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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

ファイナル・カウントダウン「2」

祖谷馬関の「我が心の俳句とか徒然」、還暦の千秋楽(7/29)に向けて、ファイナル・カウントダウン、「2」となりました!(^。^)

今朝の朝刊に「薬師寺まほろば塾」という特集記事があり、これを読んで、馬関としては「我が意を得たり」と溜飲を下げたお話です。m(__)m

語り手は、東大名誉教授で作家の「養老孟司」さん、、、(^。^)

薬師寺の開く塾ですから、「仏教の教え」が底流に流れており、大きなテーマは「老いも死も人生の自然」となっていました。(^-^)

養老孟司さんは、「生老病死」という仏教の言葉を示しながら、このように語っていました。(^_^)

・私は歳のとり方や死に方を決めていない。
・そもそも人生は予定していたものではなく、気づいたら生まれていた。
・「自分の命は自分のもの」と誰が決めたのか。
・どうやって歳をとって死ぬかなんて思うようになるわけがない。
・日本では、昔から、仏教の「生老病死」という考え方があるが、一方、アメリカでは、「歳をとることは病気」と考え、様々な老化防止の薬が開発されている。
・全てのものが移り変わる「諸行無常」という仏教的な考え方と「情報化社会」は、根本的に一致しない。
・情報とは時間的に変化しないものを指す。スマホで撮った写真も不変の情報であり、時が止まり諸行無常ではなくなる。
・写真と同じく自分も変わらないと思ってしまうが、人はどんどん変わっていくもの。
・何でも情報化すれば分かるかといえば、そうではない。「生きている、死んでいる」も、言葉と実際とでは距離がある。百万人の臨終を写真に撮りビッグデータにしても「死が何なのか」分かるわけがない。
・言葉にならない世界が明らかにある。スマホの写真は保存できるが、その時は過ぎていって戻らない。歳を取るとしみじみ分かってくる。
・大病になり、病気は私のものじゃないな、と思うようになった。本当に困るのは家族や知り合いなのだ。
・自分がどう生きるというよりも、周りの中で人は生きている。病気にならないと気づかなかった私はバカだと自分でも思う。
・どういう風に人生を終えていくのかは、歳を取れば分かる、というしかない。

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

「生老病死」、、、そんな大袈裟な観念ではありませんが、「病を得ないと分からないこと」、、、これは身をもって知った気がしています。m(__)m

折から、読み返した人間学の雑誌には、特集のテーマが「読書立国」とされていました。(^。^)

「本離れ」が進んでいる現在、日本人の人格や知性の凋落は、スマホやデジタルへの依存の高まりと反比例して、本を読まずに深い思考をしなくなったこと、、、デジタル情報で「分かった気になっていること」が原因であると断じています。(^-^)

眼の病を得たことは、「デジタルからアナログへ還れ!」との警鐘かもしれませんね。(°▽°)/

「蛍雪に還れと鳴くや雁の群れ」 祖谷馬関

(注)雁は晩秋の季語。晩秋に北方から来て春には帰る。体は肥っていて灰褐色。頚が長く尾は短い。グァングァンと声を発しつつ棹型や鉤型に並んで飛翔する。雁をかりがねと呼ぶのは古来、多くの人がその声をめでたからである。
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