分の命の引き換えにプリンが旅立ったと…


そんな事を聞かされ、私は



プリンらしいや



と、思った



家族思いのプリンが自分の命を妹に捧げてくれたのだ



なんだか、妹のそんな話を聞いて私は救われた気がした


妹の携帯にはプリンの写真が保存されている


時に辛くなった時やくじけそうになった時にはプリンの写真を見るそうだ



ありがたい



いつまでも心の中に生き続ける先代犬たちであって欲しいと思う


















先代犬④  チャム

2010年11月01日 | 先代犬



うちで生まれたチャムは私たち家族(結婚する前の話…)と、お母さん犬チャゲの愛を一身に受け、心豊かにすくすくと育った。

あの時代にデジカメがあったら…

おっぱいがたっぷり出るのにわざわざ、ミルクを買って、あげたりもした。



人間不信のチャゲも守るものが出来、そして、私たちのチャゲやチャムに対する愛情をも感じ取ってくれたのか、私たち以外の人にも少しずつ心を開けるようになっていった。

完全(?)に人間不信から立ち直った頃にチャゲの避妊手術をした。
チャムがオスだということと、野良犬がチャゲの周りをウロウロしていたこともあって。
それでもチャゲはチャムにはマウンティングをさせなかった。15年間、一度も。
チャムが上に乗ろうとすれば威嚇して止めさせた。

それは、きっと私たちへの思いやり…

チャゲはそんな賢い犬だった。





チャムは、愛情豊かな分、甘えんぼでいつまでも大人になれない犬だった。
雷がきらいで、雷が鳴ると抱っこをせがんでいた。
16キロもの体重があるにもかかわらず…

会社で、飼っていたので、常に一緒。仕事で出かける時も車に乗せて…






いろんなところへも出かけた。





3匹がとてもうまく付き合っていた。
そのうちに、家で飼っていたプリンも一緒に過ごすようになった。
ひとつ屋根の下で…

3匹が暮らせるように1畳半程の天井や壁に断熱材を入れた小屋(家)を父と作った。
喧嘩をすることは、なかった。
プリンが人(犬)がいいのと、チャムのわがままはチャゲが許さなかったから…







わがままだけど、私は、そんなチャムが愛おしくて愛おしくてたまらなかった。
毎日、朝夕1時間ずつの散歩も苦にならなかった。(っていうか、仕事しろよ!!っという感じだったけど…)

悲しい時も嬉しい時も聞いてもらった。
悲しいことがあると、家を抜け出して犬小屋でしばらく泣いていたことも多々あった。

苦い青春時代をずいぶん助けてもらった。



結婚して、子どもが出来て、チャム以上に子どもを愛すことが出来るだろうかと不安だった。
チャムがいればそれでいい。
そう思っていた。


なのに…
なのに…


私は、大きな裏切りをした…
取り返しは付かない。



チャムが生まれて7年…
Dちゃんが生まれた。
Dちゃんは障害をもって生まれてきた。(Dちゃんについてはまた、いずれ)


Dちゃんがいろんな管から解放され我が家に戻ってきてくれた時から私はチャムにかまってやれなくなった。
心のどこかでいつも気にしてはいたものの、家と別に暮らしていたチャム達のお世話をするには厳しい状況だった。
歩けるようになったDちゃんを残して散歩に出かけ、帰ってくると外に出ていなくなっていることも少なくなかった。


父親に犬たちのお世話をお願いするしかなかった。
私たちの住む、借家では犬を飼うことはできなかった。


ほんのたまにしか、共有する時間がなかった。
ほんのたまに、散歩の時間を持つ程度だった。




15年でチャゲが亡くなった。


チャゲは誰かが犬小屋のカギを開けてチャムとチャゲとで逃亡していた場所で、なにかの毒(多分、ネズミ除けか何かの薬かな?)を口にし、中毒症状を起こして亡くなっていった。
父親が、見つけ私と二人で病院へ連れて行った。
もう、無理だ!と、病院で言われた。
今、思えば、毒を口にするようなチャゲではない(チャムが口にしそうになる前に自分が身をもって知らせたのか…)
その日の夕方、チャゲは召された。
きっと、チャムを思いながら…








そしてその1年後、チャムは16歳を目の前に亡くなった。


脳障害を起こしていたのだろうか…てんかんみたいな症状だった。

DちゃんもFちゃんも少し、手が離れるようになり、私は3人で里帰りをした。

チャムは許してくれただろうか…

最後の時間を少しでも一緒に居たかった。



チャムを思うと私は今でも胸が痛む


いまだにチャム達の小屋からチャムの鳴き声が聞こえてくる…

ブーメランのように尻尾をグルグルまわしながら、甲高い声で私を呼ぶ声が…







今まで、飼った4匹の犬たちは幸せだっただろうか…

私だけ、癒され愛されたような…


4匹の先代犬たちを胸に、今度こそ最後まで悔いの残らない共存生活をしていきたいと思っている…



















先代犬③  チャゲ

2010年10月21日 | 先代犬



チャゲは私が19歳の頃、会社の周りで群れをなして放浪していた野良犬の中の1匹だった。
6、7頭いただろうか…
その中にはまだ、子犬もいた。
私は、何故たくさんいた中のその1匹のチャゲに心奪われたのだろうか…


