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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

祈・村上春樹氏・ノーベル文学賞!

さて、連日、ノーベル賞の発表が続いていますが、今日は、いよいよ「文学賞」の発表ですね!(^。^)

イチオシは「村上春樹」さん、、、もう毎年のように下馬表の上位にランクインしていますが、未だコールは無く、今年こそといった感じです。(^-^)

実は、馬関は、この村上作品をしっかりと読んだことがありません。m(__)m

もともと、大衆文学の中でも、芥川龍之介氏や川端康成氏をはじめとした正統派の純文学、また、宮本輝氏や浅田次郎氏など、生活感のあるストーリーと文学的技巧、かつ、短編小説が好みなので、モダンな雰囲気を纏った村上春樹氏や村上龍氏、吉本ばなな氏の作品には手が伸びませんでした。( ; _ ; )/~~~

現代で言えば、東野圭吾氏をはじめ、万城目学氏や池井戸潤氏などのストーリーテラー、ドラマのシナリオライターのような作品もまた嗜好の範囲に入りませんね。(°▽°)

要するに、時代遅れな感覚、古めかしい好みなのかもしれません。(≧∇≦)

しかしながら、村上春樹さんのグローバルな業績には敬意を表しますし、インタビュー記事などで識る氏の哲学的、観念的な作品づくりへの姿勢は、全世界に通ずる崇高なものだと思います。(^_^)

ぜひノーベル文学賞の栄冠に輝いてほしいですね!!(◎_◎;)

「北欧の森に映えある紅葉かな」 祖谷馬関

(注)紅葉は晩秋の季語。落葉樹の葉が赤や黄色に色づき、野山の秋を飾る。紅葉といえば主に楓のことをいう。紅葉を愛でるという習慣は平安の頃の風流から始まったとされている。

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

「京都検定対策シリーズ」

テキスト巻末に掲載されている、いわゆる年表が、なかなかのボリュームで手強いんです。m(__)m

(1)秦伊呂具が、稲荷山の三ヵ峰に三柱を創祀する。(711年)
(2)平城上皇、藤原仲成・薬子が「薬子の変」を起こす。(810年)
(3)「承和の変」、藤原良房が伴健岑、橘逸勢を左遷。(842年)
(4)紀貫之が、「古今和歌集」を醍醐天皇に奏上。(905年)
(5)皮聖の行円が、革堂(行願寺)を創始。(1004年)
(6)後白河法皇が、「梁塵秘抄」を著す。(1179年)
(7)勝林院で、法然・顕真の大原問答(大原談義)が行われる。(1186年)
(8)後鳥羽上皇が、「承久の乱」を起こす。(1221年)
(9)親鸞が、「教行信証」を撰述。(1224年)
(10)九条道家が、東福寺仏殿を建立。(1239年)

もいっちょ!!(◎_◎;)

(1)1272年、覚信尼が大谷廟堂を建てる。(本願寺の始まり)
(2)1284年、一遍が入京し、染殿院(四条京極釈迦堂)で念仏踊りを始める。【一遍は捨聖で室町時代の人。平安時代の市聖・空也を先達とした】
(3)1331年、後醍醐天皇、笠置山で挙兵。(元弘の乱)
(4)1350年 「観応の擾乱」とは、足利尊氏と弟・直義との不仲が始まり。
(5)1379年 「康暦の政変」で、細川頼之が失脚、出家する。
(6)1391年 「明徳の乱」とは、山名氏清が室町幕府に対して起こした反乱。
(7)1441年 「嘉吉の変」で、赤松満祐は、将軍・足利義教を殺害した。
(8)1484年 吉田神社に斎場所・大元宮を創建したのは、吉田兼倶である。(山蔭神社の藤原山蔭、菓祖神社の林浄因)
(9)1493年 「明応の政変」で、細川政元(勝元の子)は将軍義材(義稙)を廃し、義澄を擁立した。
(10)1565年 「永禄の変」では、三好義継、松永久通が将軍・足利義輝を殺害した。

ま、今日はこのぐらいにしといたろか!!(◎_◎;)
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