忘れた…


何故なんだろうか…





チャゲは、人間をとても怖がっていた。
半端なく、怖がっていた。
お弁当の残りをおいしそうに食べにくる野良犬の子犬の遥向こうで私たちの様子をうかがっていた。


そっとお弁当を置き、隠れてしばらくするとチャゲはやってきてお弁当を食べた。
しかし、私たちの姿が見えると飛んで逃げて行った。


長い日にちをかけ、徐々に私とチャゲの距離を縮めていった。





いつの間にか、他の犬たちは、いなくなっていた。子犬は隣の会社の人が飼ってくれた。






私の手から食べ物を食べてくれるようになった頃には私はこの成犬の飼い主になることになんの迷いもなかったと思う。
 

父母が営んでいる会社で茶色の毛をしたその犬『チャゲ(茶毛)』は私たちの飼い犬となった。

その時、チャゲのお腹は大きくなっていた。


まだ、群れをなしている頃、白い大きな犬と合体したまま逃げ回っていた。


すげ~と思った。
合体したまま、走っていたから…


しかも、めちゃ大きい犬と7キロほどのチャゲ…

今、思えばチャゲもまだ、1歳にはなってなかったような…幼い顔をしていたような気がする。


ずいぶんと人間にいじめられていたと思われる行動はまだまだ消えなかった。
チャゲの前で頭をかこうと手を上にあげるとふるえあがって怖がった。
だから、父も母も私もとても慎重にチャゲに接した。
そして、私たち、家族には心を開いてくれた。



愛おしかった。



それから、カラーにリード…(昔は、首輪に紐…って言ってたよね)




カラーにリードに慣れた頃、チャゲがとりつかれたように鳴き出した。
ただ事じゃない鳴き方だった。

どうしていいのかわからない私はリードを外した。


チャゲはどこかに行ってしまった。



次の日、チャゲを探す私の声に答えてくれた。
会社の隣の敷地にある資材置き場に隠れていた。
小さな子犬の声と一緒に…
1週間ほどチャゲと子犬はそこから出ようとしなかった。

近くまで、ご飯を運び様子を見ていたが、いつまでもほっとくわけにはいかないので(なんせ、私のワンコだから)子犬と共に引っ張りだした。






有り難いことに子犬は1匹だった。
当然、うちの子どもになった。


チャゲとチャム(茶夢)…そして、家にいるプリンとの生活が始まった。





先代犬 ②  プリン

2010年10月03日 | 先代犬


プリンと出会ったのは、私が高校生の頃…ボランティアでバレーボールの指導に行っていた頃…



小学校に捨てられていた2匹の子犬


丸まると太った2匹の子犬だった


当時、ミニ(マルチーズ)がいた私は、そのかわいらしい子犬たちを飼うという頭は全くなかった。



小学生たちが、順番で飼う…ということに決めた。

 

まだ、大人になりかけの私では『そんなあり得ない』ことに違和感を感じることはなかったように思う。




案の定、あれは暑い夏休み…


まだ、私は布団の中にいた。


朝、6時…


子どもたちの私を呼ぶ声で、目が覚めた。



外に出てみると、少し大きくなりかけた子犬を抱いた子どもたちがいた。



丸まる太った子犬は痩せて、少し困った顔をしていたように思う…


「どしたん?」


子どもたちに尋ねてみると、


「もう、飼えれん」



え~???今更、どうするん??


「もう、無理じゃけぇ~」


無理って…




子どもたちで『プリン』と名付けたその犬はその日から我が家の犬となった。



何週間か交代で飼っていた為、プリンはとても気の弱い。それでいて、優しい、気を遣う犬だった。

こんなことなら、初めから我が家で飼えばよかった。

そう思った。


おまけに、ミニが体調を崩す頃で、あまり構ってやれなかったようにも思う。


気の強いミニにも気を遣い、私たちにも気を遣い…


本当に人(犬)のよい犬だった。



ミニがいなくなって、私が仕事から帰る時間が近づくと幅5センチほどのフェンスによじ登り待っていてくれた。

そして、いつも全身で喜んでくれた。


常に笑っていた。








プリンが来て3年後には、またMIX犬のチャゲとチャムがいた…



ここでも気を遣った。先住犬としての威厳などなく、常に気を遣っていた。






8年という短い人生を送らせてしまった。


最後の顔がわすれられない







 


先代犬①  ミニ

2010年09月29日 | 先代犬


白い毛糸玉のようなその犬は私が6歳のときにやってきた。
マルチーズだった。(なにか、他にミックスされてたかもしれないが…)

動物好きの家族はみんなで、喜んだ。

と、記憶している…


幼稚園児の頃からカギっ子だった私は特に嬉しかった。

家に帰ると喜んで待っていてくれる人(犬)がいる。
こんなに嬉しいことはなかった。

学校で悲しいことがあると、学校から帰ってミニをずっと抱っこしていた。
そうすると、お母ちゃんが仕事から帰ってくる頃には元気になれた。

私たちのために働いてくれるお母ちゃんに悲しい顔は見せられない…
まだ、小さかった私も精一杯、気を遣っていた。

まだ、夕方だというのに真っ暗になり雷が鳴る日もミニを抱っこして空を眺めていた。
とても怖かったが、それでもミニのおかげで頑張れた。


家族旅行もいつも一緒にだった。
キャンプもよく行った。

ミニとは、子ども時代を共に過ごした。




そして、私が19歳のとき他界した。


その1年前に大病(多分、癌?)をし手術し、奇跡の復活をした。
しかし、それから1年だった…



病院で『安楽死』を勧められた。





その時の私たちには、病院の先生が言うそれが一番正しい選択だと思った。

その日、仕事を休んだ私に親は看取ることを許さなかった。


悲しかった。


今でも悲しい…



動物を飼う以上避けては通れない道・・・
まぁ~人も同じだが…


安楽死についても今は違う選択があることを知った。


別れは寂しい…もう2度と生き物など飼えない・・・


と、いう人もいるが、我が家にはすでに2年前からMIX犬プリンがいた。